1597年2月5日は(キリスト教)キリシタン二十六聖人殉教の日

1597年2月5日、二十六人のカトリック信徒たちが十字架に掛かって殉教しました。
[以後よく]伝わるキリスト教と暗記した1549年に始まったカトリックの宣教は60万人から300万人がキリシタンになるという大成果を収めました。
しかし[以後苦難]と暗記した1597年に大殉教が起きてからはカトリックにとって苦難の時代が続きます。
江戸幕府が倒れた1867年から足かけ7年後の1873年の禁教令の撤廃まで、276年間の弾圧と迫害を耐えねばなりませんでした。

1.ホーリネス弾圧とキリシタン弾圧の共通点

太平洋戦争直前にホーリネス教会が弾圧されました。
ホーリネス弾圧とキリシタン弾圧の間には共通点があります。
それはキリスト教が政権の維持に役立つ間は保護したり、あるいは黙認しますが、政権の維持の邪魔になると弾圧するということです。

①キリシタン

織田信長を初めとする為政者はその当時強力な勢力を誇った一向門徒(浄土真宗)を恐れました。
それで新興勢力のキリスト教に肩入れすることで一向門徒の勢力をそごうとしました。
また神父たちを仲立ちとする海外貿易から受ける利益を欲しがりました。

しかし政権の基盤が固まってくると、キリスト信仰の神への忠実さは国家支配の邪魔になると考えるようになりました。
また宗教勢力もその頃には弱体化しており、警戒しなければならない相手ではなくなっていました。
その結果、支配者たちはキリシタンの根絶に乗り出しました。

②ホーリネス教会

明治維新から続く神道原理主義政府にとってキリスト教は目の上のたんこぶのような存在でした。
しかしキリスト教を禁止したままでは諸外国との交易や条約交渉は不可能でしたのでやむなく禁教令を撤廃しました。

それが昭和の時代になり、国内の民主主義勢力は根絶され、キチガイ犬のような神道原理主義者の天下になると、政府はホーリネス教会に手を延ばしてきました。

③両者の迫害の共通点は当時の政府が神道原理主義によって国を治めようとしたこと

ここから明らかなことは日本における政府は非常に神道原理主義の影響が強いということです。

大正時代は憲法擁護運動が盛んに行われ、民主主義勢力が伸長しました。
しかしその裏では神道原理主義勢力は着々と策謀を巡らしていました。
そして昭和の時代に入ると、民主主義勢力はことごとく根絶やしにされました。

現在の日本でも自民党に属するほとんどの国会議員が神道原理主義団体である「みんなで靖国神社に参拝する会」のメンバーです。
この事実はいつでも戦前のような状態に逆戻りする危険性があることを示しています。

2.ホーリネス弾圧とキリシタン弾圧の相違点

キリシタン迫害のときは宣教師が全員国外追放になり、ホーリネス弾圧のときには教職は全員牢獄に囚われの身となりました。
しかし残った信徒たちによって構成される教会の反応は全く異なるものでした。

①キリシタン信徒の対応

キリシタンたちは信徒組織である「講」を組織し、講ごとに世話役を置きました。
祈りの言葉は暗記され、世話役の交代の際に伝承されていきました。

驚くのは、その伝承の正確さです。
本国では廃れてしまって歌われなくなったグレゴリオ聖歌が隠れキリシタンの中で歌い継がれていたのが、最近明らかになりました。
祈りの言葉も意味するところは分からなくなっても、発音だけは正確に覚えられていたそうです。

こうして約三百年の間、地下に潜伏して彼らは信仰を守り通しました。
長崎に開国後初めて教会が出来たとき、何千名もの隠れキリシタンが名乗り出たのでした。

②ホーリネス教会信徒の対応

教職がいなくなったホーリネス教会の信徒はクモの子を散らすように散り散りばらばらになりました。
牢獄に面会にくる信徒は誰一人なく、かえって教会を解散する手続きを嬉々としてやってのける信徒もいたようです。

3.教理教育と信徒組織

①キリシタンの教理教育

キリシタン時代のカトリックは教理教育をしっかりやっていました。
これが何を意味するかというと、論理的に信仰を捉えることを意味しています。

それに比べてホーリネス教会は「救いの確信」と「全き聖潔」の信仰体験を強調しました。
信仰体験というと聞こえは良いのですが、それはある面では信仰を感情面でのみ捉えるということでもありました。

キリシタンたちは教理教育のおかげで堂々と自らの信じる信仰を弁明することができました。
人々に信仰を分かりやすく伝えることが出来るというのは実に大切なことです。

②キリシタンの講組織

キリシタンの講組織は今でも存在しているものがあります。
それぐらい信徒組織は強力なもののようです。
初代教会も家の教会を中心にして活動が行われていたのを聖書から知ることが出来ます。

私たちの現代キリスト教会はどうでしょうか?
プロテスタントにもセルグループはあります。
しかしセルは信徒組織ではありません。
なぜなら信徒組織とは信徒のみによって構成される集まりであるからです。
集会の報告を牧師にすることを義務づけられているようなものを信徒組織と呼ぶことは出来ません。

60万人から300万人という数字は当時の人口からすると4%から21%ということになります。
私たちの国には確かにキリスト教がリバイバルしていた時期があったのです。
一度あったことは何度でも再現可能です。
混迷の時代といわれる現代にあって十字架の旗を高く掲げて前進しようではありませんか!

◎平安と祝福を祈っています。

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