多くの日本人にとって自己一致と聞いても「それ、美味しいの?」状態ではないでしょうか?
アダルトチルドレンにとってはなおさらです。
この記事では自己一致するためのやり方を解説しています。
目次
1.自己一致とはどんな状態か?
①建前と本音の一致
建前とは「こうあるべき」というものであり、本音とは「こうしたい」というものです。
多くの場合に建前とは、社会の基準であったり、周りの人々による自分への期待であったりします。
これに対して本音とは「そうであるにもかかわらず自分はこうしたい」という欲求です。
②なぜ建前と本音を一致させるのは難しいのか?
「建前と本音を一致」させるというと、一般的にはそんなに難しいこととは思われません。
しかし、いざ実際にやってみようとすると途方に暮れます。
なぜなら多くの日本人にとっては本音を抑圧しすぎて、自分自身の本音が何なのか良く分からなくなっているからです。
③アダルトチルドレンが自分自身の本音が何かを知るのは至難の業
子供時代は生きていくのに必死であったために、自分の本音を大切にするなどという贅沢(ぜいたく)は言っていられませんでした。
しかし大人になって自分自身を大切にすることが出来る環境に変化したにもかかわらず、無意識のうちに子供時代のサバイバルの方法を頑(かたく)なに守り続けているのが、私たちアダルトチルドレンです。
2.自分と自分自身との一致とは、どのような営(いとな)みか?
①自分自身を無視しない
それはあたかもそこにいないかのように振る舞わないことです。
アダルトチルドレンは生まれてからずっと自分自身を無視して生きているので、自分自身を無視しているという事実にさえ気づいていません。
ですから何としても「自分が自分自身を無視している」ことに気づく必要があります。
そうでなければ話が始まりません。
自分自身を無視している人の自覚症状は自分の心が空(から)っぽというものです。
実は空っぽなのではなく、自分が自分自身の存在を無視しているので対話がなく、その結果心の中が空っぽに感じるのです。
自分自身を無視することを止めると、もう一人の自分自身との会話が始まり、心空っぽ状態は解消します。
②自分自身を抑圧しない
それは出来るはずという建前を押しつけないことです。
私たちは周囲からの期待や、自分の成功願望を満たすために高すぎる目標を立て、その実現に向かってがむしゃらに突き進んでいくことがあります。
そのようなとき無意識のうちに自分自身に言っていることは「これぐらい出来るはず」という建前の押し付けです。
自分自身は声を発しませんから、無理をさせるだけ無理をさせがちです。
しかしどんなことにも限度というものが存在し、その限界点を超えると「はい、それまでよ」という感じで動作停止に陥ります。
これは自分自身にしてみれば至極当然の働きなのですが、無知な自分にとっては青天(せいてん)の霹靂(へきれき)です。
丁度、自動車を運転していたドライバーが、バッテリが切れて動かなくなってしまった車に向かって「何で動かないんだよ!動けよ!」を叫んでいる様なものです。
この場合、運転手は「自分」であり、車が「自分自身」にあたります。
③自分自身に強制しない
それは何事も一つ一つ相談しながらやっていくことです。
自分自身を無視して生きてきたことに気づき、無視することを止め、出来るはずという建前を押しつけることを止めたら、今度はどのような毎日を過ごせば良いのでしょうか?
それは何事も自分自身と相談しながら一つ一つやっていく営みを始めるのです。
3.転機的経験と漸進的経験
多くの人は自分自身という存在にさえ気づいていません。
その中である人々は気づきを得て、新たな自分自身との関係という理解を持ちます。
しかし新しい理解を持ったという経験が、実際的な変化をもたらさないことがあります。
では、どうしたら実際的な変化を経験することが出来るでしょうか?
