ユダヤ教ナザレ派がキリスト教になった日

ユダヤ教ナザレ派としてスタートしたキリスト教が名実ともに独立した宗教となっていく経過を見ていきます。
他と同じなら迫害はされません。
しかし他と同じなら存在意義はありません。
これを日本のキリスト教に当てはめるとどうなるでしょうか?

        

1.キリスト教が誕生したときの姿は?

キリスト教が生まれたばかりのとき、私たちが知っているような姿ではありませんでした。
多分ユダヤ人クリスチャンは土曜日にユダヤ教の礼拝に参加し、日曜日には主の復活を記念して共に集まり、愛餐をしていたと思われます。

救いの恵みに活かされて、毎日の生活を過ごすうちに、『古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました』となるのが一般的なクリスチャン生活です。
信仰生活初期は律法に拘泥されることはいたしかたないことではありますが、福音の恵みに活かされて日々過ごすうちに律法主義から解放されていくことが期待されているのです。

しかし古い習慣があまりに強い力をもって私たちを縛っている場合、そうならないときがあります。
エルサレム教会がまさにそうでした。
エルサレム教会はペンテコステの経験をもって宣教をスタートさせ、規模においても、影響力においても、その力は増大していきました。

しかし思いもよらぬことが起き始めていました。
『兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです』(使徒 21:20)
何万人ものユダヤ人が入信したにもかかわらず、入信後もユダヤ人の慣習とともに律法を守ることをやめなかったというのです。

        

2.初代教会の二つの流れ

上記の出来事に対して教会指導者は深刻な危機感を持ったことでしょう。
この危機感を背景にして、ヘブル人への手紙が書かれたと考えることができます。

パウロのように福音のみによって歩みを進める人と、エルサレム教会のように福音と律法の両方によって歩みを進める人々に、キリスト教は徐々に分裂していきました。

もちろんこれは分裂と言っても、片方だけが真実であり、もう片方はやがては古巣のユダヤ教に戻って行き、キリスト教としては消えていく運命にありました。

        

3.この世に迎合するなら迫害は止む

エルサレム教会の牧師であったヤコブは、入信後も律法を守ることをやめない信徒たちに律法を守ることをやめるようには指導せず、かえってそのような信者を恐れるようになりました。
その結果、ユダヤ人からは認められる存在となりました。
ただしそれは「ユダヤ教ナザレ派」としてです。(使徒の働き24:5)
そして迫害はやみました。

もしかしたらユダヤ人信者の律法的行為をやめさせないことが、迫害されない条件であったため、ヤコブ牧師を始めとする教会指導者は沈黙したのかもしれません。
しかしこの沈黙は神に見捨てられるに十分な決断でした。

この同じ時期にパウロは捕らえられたのですが、不思議なことにエルサレム教会のお膝元で起きた事件にもかかわらず、エルサレム教会は完全に沈黙しています。
パウロは自分の信じる信仰をあえて「ユダヤ教ナザレ派」と呼ばず、「彼らが異端と呼んでいるこの道」と言いました。
まさにこの日がユダヤ教ナザレ派がキリスト教になった日と言えるかもしれません。

        

4.全てを支配しておられる神のご計画

これらの出来事は人間的なレベルでみるならば、キリスト教が旧守派と福音派に分裂しつつあったと見ることができますが、実はそうではありません。
エルサレム教会がユダヤ教ナザレ派にとどまったように、キリスト教全体がそうしていたとすれば、キリスト教は現在存在していなかったでしょう。
そうならないために、御子の贖いの十字架の御業を無にしないために、人類に与えられた救いの道をふさいでしまわないために、神がこの計画を主導されたと考えるべきです。

        

5.これを現代に適用するとどうなる?

この文章を書いているときに二つのことが思い浮かびました。

一つは我が国のキリスト教です。

キリスト教会が「日本教キリスト派」と呼ばれて久しいです。
これはキリスト教が「ユダヤ教ナザレ派」と呼ばれているのと同じことです。

我が国のキリスト教が「彼らが異端と呼んでいるこの道」と自分たちを呼ぶ日が来るのはいつのことでしょうか。
キリスト教会が「日本教キリスト派」にとどまっているうちは、我が国のキリスト教の未来は非常に暗いと言わなければなりません。

二つ目はペンテコステ運動の母体となったホーリネス系教会のことです。

ホーリネス系教会は異言を決して認めようとせず、異言を語る者たちを教団から追い出しました。

現在ペンテコステ運動は一つの教派を形づくるのみならず、プロテスタント最大の教派となりました。
一方のホーリネス運動は今でも活発な教団として知られてはいるものの、福音派の優等生的存在となっています。
これはウェスレーがメソジスト運動を開始した当時、嵐のような反対と迫害にあったことを考えると、あまりの扱いの変わりように驚くばかりです。

どうしてでしょうか?
主張が受け入れられたからでしょうか。
それともエルサレム教会がユダヤ教に妥協したように独自性を発揮することをやめたからでしょうか?

◎平安と祝福を祈っています。

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