キリスト教プロテスタントを分類する際に、聖霊派という名前を使うことがあります。
この三派(ペンテコステ派・カリスマ運動・聖霊第三の波)には外部の方から見ても、よく似ていると思われる共通点があります。
まさに神からのDNAは隠すことが出来ないと言うべきでしょうか。
聖霊派が本当に一致するためには何が必要かを考えます。
目次
①聖霊第三の波に向けて
聖霊第三の波の教会は異言を伴う聖霊のバプテスマを認めません。
よく言われる間違いに「いや、認めていないのではない。強調しないだけだ」というのがあります。
しかしこれはすぐにおかしいと気づきます。
なぜなら聖書を神の言葉と認める限り、聖書が「異言を使うことを否定してはならない」と言っているのですから、認めないということなどは、そもそもあり得ない主張なのです。
その上で強調しないという主張は何を意味するのかを考えてみますと、見えてくることがあります。
それは彼らの本音は「認めないと言うと聖書とちがうと非難される。だからここは強調しないという言い逃れをしておこう」というものです。
しかし異言を伴う聖霊のバプテスマを認めないで、運動を行った結果が今の惨状です。
異言を伴う聖霊のバプテスマこそは、神からの恵みが賦与されるパイプなのです。
そうであるのに、それを実質的に否定した聖霊第三の波運動が破綻したのは仕方のないことだったかもしれません。
聖霊第三の波の教会は、どうしてこうなってしまったのかを真剣に考えなければなりません。
そして悔い改め(方向転換)が必要です。
②カリスマ運動に向けて
異言を伴う聖霊のバプテスマが神の恵みを賦与するパイプなら、聖書信仰は神から教会への、神が備えられた真理のパイプです。
それを否定するカリスマ運動が実践面でも神学面でも行き詰まりを見せていることも当然のことであると言わなければなりません。
カリスマ運動の教会も、昔ながらの「奇蹟と印と癒しと不思議」を体験しているのですから、聖書に対する理解も昔ながらの信仰理解に戻るべきではないでしょうか。
何の問題もありません。書かれていることを文字通り信じるだけです。
何の不都合があるというのでしょうか。
一度、聖書信仰の大海に漕ぎだしてみると良いのです。
そうしたらすぐに、その自由さに驚いてしまうでしょう。
聖書をそのまま信じるとは、当たり前のことではありますが、なんと素晴らしい体験でしょうか。
地上にあるすべての奇蹟を一緒にしても、聖書を神の言葉と信じる恵みには及びません。
③ペンテコステ教会には何の問題もないのか?
そんなことはありません。
運動開始後わずか100年で、プロテスタント最大の教派となり、地球規模のネットワークを持つようになりました。
運動初期には、様々なセクトや異端に処しなければなりませんでしたが、ペンテコステ教会はうまく対処してきました。
彼らを排除して命のない教派となってしまう危険からもペンテコステ運動を守りましたし、また逆に付和雷同して運動自体が致命的な打撃を受けることからも免れてきました。
しかしどんな信仰運動も形骸化の危険から全く自由であることはできません。
ペンテコステ教会にも死せる正統主義に陥る危険性がここかしこに見えてきました。
a.異言を強調しないこと。逆にお気軽に異言を語らせる方法への安易な妥協
これは現れは違っても根は同じです。
要するに聖霊のバプテスマそのものを強調しなくなっていることの証左なのです。
その故に、あるところでは異言を強調せず、あるところでは聖霊のバプテスマを伴わない異言をお気軽に語らせる方法が流行るのです。
自分たちが異言の問題に対して聖書の立場に強く立っていないので、聖霊第三の波の教会の人々に「異言を求めるように」と強く勧告することができませんでした。
ペンテコステ運動が燃えさかっているときなら、新参者の聖霊第三の波運動に対して異言を伴う聖霊のバプテスマを求めるように必ず強く勧めたことでしょう。
b.癒しを信じ、期待しなくなる傾向
ある姉妹から相談を受けました。
その姉妹はペンテコステ派最大の教団の教会に通っておられるのですが、その教会から「あなたの病気は治らない」と言われたというのです。
びっくり仰天です。ありのパパはすぐに聖書から、すべての病に癒される可能性があること、生かされている限り癒されることを信じて地上生涯を歩むべきことをお話ししました。
そうしますと、その姉妹は至極当然といった顔をして「私も以前からそのように信じておりました。ただその方がさも聖書的であるかのように仰るので一度確認したかったのです」と仰ったのでした。
これでは誰が牧師で、誰が信徒か判らないと言わなければなりません。
この部分を読まれて反発を感じる方もおられると思います。
「ともすれば脱線しがちな信徒に地道な信仰生活を送ってもらいたいと願って、そのように指導することもあるのだ」
そういうことも確かにあるでしょう。
しかし癒しに対する希望が、人を正気足らしめている部分もあるのです。
だからこそ、癒しへの信仰を保持しつつ、地に足をつけた地道な信仰生活を送るように指導する必要があります。
c.再臨を待ち望まなくなる傾向
リベラル派の兄弟とのやりとりの中で、リベラル派は再臨を言わないということを教えていただきました。
ありのパパはこれを聞いて「では死ぬまで何度でも再臨を言おう」と思いました。
ペンテコステ派に限ったことではありませんが、福音派にしても再臨をあまり言わなくなりました。
しかしヨエル書の預言の成就としてのペンテコステの日の出来事を信じている私たちペンテコステ教会が再臨を強調しなくなったとしたら、これが本当の世の終わりだと思います。
冗談で言っているのではありません。
強く、強く、再臨を強調しなければなりません。
神がなぜペンテコステ運動を起こされたのかを、もう一度よく考えてみる必要があります。
