リーダーになりたいと願う人はあまりいません。
それは責任を負いたくないからです。
しかしリーダー不在の団体は必ず問題が起きます。
この記事ではどの分野でリーダーになればよいのかを明らかにし、リーダーの要件を解説しています。
1.リーダーになりたいと願うのは傲慢なことではない
『リーダーになりたい者は仕える者になりなさい。上に立ちたいと思う者は身を低くして仕えなければなりません』(マタイ20:26,27)[リビングバイブル]
日本的文化のもとではリーダーになりたいと考えるのは傲慢(ごうまん)であると受取られがちです。
なぜならリーダーとはなりたいと思ってなるものではなく、人様(ひとさま)に請(こ)われてなるものであると考えられているからです。
しかしイエスはこれと正反対のことを述べておられます。
「リーダーになりたい」と思うことは悪いことでも何でもない。
問題は「どのようなリーダーになるか」であるとイエスは言われます。
皆さんの中にも「人の上に立ってみたい。俺(私)だったら、こうやるのに。もっとうまくやれるのに」と考えている方がおられるでしょう。
でもそんなことを人に言ったら「傲慢だと思われる。バカだと思われる」と恐れ、行動に移さないでおられるかもしれません。
このような方に対して「リーダーになりたいと思って良いのです。ただ、どんなリーダーになるかが問題なのです」と申し上げたいと思います。
2.イエスが教える真のリーダーとは人々に仕える人
人々に仕えるとはどのような意味でしょうか?
それは人々の必要が何かを探り、その必要を満たすことに全身全霊を尽くすことです。
人々の必要があなたに見えた分野が、あなたがリーダーになるべき分野です。
人々の必要は多様であり、霊的必要から始まって、精神的必要、物質的必要と色々あります。
病気の人の必要が見えたなら医療分野におけるリーダーを目指すべきです。
人権の問題についての人々の必要が見えている方は政治の分野においてリーダーを目指すべきです。
さて、あなたは人々のどのような必要が見えておられますか?
3.横と比べない
ヤコブとヨハネという二人の弟子の母親が、イエスがご自分が十字架に付けられるべきことを厳かに述べておられる真っ最中に「あのな、イエスさんな、お願いがあるんや。それはな、うちの二人の息子をイエスさんの次に偉い位に就けてほしいということや」と願い出たのでした。
ありのパパは個人的に、この母親はきっと関西出身に違いないと思っているのです(笑)。
横を見て「あの人は用いられている、それに比べて私は」という自己憐憫に飲み込まれてしまう人はリーダーにふさわしくない人です。
真のリーダーとは横を見ず、真っ直ぐ前を向いている人です。
横を見ないとは、どのようなことでしょうか?
たとえば自分の子供の必要が見えたら、両親はその必要を満たそうとします。
音楽の才能を有しているのが見えたらピアノなりバイオリンを学ばせて、音楽的才能を開花させてやりたいと思います。
このような時、両親は真っ直ぐ前を向いています。
この場合に前を向くとは子供の方を見ているということです。
横を向くとは「他にもっと才能がある子がいるかもしれないから、こんなことをしても無駄かもしれない」と考え、躊躇(ちゅうちょ)することです。
4.真のリーダーの要件とは?
人々の必要は何かということが気になり、それを満たすことを願って止まない人が真のリーダーです。
家庭という視点で見る時、母親が子供のリーダーになりやすいと思います。
というのは家庭で子供の必要を身近に知ることが出来るのは母親であるからです。
子供に「お腹すいた」と言われて、「面倒くさい」と答える母親はいません(たとえ心の中では面倒くさいと思っても(笑))。
子供の必要が見えている人が子供のリーダーになるべきであるように、それがどのような領域であり分野であったとしても人々の必要が真に見えており、その必要を満たすことに喜びを感じる人が真のリーダーと言えます。
人々の必要は何かを考え、そのために働く人が真のリーダーです。
私たち一人一人は置かれたところで、真のリーダーとなりたいものです。
◎平安と祝福を祈っています。