今は「私はカウンセラーじゃないから、カウンセリングは出来ない」という言い訳が通用しない時代でもあります。
職場でも地域でも学校でもリーダーがグループメンバーのカウンセリングをしなければなりません。
その時に慌てふためくことなく、カウンセリングの業務につけるなら幸いです。
そこでカウンセラーの心構えとはどんなものかを考えます。
1.自己一致
①自己一致していない自分に気づく
自己一致とは建前と本音が一致していることですが、これが完全に出来る人はおりません。
ではどのような状態を目指せば良いかということになりますが、まず第一に自己一致していない自分に気づくことです。
会社の営業会議などで上からおりてきた数字をそのまま部下に押し付ける中間管理職がいます。
部下の人たちはそんな管理職を心の中では「アホか!」と蔑(さげす)んでいるのです。
やらなければならないという建前と、出来る訳ないという本音を別々のままで放置していると、このようなことになります。
②建前と本音を近づける努力
第二に分離している建前と本音を少しでも近づける努力をすることです。
中間管理職の例で言えば会社の上層部に対しては数字の実現可能性について上申し、部下に対しては目標達成の必要性を具体的に説得力を持って述べる努力をすることです。
主体性が弱すぎては板挟みになってしまいます。
逆に主体性が強すぎると気が付くと一匹狼になってしまいます。
丁度良い加減を自分で見つけ出すことが大切です。
2.相手への共感的理解
①条件付きの受容か、無条件の受容か
私たちはずっと目標を目指して努力するという生き方をしてきました。
目標を目指して努力すること自体は良いことです。
しかしその際に「達成できたら受け入れられ、達成できなければ受け入れられない」という条件付けをされると厄介(やっかい)です。
何が厄介かというと受け入れられている安心感をもって努力するとき、それは楽しみとなり喜びとなります。
しかし達成できないと受け入れられないと思うと人は強迫的になります。
強迫的とは心に余裕が無くなることです。
そのような人は他の人々にも同じ物差しを当て「お前も必死で頑張らんかい!」と強迫的に迫りがちです。
②行いに焦点を当てるのではなく存在に焦点を当てる
人と人が平和の絆で結ばれるために必要なものは何でしょうか?
それは人間関係の基準を「これまで何が出来たか。これから何が出来るか」というところに置かないことです。
そうではなく目の前に存在するありのままの姿の人々をそのままで受け入れることです。
これは難しいことですし、骨が折れることです。
行いに焦点を当てる関係は破綻することが必定ですが、破綻するまでは案外お気軽でいられるものです。
それに対してありのままを受け入れる関係は相手がそのままでいい分、こちらは何倍も動かなければならなくなります。
それでもなおこのような人間関係は破綻せず永続的に続きますから報いが大きい人間関係であるといえます。
3.どうしたらそのようなカウンセラーになれるか?
①霊的目覚めを体験していること
霊的目覚めとは人生における転機的経験ということです。
人生において転機的経験はいくつもありますが、ここで言う霊的目覚めとは「こうあらねばならない」という囚われからの解放です。
分離主義カルトの人々のブログを拝見すると勇ましいったらありゃしません。
「あれもこれも十字架につけるのだ。あっ、霊と魂は切り分けね」(笑)。
これが即ち「こうあらねばならない」に囚われている人の姿です。
霊的目覚めとは救われているにもかかわらず、なお更に救われようとする心の有り様からの解放といってよいかもしれません。
②人権に関する時代感覚を身に付けていること
以前であれば問題にならなかったようなことが現在では訴訟の対象になることがあり得ます。
もちろんカウンセラーや牧師・神父というような人々が下心を持って相談者や信徒に近づいたのであれば、それは論外です。
しかし悪意がなくやったことであっても法的対象になることがあります。
こちらに悪気がなくても相手の方がそこに悪意を感じるなら、それは間違ったことであるのです。
たとえば以前のカウンセラーは親近感を現すためにクライアントの肩などに触れるようなことがありました。
しかし現在ではそのような行為はセクシャルハラスメントとして訴えられる危険のある行為です。
それ以外にも親愛の情を現す方法はいくらでもありますから、ありのパパは現在では決して相手の体に触れることをいたしません。
カウンセラーは小さなキリストです。
私たちは小さなキリストとなって周りの人々の魂のお世話をさせていただきたいものです。
◎平安と祝福を祈っています。