もし私たちが初めの信仰から知らず知らずのうちに落ちていくなら、神は私たちを祝福することをお止めになってしまわれるでしょう。
そしてご自身のみこころをなし遂げるために、新たな信仰運動を始められるのではないでしょうか。
そうならないために、私たちは目を覚ましていなければなりません。
◎平安と祝福を祈っています。
ありのパパさん、おはようございます。
聖霊派を構成する3つの流れについて、パパさんからこれまで教えていただいたことで正確に理解することができました。感謝です。
私は、パパさんと知り合うまで、この3者の区別についてほとんど区別することができませんでしたが、3者とも厳密な違いがあったことが分かりました。
パパさんが言われることをまとめると、いわゆる古典的ペンテコステ主義とは次の条件を満たしていることなのですね。
①聖書信仰であること。
②異言を語ること。
③異言は聖霊のバプテスマに伴うものであること。
④正統的な基本的教理を保持していること。
すごくよく分かりました。多分、このブログを読んでいるリベラル派の人の多くも、この厳密な区別を初めて知ったと思います。
されから、最後に書かれているペンテコステ派内の問題点について。
最大教派といえば、AOGだと思いますが、私もAOGが日本福音連盟に加入した際、他のペンテコステ派から、AOGはペンテコステ派であることを止めたのか、という批判があったという話を聞いたことがあります。
AOGも大所帯になったので、昔のような「激しい?」ペンテコステ主義ではなく、常識的な信仰理解になりつつあるのかも知れません。
あと、再臨についてペンテコステ派でも最近はあまり強調しなくなったと言われていますが、アンデレ聖書学院の機関紙「SIGNS」の中で、その理由について、今まで2000年頃に再臨があると強調されてきて、いざ2000年が近づくと、急にトーンダウンしてしまった、ということが書かれていました。2000年問題ということが背景にあるようですね。
ヒラぴゃんさん、こんばんは。
結婚記念日をどのようにお過ごしでしょうか。
コメントの後半部分ですが、どのような視点で物事を眺めるかで感想は全く変わってきますね。
私が以前聖霊第三の波運動にいたころは、アッセンブリーは「ペンテコステ派の中の日本基督教団」であるという人もいました。(しかもその人自身がアッセンブリー)
そして私もそれに同意しました。
しかし今はなぜそのような姿勢をとるのかを知っていますので、違和感がないどころか共感さえ覚えます。
聖霊派への三大打撃というのをつくってみました。
①チョー・ヨンギ先生が二千年までに日本一千万救霊をなしとげると宣言されて実現できなかったこと。
②一千年期ごとに繰り返される再臨待望が実現しなかったこと。(実は私も待望してしまった一人です。聖書的ではないと思いながらも、つい実現するかもと心のどこかで妄想してしまうのです。福音派のクリスチャンにきいてみたところ、その人はそんなことはなかったです。)
③聖霊第三の波の教会に頻発するスキャンダル。
これら一つ一つは深い意味を含んでおり、いつかは文章にしてアップしたいと考えております。
では。
ありのパパさん、こんばんは。
パパさんの書き込みの中の、「②カリスマ運動に向けて」の中で、「聖書に対する信仰理解も昔ながらの信仰理解に戻るべきではないでしょうか」と勧めておられますが、カリスマ運動の指導者である手束正昭先生は、著書『続/キリスト教の第三の波』の中で次のように言っています。
「・・・・キリスト教信仰は決して聖書という文書を基礎にして成立した宗教ではないのである。・・・中略・・・私達が初代教会への復帰を計ろうとするならば、それは聖書への復帰ではなく、聖書以前への復帰が目指されなければならないということであり、その内容は聖霊の生きた働きとその体験である。初代教会には、新約聖書は無かったが、この聖霊の生きた働きとその体験があったのである。体験がまずあって、その後にそれをシンボル化した聖書の諸文書が書かれたのである」
これを読んでの私の感想は次のとおりです。
①確かに新約聖書が書かれる以前にキリスト教は誕生していたのであるから、聖書以前の時代にまでさかのぼるという主張は分からなくもない。
②しかし、新約聖書が書かれる以前の教会は、新約聖書を書いた使徒たちがまだ生きていた時代である。そして彼らは、後に新約聖書が証しするイエス・キリスト御自身と直接、接した人々である。いわば、彼らは文書としての新約聖書はまだ持っていなかったが、いわば生の新約聖書に触れて生かされた人々であった。
③しかし、現代の我々は人間として地上に来られた主イエスを直接見ることはできない。我々は聖書を通してのみイエス・キリストと人格的な交わりをもつことができる。
④したがって、我々が新約聖書以前の教会にもどったつもりになっても、それが果たして本当に初代教会と同じ状態であるのかどうか保証するものはない。聖書は、我々の信仰を導くものであると同時に、我々の信仰が正しい状態にあるかどうかを判断するカノン(ものさし)であるのだから、聖書を飛び越えてしまっては、教会に与えられたカリスマが本当に神からのものか、そうでないかを判断することもできず、正しい信仰から外れてしまう危険性が大である。
以上のことから、私は手束先生の主張には同意しかねます。
ヒラぴゃんさん、こんばんは。
教えてくださり、ありがとうございました。
このカリスマ運動の指導者の仰ることを読んでいるとき、血が逆流しました(笑)。
私にはどうやら刺激が強すぎるようです。
あぁ、血圧も上がってきました~(笑)。
ネットの時代は、真実が明らかになるのに時間がかかりませんね。
吉祥寺の兄弟のブログから、この先生が戦後の枠組みを総否定していることを教えてもらいました。
そして今日はヒラぴゃんさんから、この先生の聖書信仰の実態を教えていただきました。
これで日本リバイバル同盟がうまくいくわけがない!