①今まで無視・抑圧・強制してきたことを自分自身に謝る
「気が付かなかったんだから仕方ないじゃないか!」という言い訳は無しです。
自分自身に謝るというと、なんか変な気がするかもしれませんが、やってみると効果があるのを体験することが出来ます。
夫婦喧嘩(けんか)でも、お互いに理解が足りなかった点や歩み寄りが足らなかったことなどが分かっても、何故かしっくりいかないときがあります。
夫婦関係が修復されないと感じるのです。
そのようなときは思い切って謝ってみることです。
「今まで無視していてゴメンね。また出来るはずという建前を押しつけて君を抑圧していたことを謝る。その上、君に相談もせずに物事を決めてしまっていた。赦してほしい。」
「謝る必要なんか無い。私だってあなたに同じことをしていたんだから」と相方(あいかた)は言ってくれるでしょう。
そして夫婦関係はかならず修復に向かって動き始めます。
②日々の営み
毎日、一日を始める前にひざまずいて「自分には自分自身を無視せず、抑圧せず、強制しないで生きることが出来ないことを認め、しかし神様になら自分を助けることがお出来になると信じ、自分の生き方と考え方を神の御心に合わせていくことを決心する」祈りをささげます。
このような毎日を過ごしていくと、自己一致した人生こそ満足のある人生の土台であることを知る日が必ずやってきます。
◎平安と祝福を祈っています。
ありのパパさんへ
お久しぶりです。復帰されて嬉しいです。腱鞘炎は大丈夫ですか?お大事になさって下さいね。
今日の記事、有難うございます。
>子供時代は生きていくのに必死であったために、自分の本音を大切にするなどという>贅沢(ぜいたく)は言っていられなかったのです。
カウンセリングをうけた時に「主婦はいつでも疲れているものでしょう?」とお若い女性のカウンセラーに言ったら「そんな話は聞いた事がありませんよ」と言われてビックリした事がありました。「そうか疲れる人生じゃなくて良かったんだ。」と生まれて初めて知りました。
また宜しくお願いします。
投資もコツコツ続けています。
初穂の恵みさん、こんにちは。
初穂の恵みさんは、コメント欄にコメントしてくださるのは、これが初めてになると思います。
それで他の読者の方に初穂の恵みさんの信仰的立場をお知らせいたします。
初穂の恵みさんの信仰的立場は福音派⇨福音主義です。(これで良かったでしょうか?もし異なる場合は申し訳ありませんが、追加のコメントをお願いいたします。)
これからもよろしくお願いします。
またコメントしてください。お待ちしています。
ありのパパさんへ
こんにちは。
また貴ブログの読者の皆様 はじめまして。宜しくお願いいたします。
慣れ慣れしくコメントをしてしまい申し訳ありません。
>初穂の恵みさんの信仰的立場は福音派⇨福音主義です。
「福音キリスト教会連合」と教会の案内には書いてあります。
なので「派」なのか「主義」というのかわかりません。
私が自己紹介の時に「福音派」と言ったかもしれません。
答になっていなくてすいません。
初穂の恵みさん、こんばんは。
コメントをありがとうございます。
こちらこそ、当たり前のように自己紹介をお願いして申し訳ありませんでした。
これに懲りずに、これからもよろしくお願いします。
こんばんは。ブログの背景等がおしゃれに変身していて、コメントするのが楽しくなってきました。
ところで私も、「自分自身を無視している人の自覚症状は自分の心が空(から)っぽであるというものです。」に当てはまると思います。何をしても満たされた感じがあんまりしないのです。
子供時代に、自分の本音は何かなんて考えたこともありませんでした。
「建前と本音を一致」させることって私にとってすごく難しいことのような気がしますが、
気長にチャレンジしていくしかないのかなと思っています。
こんばんは、めぐみさん。
コメントをありがとうございます。
ブログを始めて満三年になりましたので、これを機会にテーマを変えてみました。
気に入って頂ければ幸いです。
またコメントしてください。
お待ちしています。
はじめまして、JOYと申します!
ありのぱぱさんのブログをよんでいて、どうしても教えてほしいことがあるのでコメントしました。
私は聖霊様を欺く罪をおかしてしまって、神様に対して怒ってしまったのです。
ものすごく傲慢なんですけど『何でこんなにがんばってるのに、こんなに苦しめるの!?』『何で助けてくださらないのか?!』と…
そして何ヶ月も浮かばず、先日牧師様に真理が入っていないと言われました。
どうしたら神様の愛がわかるようになるのか、あと、愛する気持ちになれるのかわからないので、この2年間ずっと落ち込んだり上がったりの繰り返しで、それはおかしいとメッセージで聞きました。
ずっと祈っているんですが…、まだはっきりとわからないんです。
初めてのコメントなのに長々すみません。。
どうかアドバイスお願いします。
(自己紹介)
私は韓国人の牧師様の教会に2年ほど前から通っている信徒です。
教派は特になく。
○神様中心で聖書そのままを信じ行う
○聖霊様の働きを信じる
○あらゆる病の癒しを信じる(実際にてんかん、腰、目、あらゆる病の癒しがあります!)
