自己受容・他者受容を普段の生活の中でどのように活かしていけばよいでしょうか?
具体的に詳しくご説明します。
①傾聴
これはただ黙って聞くというのではなく、相槌(あいづち)を打ちながら相手のお話を聞くということです。
「えぇ」「なるほど」など相手の話をさえぎらない言葉を使いながら、お話を伺います。
ある県の教育相談センターの所長さんが「カウンセラーに『しゃべっちゃ駄目ですよ』と言うと、皆さん『はい、分りました』と答えられるのですが、いざ現場に出てみると、黙って話を聞けるのは三分間で、あちこちのブースからクライアント(相談をしにきた人)ではなくカウンセラーの声が聞こえてくるのですよ」と仰っておられました。
どうしたら黙って人の話しを聞くことが出来るようになるでしょうか?
一つ目は、口にしてもよい言葉をあらかじめ決めておくこと
一番良いのは「えぇ」と「なるほど」でしょう。
それ以外の言葉を口にしないと決めておいてから人の話しを聞くと、気がつくと自分がしゃべっているという失敗を防ぐことが出来ます。
二つ目は時間を限定することと
一般的なカウンセリングですと1セッションが45分から50分ですが、日常生活において行われる相談ごともこのぐらいの時間に限定するのです。
これより短いと相手に物足りなさを感じさせることになり、逆にこれより長いと相談を受ける側の集中力が途切れがちになります。
三つ目は、はじめの30分間は傾聴に徹すること
ありのパパは心の中で「よ~し、30分経ったら、しゃべり倒してやる」と思いつつ、傾聴に全力投球しています。
そうすると自分ばかりが聞き役になって損だという思いから守られて、気持ちよく話を聴けるのです。
②繰り返し
繰り返しとは相手の話を山のこだまのように返してあげることです。
例えば、このように言います。
「あなたのお話をちゃんと聴けているか確認したいのですが、こういうことでよろしいでしょうか。」
これは大変有効で、相手の方は自分を鏡に映すのと同じ効果があり、自己洞察が進みます。
また脈絡なく話しがあっちこっちに飛ぶことを防いでくれます。
③支持
支持とは、言葉どおりの意味ではなく共感的理解を示すということです。
例えば、人を殺したというクライアントに「なんら悪いことではない」と言うのは同意です。
そうではなく「そうせざるを得なかったお気持ちがおありになるのでしょう」というのが共感です。
これは頭を使うことであるとともに、道徳的にがんじがらめになっていると実行不可能なことです。
そのためには自分を文化人類学者だと思って、未踏の僻地にでも行ったと思うことです。
そうすれば自分の尺度で人を測(はか)りませんから、大抵のことは受け入れることがてきます。
④質問
原因を追究するために質問をするのではありません。
クライアントに気づきが与えられるような質問をします。
また否定的でなく、支持的質問を心がけます。
たとえば「同じ立場だったら私もきっとそうしたと思うのだけど、聡明なあなたがなぜこのようなことをしたのかについて、あなた自身はどのようにお考えでしょうか?」
⑤明確化
明確化とは、クライアントがうすうす感じていることを明確にしてあげることです。
決してクライアントが思ってもいないようなことを「いや、こうに違いない」と押し付けることではありません。
この文章をお読みになられている方々は「そんなことするはずないじゃないか」とお思いかもしれませんが、実際はこのようなことは日常生活では往々にして起きています。
ありのパパがインターンをしているとき、「夜寒くて眠れない」という話しをしたことがありました。
そうしたところ相手の方はグッドアイデアとばかりに、ありのパパに「寝る前に電気毛布で寝床を暖めておいて、寝るときに電気毛布のスイッチを切ればよい。ねぇ、そうしなさいよ」とさかんに仰るのです。
しかし、その時ありのパパには電気毛布を買うお金がありませんでした。
お金がないという問題は、ありのパパと神との関係の中で解決することであると考えていましたから、お金がないということをその方に言うことをしませんでした。
同意しないありのパパを不可解に思ってか、その方はなおも強力に電気毛布を購入するように勧め続けるのでした。
その時ありのパパは「明確化とは相手がう・す・う・す感じていることを明確にすることである」と実地で学んだのでした(笑)。
◎平安と祝福を祈っています。