親への恨みが障害となって神を受け入れることができない人からの相談

「心の傷が理由で神の救いを受け入れることが出来ないが、どうしたら良いか?」というご相談です。
ご自分がこのような相談を受けたら、どのように答えればよいかと考えながらお読みくだされば幸いです。

1.相談内容

はじめて相談させていただきます。
私には悩みがあります。
クリスチャンになっても癒されることがないんです。

心が痛くて痛くて張り裂けそうです。 
”救われたのか?”わからないです。
”イエスを通して神の子として生まれ変わったのか?” わかりません。
ここを受け入れようとすると、いつもいつも母から言われ続けて来た”前世は売春婦で、来世は売春婦で現世の未来は売春婦になる顔をしてる”と 何万回言われたか分からない言葉を忘れることができません。 

神様の御言葉を何度聞いても聞いても(母の言葉を)忘れることができません。
教会に相談しても”洗われた”としか返ってきません。 
私は神に呪われるために生まれてきたのか、それとも ”洗われた”から過ぎ去ったことなのか?
時に狂った行動をして、教会の人に白い目で見られます。
”変人””罪人”扱いされます。 
教会で石を投げつけられ生きることができないです。
 
時折、神様が憎くてたまらなくなり、自虐することが止められません。   
いっそのこと仏教徒に戻りたいくらいの気持ちです。 
クリスチャンになりたかったのに、救いを受け入れることができず苦しんでます。 
救いは一体、どうやったら受け入れることができるものなのですか?

2.相談へのお答え

こんにちは、さくらさん。
ご相談を下さり、ありがとうございます。

恨みを解決することが何より重要

自傷行為が継続的で、自分で止めようとしても止めれない、または止めることが出来たと思ってもしばらくするとまた行っているなら、自傷行為を嗜癖として使っているということです。
嗜癖を使う理由は不快感情から逃れるためです。
不快感情には四つあり、恨み・罪悪感・恐れ・後悔です。

母親に言われた言葉が問題なのではなく、母親に言われた言葉を恨んでいるのが問題の核心です。
ですから何よりも恨みの感情を解消することが先決です。
恨みを始めとする不快感情が消え去れば、嗜癖行為は自然と止むものです。

なぜ恨んだのかと言えば、それは本能が傷ついたからです。
ではなぜ本能が傷ついたのかと言えば、それはご自分の性格上の欠点からくる行動パターンが原因です。
この問題は書いてあるものを読んで「なるほど!」と思えるほど単純ではありません。

棚卸し作業というものをやって自分という存在と対面することが必要になってきます。

親替えする

親替えとは養育者である生物学的な意味での両親に自分の心から出て行ってもらい、替わりに神の意志と自己意志が協働で自分自身の愛ある親の役割を果たすことです。

◎回復と平安を祈っています。

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