カウンセリングの基礎になるものは自己一致・共感的理解・肯定的配慮

カウンセリングの基礎になるものは何かを考えます。

1.カウンセラーはテクニックだけを学んでそれだけで良しとしてはならない

カルト教会の被害者の方からお話をお伺いすると、カウンセリングの名のもとに信仰の虐待が行われていたことが分かります。
果たしてその教会の牧師が初めから悪意を持ってカウンセリングを洗脳の道具として使おうと考えていたのか、それとも知らず知らずのうちにサタンの惑わしに乗ってしまい気が付いたら信仰の虐待を行っていたのかは分かりません。

もし前者であるとするなら論外であり、これは社会的制裁を受ける対象となります。
しかし後者であるとするならば、私たちは他山の石として自戒する必要があります。
ではどのような点に気を付ければ良いのでしょうか?

2.自己一致

第一に本当の自分の姿が見えていなければなりません。
第二にその本当の自分自身を「それでも良い」として受け入れることです。

これは言葉で言うと大変簡単であり、誰でもが分かったような気になります。
しかし頭で分かったつもりになるのと心で本当に分かるのは全く別のことです。

あなたが誰かにイライラを感じているなら、あなたは自己一致していません。
たとえば時間にルーズな人にストレスを感じているとしたら、それは実は時間にルーズな自分自身をあなたが裁いているからです。

「時間にルーズでも良い」と自分自身を受け入れていたら時間にルーズな誰かを裁くことは決してありません。
かえって同病愛憐れむということで「こうしたら時間に遅れなくて済むよ」と自分の経験を分かち合うようになります。

カウンセリングの名のもとに信仰の虐待を行うのは牧師が自己一致していないからです。
悲しいときに泣いた人に「イエス様が涙をぬぐい去ってくださったのだから泣いてはダメ」と言った牧師がいます。
これはその牧師自身が自分自身に対して「いつも元気で生き生きとしていない自分」はダメな存在であると自分自身を裁いているからです。
もし「泣かざるを得ない自分であってもOK!」と自分自身を赦し受け入れているなら、信徒がたとえメソメソと泣いたとしても否定的反応が引き出されることはありません。

3.共感的理解

共感的理解とは「あなたも私も共に神の子ではないか」という温かい思いやりのことです。
ある人が「確かにクリスチャンは神の子ですが、未信者に対してはどう思えばいいんですか?」と質問されました。
それに対しては「クリスチャンは現役・神の子です。未信者は元・神の子です。そしてこれから現役・神の子になるかもしれない存在です」と答えました。

どちらにしても神によって作られた神の作品であることに代わりはありません。

4.思考枠組みへの肯定的配慮

肯定的配慮とは「どうしたらこんな自己中心になれるのか」と思うような人に対して、そのように考えざるを得ない生育歴があるのだと慮(おもんぱか)ることです。

今でこそ離婚は珍しくなくなりましたが、以前はクリスチャンが離婚をすると所属教会に出席できなくなりました。
これは規則でそのように定まっているからではなく、失敗者でも見るような教会員の視線に耐えられず教会から離れてしまうからでした。

肯定的配慮とは「あの人は落伍者だ」と裁くのではなく、「私もあの方と同じような環境で育ち、同じような事情があれば、あの方と同じような行動をしたであろう」と考えることです。

5.自己分析を続ける

「僕は罪人じゃない。なぜかって言うとイエス様に救っていただいたからさ」と言った教会学校に通う少年がいました。
大変微笑ましい光景ではあったのですが中々考えさせられるものを含んでおりました。
罪人のままで救われ、救われても罪人でなくなるわけではないというのが真実です。
子供が言うと微笑ましいのですが、大人がこれを言うなら笑い話ではすまないことになります。

しかし多くの熱心なキリスト者がこれと同じ間違いを犯しています。
ある人は救われたから大丈夫と言い、ある人は聖霊のバプテスマを受けたら大丈夫と言います。
あるカルトは魂と霊を切り分けたら大丈夫と、全く聖書に根拠のないホラを吹きます。
聖書が教える真実は光の中を歩みつつ、気づきを日々に得ることです。
これがクリスチャンの信仰生涯なのです。

○我が国において「カウンセリングの教科書」と見なされている書籍をご紹介します。
三十年前に出版されたものですが依然として輝きを失っておりません。
どうぞ皆様もお読みください。

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◎平安と祝福を祈っています。

2件のコメント

  1. はじめまして。
    僕は岡山県在住で、現在は福音派の教会に所属している、ユミたんといいます。
    日頃は労働組合(ご存知かどうかわかりませんが、全労連所属。)で専従職員として働いています。

    さて、職務上、労働相談(突然解雇されたなど)を受けることがあります。
    また、社会には寄り添いホットラインという電話相談もあります。
    しかし、僕のような労働組合の場合は、「労働基準法上はこうで、その場合はこうしたイイですよ」「では、組合に加盟していただき団体交渉いましょう」と極めて方法論的な解決になります。
    一方、寄り添いホットラインでは傾聴型の相談になり、相談者の不安や悩みを和らげることがメインとなります。(必要とあれば弁護士などの専門機関を紹介しているようです。)

    僕は社会をよくしたい思いで労働組合で働くという道を選択しました。
    しかし、いくら団体交渉で個人を救ってもその人の生き方そのもの、意識を変えることはできません。
    寄り添いホットラインも同様に個人の生き方そのものを変えるには至りません。
    いわゆる牧会カウンセリングのように人の生き方を変えることにはならない。
    当然、牧会カウンセリングが万能であるというわけではないですが。

    人の生き方を変える、意識を変えるために聖書の知識を活用できないだろうかと、クリスチャンでもあり、社会活動家でもある僕は考えています。

    聖書観が貧困・格差を解決できる道を示してくれるような気がしています。

    1. こんにちは、ユミたんさん。
      初めてのコメントをありがとうございます。

      福音派教会所属で労働組合専従者とのこと。
      「時代は変わったな」という感慨があります。
      岡山というとクリスチャンの社会活動家や実業家を多く輩出していますね。
      ユミたんさんも、神様の愛が社会へと流れ出て、社会を改変していくお働きをしておられるのですね。
      どうぞ、神様がユミたんさんとその働きを祝してくださいますようにと祈ります。

      これからもよろしくお願いします。
      またコメントしてください。お待ちしています。

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