今日は皆さんとご一緒に、スモールグループの実際的な面に的を絞って考えます。
1.言いっぱなし・聞きっぱなしで問題は解決するか?
言いっぱなし・聞きっぱなしだけでは問題が解決しないのではないかという疑問があります。
確かに表面的には相手が困っていることに対して的確にアドバイスをしたほうが良いように思われます。
しかしそれをやってみるとなかなか理論通りにはいかないのを体験します。
多くの場合に先週の集まりで出された問題が性懲(しょうこ)りもなく同じ人から出されます。
それで他のメンバーは内心では「またかよ!」と思いつつ、実際には能面のような顔をして時間が過ぎるのを待つということになります。
それで実際にやってみて一番効果があるのは言いっぱなし・聞きっぱなしのルールで集まりを開くことであるのを納得するようになります。
2.人々が相談を持ちかける本当の理由
人々の相談を受けていると「どうしたら良いと思う?」と聞かれることがよくあります。
このようなとき気を付けないといけないことは、その質問に答えてはならないということです。
なぜなら人々が本当に求めているのは、ただ話を聞いてもらいたいということであるからです。
優先しないといけないことは「その方の主訴(しゅそ)は何か?」ということです。
それが分かる前に質問に答えてしまうと時間を浪費することになります。
よくあるのは、相手が「どうしたら良いと思う?」と尋(たず)ねるから自分なりの回答を答えたのに相手が納得しないというケースです。
そればかりか「あなたになんかもう相談しない!」などと相手に逆切れされて「あんたが『どうしたらいい?』と聞くから無い頭をひねって考えたんやないか!」ということさえあります。
こうなってしまう理由は相談を持ちかけた方は本当は回答を求めておらず、別のものを求めていたにもかかわらず、言葉の表層的な面にのみ囚われて相手の真意を読み取り損ねたというところにあります。
3.問題を解決するのは人間か、それとも神か?
困っている人の話を聞いていると私たちは「何とか役に立つアドバイスをしなければ」と思いがちです。
そのようなとき実は「私が何とかしなくちゃ!」と思っています。
もちろん神は私たちを通してお働きになりますから、そのように考えることは全くの的外(まとはず)れというわけではありません。
しかし神は第一義的に私たち個人を通してではなく、「私たち」という人間関係を通して働かれます。
これはどういうことでしょうか?
「私が話したとき、他のメンバーはただ黙って聞いてくれた。このようなことは自分の人生で初めての体験だ。私の親も兄弟も親戚も先生も皆、こうせい、ああせいと指示ばかり命令ばかりだった」
このような体験をした人の心に神が働かれるようになります。
多くの場合に私たちは神が人の心に直接働き掛けようとしているのに、お節介にも神の代わりをしてしまい、神の働きを台無しにしてしまっているのです。
4.カウンセリングとグループミーティング
カウンセラー同士でグループミーティングをやると、奇々怪々なミーティングになりがちです。
発言者はクライアントであり、話を聞いている自分はカウンセラーであると脳内変換をしてしまうからです。
話をしている人に「うん、うん、なるほど」と反応してしまいます。
こうなってしまうと、そのグループはなかなかうまくいきません。
なぜなら素の自分なら「そんなん、おかしいやろ!」と感じるはずなのにカウンセラーのお面を被って心の中で「なるほどね~」などとやっているからです。
自分が解放されてなくて、どうして人さまを解放することが出来るでしょうか?
神はありのままを生きる人を通してお働きになります。
ありのままを生きる人とは自分は無力であり、人を癒すことなど出来ないのを認め、しかし神様になら人を癒す働きをなすことができると信じ、そのために自分の意志と生き方を神の意志に従わせる決心をした人のことです。
私たちお互いはそのような者として歩んでいきたいものです。
◎平安と祝福を祈っています。