教会です。
私はまだまだ神様のことがわかっていないのですが、子供の頃にお母さんに暴力をふるわれていた時期があり、お母さんに愛されていた弟に逆に暴力をふるっていました。
そしてお母さんにもやり返し、当時は本当に戦争状態でした。
あと、子供の頃から親がずっと喧嘩をしていて、お父さんがお母さんを殴っていました。
神様を受け入れて救われてからも何度も自分と人を比較したり裁いたり、よくなったと思って家に帰ったらまた悪くなったりと、ずっと浮き沈みを繰り返しています。
どうしても自分を高く見て『できる』と思い込んで努力し続けてしまう私がいます。
いつも教会や仕事場で緊張してしまいます。
怒られると前よりはよくなったのですが怖くなります。
長々すみませんがこれが私の自己紹介です。
宜しくお願いします
こんにちは、JOYさん。
初めてのコメントをありがとうございます。
所属なさる教派はコメントの内容から推察すると、ペンテコステ派か『聖霊第三の波』派ということになると思います。
教会のメンバーが異言をおおっぴらに語っているならペンテコステ派ということになるし、異言で祈ることを大切にしていなければ聖霊第三の波の教会ということになります。
JOYさんの幼年期のお話を伺っていて、私の幼年期を思い出してしまいました。
そのような家庭環境(機能不全家族といいます)で育つと、成人してから様々な社会的不適応があらわれることがあります。
この問題に対処するのは大変やりがいがあることです。
ご一緒に歩んでまいりたいと思います。
さて、「どうしたら神様の愛がわかるようになるのか、あと、愛する気持ちになれるのかわからない」というご質問のお答えです。
鍵になることは「自分」が「自分自身」を愛していたら、神様の愛もより深く分かることができるようになります。
また自分が自分自身を愛している分だけ、他人を愛することが可能です。
またコメントしてください。お待ちしています。
丁寧なお返事ありがとうございます!
自分が自分自身を愛するとは具体的にどうしたらいいんでしょうか?
心が冷たいと言われて、
私もその通りだと思いました。
こんにちは、JOYさん。
コメントしてくださり、ありがとうございます。
自分が自分自身を愛するための第一歩は、まず自分自身の存在に気づくことです。
自分とは別の、自分に一番近い隣人である「自分自身」の存在に気づくなら、そこから自然に歯車が回っていくようになります。
またコメントしてください。お待ちしています。
はじめまして。K.N.と申します。
新年早々申し訳ありません。
現在、アルコール依存症で入院中です。(一時帰宅中の2児の父)
自分も、自分自身の状況をACではないかと考えており、このページにつながりました。
ただ自分の場合、機能不全の家庭に育ったというよりは、兄弟に対する劣等感が強く、また小~中学校からいじめ(仲間はずれ)にあったために、生き延びる手段?として、親や他者の承認を強く求める(1 or 0)的な考え方をもっているようです。
ACの本を読み、「自分自身を認める(現在の)」がまず第1歩とあり、ありのパパさんもそのようにコメントされておられるようですが、ここの部分で非常に苦しんでおります。
(結局、自分自身から逃げてきたのではないかという自責の念、社会復帰しても繰り返すだけではないか、との不安に周期的に襲われます。)
初めて申し訳ありませんが、何かアドバイス、コメントをいただければ、幸いです。
(※)
なお、小生、特定の神を信じるような教育、環境になかったので、神、宗教については、深考えたことはありません。
よろしくお願いいたします。
こんにちは、ケイさん。
初めてのコメントをありがとうございます。よろしくお願いします。
自分自身を認めることに困難を覚えておられると受け止めてよろしいのでしょうか?
当ブログの2009/12/10~12の「心の傷と否定的態度の関係」をよろしければお読みください。
私は精神科医などの専門家ではなく、自分がアダルトチルドレンであることを自覚し、そこからの回復を目指している者に過ぎません。
ですので専門的なアドバイスを差し上げることは難しいと思います。
そのことを了解していただいた上で、ともに回復の道を歩ませていただきたいと存じます。
現在、正月の期間中サーバーの引っ越し作業をしております。
新サーバーへのDNSがインターネット上に浸透するまで三日程度の時間が掛かるとのことです。
その期間中、ブログが表示されないときがあります。
ご迷惑をお掛けします。
ありのパパより