私がこの方のことで知っていることと言えば、ネストリウス派の研究者であるということぐらいでしたが、これが結局いろいろな面に影響を与えているのかもしれません。
しかし私がリベラル派を理解しようとするきっかけは、この先生でした。
なぜリベラル派キリスト教がカリスマ運動の母体となり得たのかは、とても興味を引く事柄でしたから。
いや、どうもありがとうございました。
ありのパパさん。おはようございます。
手束先生のことで大分血圧を上げさせてしまったようですね。
確かに、パパさん同様、私も手束先生の意見には同意できません。
「だからリベレル派はだめなんだよ」という声が聞こえてきそうです(笑)
でも、聖霊主義においては、このような危険性はリベラル派だけでなくペンテコステ派にもあると思うのです。
戦前のペンテコステ派の指導者の一人である山田盛彦先生(アッセンブリーの前身である日本聖書教会の牧師)は、著書『聖霊を受ける秘訣』の中の、「受霊体験記」の中で、次のような事例をあげています。
山田先生の教会の祈祷会に、あるとき一人の青年が訪れます。それまで教会には行ったことがなくて、初めて教会というところに来たそうです。
その晩の祈祷会は「聖霊待望会」を行なう予定だったので、その青年をどのように取り扱ったらよいか迷ったそうです。
山田先生は、「この青年の要求通り、救いのお話をしていたら、約束の待望はできなくなるし、待望会をすれば、救いの話しもできないばかりでなく、あの猛烈な異言の祈りを聞いてつまづきはしないかしらん」と思ったのですが、静かに黙祷して主に尋ねたところ「予定通り、聖霊待望会をせよ」との示しを受けます。そして、青年には「救いについては後日話す」と言って、待望会を開始したそうです。
「すると驚くべし。その青年が古い信者も及ばぬほど、猛烈に熱心に祈っているではないか。やがて青年は倒される、一人の姉妹が倒れる、一人の姉妹は泣かされるという有様にて、その晩はまったく聖霊の渦巻の中にとかされてしましました」
翌晩の待望会の席上で、山田先生はその青年に尋ねます。
「そこで私は、あなたはどこかの教会に行ったことがあるでしょう、と尋ねますと、いや初めてです、という答え。だって、昨晩のような祈り方はどこで習いましたか。と申しますと、私はただ夢中で祈らされたのです、と申されます。私は、祈りの仕方まで主が教え給うた以上、救いの話などはどうでも良しと悟らされ、早速二人で祈り出しました」
いかがでしょうか。
ヒラぴゃんさん、こんにちは。
わたしの信仰は福音派であり、with異言というものなので、生粋のペンテコステ派の人たちとは毛色がちがうかもしれません。
聖霊のバプテスマそのものはメソジストの時代から第二の恵みとして認識されてきたのであり、ただそれに異言が必ず伴うかどうかのちがいだけが問題でした。
まぁ、しかしそれにしてもこの青年が一年後・二年後にもクリスチャンであったかどうかは疑問に思います。
なぜならペテロもパウロもペンテコステ派の視点から「信じたとき聖霊を受けたか?」と聞いたのではなく、健全な信仰を持たなければならないという視点から、初信の者達を見て、どこが欠けているかを察し、足らない点を十分認識してから「信じたとき聖霊を受けましたか?」と訪ねたと思うのです。
異言を語ればそれで十分なのではありません。
もしそうならエルサレム教会の律法主義的傾向の問題もなかったでしょうし、コリント教会の不道徳に現れた律法廃棄論的傾向の問題もなかったはずだからです。
では。(後一日で連休ですね!)