なぜ人は偶像礼拝に走るのか?

旧約聖書の列王記第一はダビデ王朝の二番目の王であるソロモンについて記されています。
今日は皆さんとご一緒に、ソロモンの生涯について考えます。

1.ソロモンの光にではなく闇に焦点を合わせる

ソロモンについて書かれた聖書以外の文章を読むと、良いことしか書かれていないような気がします。
たとえばソロモンが神様から受けた祝福について「神の御前で謙遜になり、神に知恵を求めることが、神様から祝福を受ける秘訣であり、このことは全ての人に当てはめることが出来ます」みたいな文章です。

しかし列王記第一を注意深く読むと明らかなことは、ダビデが生涯を通して神に祝福されるばかりでなく「永久(とこしえ)までも祝福される」と神に約束されたのに比べ、ソロモンは生きているときは確かに祝福されたが「死後に神の裁きを受ける」と神に宣告されていることです。

ですからソロモンの生涯について学ぶときはソロモンの成功と祝福に焦点を合わせるのではなく、なぜソロモンは晩年に至って神から離反してしまったのかに焦点を当てて学ぶことが大切なことになります。

もし私たちがソロモンの失敗から学ばず、ソロモンの成功と祝福からだけ学ぼうとするなら、私たちは結局ソロモンが受けなければならなかった神の裁きをも同様に受けることになってしまうでしょう。

2.ソロモンが偶像礼拝に走った原因

ソロモンには正妻(王妃)が七百人、妾(そばめ)が三百人いました。
その多くは唯一の真の神を信じない異邦人でした。
ソロモン王は「唯一の真の神を信じるイスラエル人以外の女性を格別に愛した」と聖書にはあります。
この偶像礼拝を行う女性たちの影響を受けて、ソロモンは晩年に偶像礼拝に陥りました。

現代に生きる私たちから言わせるなら「そんなことは当たり前のことであり、本当の神様だけを信じる者以外との結婚が破綻するのは目に見えている」ということになるかもしれません。

しかしそれではなぜ聡明なソロモンが異教徒と結婚したのか、また偶像礼拝に走ったのかを本当には理解することはできません。
聖書に本当の理由が書かれていませんので推測の域を出ませんが、現代に生きる私たちがソロモンと同じ失敗を犯さないために、ソロモンの生涯から教訓を学ぶことが大切なことになります。

ここからはありのパパの理解を解説します。

3.虚しさから逃れるために人は偶像を使う

偶像礼拝に陥る理由は心が空っぽだからです。
神でなければ満たすことの出来ない心の隙間(すきま)・空洞(くうどう)が、全ての人にあります。

その空洞を神以外のもので満たすことを偶像礼拝といいます。
心が寂しいと感じ、その寂しさをアルコールによって満たそうとするなら、人はアルコール依存症になります。
心の隙間を大麻や覚醒剤によって埋めようとするなら薬物中毒になります。
同様に煙草が含むニコチンによって心を紛らわそうとするなら、その人は50%の確率で肺ガンで死にます。
セックス依存症も仕事中毒も原因はみな同じです。

心の空洞の正しい満たし方が分からないとき、人は手っとり早いやり方で心を満たそうとしがちです。
しかし、それは死の道であり、その終わりは破滅です。

4.虚しさの原因はその人の生育歴からくる

心の空洞は神様との人格的交わりだけが満たすことの出来るものです。
ある人は「要するに祈れば良いのね」と仰(おっしゃ)るかもしれません。
しかしそうではありません。
ただやみくも祈っても心の空洞は満たされることはありません。
自分の空洞はどのようなものなのかを知って、それに応じた祈り方をすることが必要です。

ソロモンは多くの女性を求めましたが、考えられる理由を推測すると、一つは母親から受けることの出来なかった愛情を無意識的に他の女性に求めたのではないかということです。
このように考えると「分かっちゃいるけど、止められない」本当の理由が見えてきます。

原因を自覚できると、母親に求めるべき愛を他の女性に求めても仕方のないことであると理解できます。
そうすると少なくとも不適切な行動に対する心理的ブレーキが掛かることになります。

5.心の隙間の正しい満たし方

①神を神とし、自分を罪人と認め、自分の意志と生き方を神に委ねる

自分を罪人であるとするとは、自分がある特定のものに対してコントロール不能であるのを認めることです。

神を神とするとは、神様ならこんな私をお救いになることが出来ると信じることです。

自分の意志と生き方を神に委ねるとは、今まで正しいと思い込んでいた自分の考え方や生き方を神が聖書を通してお示しになる生き方へと転換していくことです。

②神を愛し、自分自身を愛し、自分自身を愛するように隣人を愛する

本当に神を愛していたら自分自身をも愛するようになります。
しかし、心のどこかで自分自身を愛せない思い、赦せない思いを抑圧していて気づかないようにしている場合、その自分自身を愛せない思いがネックとなって、神を愛することも、隣人を愛することも妨げられます。
ですから自分自身を本当に愛しているか赦しているかを確認することは生命的に重要です。

③神との人格的交わりを継続的に持つ

ある方は「神を愛しているのに、隣人を十分に愛せない自分はだめな自分だ」と御自分を裁いておられます。
しかし自分を裁く暇があったら、どこに問題があるかを「温かな眼差(まなざ)しを持った冷静な観察者」として探ってみることです。
このような営みこそ、私たちの人生に悔いのない永遠の祝福をもたらすものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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