ある人が教団(組織)は人間が作ったものであり、本来聖書にないものであると言いました。
この人の結論は人間の手による教団から出て、聖書に忠実な教会(キリストの体)に集うということでした。
そこで教団と教会に違いはあるのかを考えます。
1.間違いや不正があることが神からのものでない証拠にはならない
イエスご自身が運営されたイエスの弟子団でさえ、イスカリオテのユダが不正な財政支出を行いました。
もし間違いや不正があることをもって人間が作ったものであると言うならイエスが作られたイエスの弟子団ですら聖書に基づかない人間が作った代物(しろもの)ということになります。
初代教会にも配給が一部の人(生粋のユダヤ人)にしか行き渡らないという不正の問題が存しました。
彼らから見ると初代教会もやはり聖書に基づかない人間が作った組織ということになるのでしょうか?
2.純粋さを主張している教会にトラブルが続発している理由
彼らが言う人間が作った偽りの教団組織から出て、純粋な聖書に忠実な教会に移った人の中で信仰の虐待が行われているのはなぜでしょうか?
それは聖書に忠実で純粋なはずの教会もまた人間が作ったものに過ぎないからです。
どんなに純粋な教会であっても人が作ったものであることに代わりはありません。
元々教会という集まりにはエクレシアの部分と人間が作った組織の両面があります。
この両面はイエスがお作りになられたイエスの弟子団にも初代教会にもあったものです。
だからこそ神の御心を実現することも出来たわけですし、その一方で間違ったお金の処理が行われるという失敗もあったのです。
それを意図的に教団=組織、教会=キリストの体と切り分けるところに間違った認識の原因があります。
「教団は人間が作った組織であり、教会はキリストの体である」などと聖書に基づかない全くのデタラメをいくら言ったところで問題は少しも解決しません。
それは既存の教会から脱出した人たちで作る純粋なはずの教会の中に人権侵害と言わなければならないような問題が続けて起きていることを見ても明らかです。
3.偽りの教えが流布される原因は何か?
①幼児性
自分の考えたことだけが正しく、それを認めない人は間違っていると思い込んでしまうのが幼児性の強い人の特徴です。
②社会性の欠如
問題は社会性が欠如していることではなく、それを認識していないところにあります。
認識していればある程度ブレーキが掛かるからです。
③全体を見る視点の欠如
ある人が事実に基づいて腐敗・堕落した牧師を批判すると、自分と牧師という関係からしか物が見えない人はその真っ当な批判をした人に反発を覚えます。
取って付けたような屁理屈を並べますが理屈は関係がありません。
ただただ反発を覚えるのです。
いつまでもこのような所にいないで成熟したクリスチャンとなることが求められています。
私たちは三流の評論家のような真似をせず、逃げないで留まり続け、教会が神の御心に少しでも近づくように努める責任があります。
◎平安と祝福を祈っています。