分離主義カルトの人々のやり口と、カルト的思考に陥る三つの原因

分離主義教会の牧師や信徒と見られる人々の言動を検証します。
次になぜカルト思考に陥るのかについて考えます。

        

①分離主義カルトの牧師のやり口

分離主義教会の牧師が自分の教会の元信徒を刑事告訴した事件があります。
この牧師は元信徒が書いたコメントの削除要求を拒んだブログ主催者に対しても刑事・民事両面からの告訴を予告しました。
また他のコメントをした人々に対しても告訴をちらつかせました。

しかし現時点でこの牧師が告訴に踏み切ったのは元信徒へのものだけです。
ブログ主催者に送ったメールは今すぐにでも告訴することを匂わす文面でしたが二ヶ月が経った今も音沙汰なしです。
この世においては訴訟する際に相手を心理的に追い詰め、自分の立場を有利にするために「じらし作戦」とでも言うべきものを行うことがあります。

この分離主義教会の牧師はまさかこの世の人々が使うのと同じ手をご自分が使っておられるのではないでしょうね?
クリスチャンがこの世の人と同じであってはいけません。
誠実であることが必要とされています。

この方はニホンキリスト教をボロクソに貶(けな)し続けているのですが、ご自身のやり口はご自分が貶している者たちより余程悪質であると言わなければなりません。

        

②分離主義カルトの信徒のこと

カルト被害者救済の働きを非難するブログを書いておられる信徒がいます。
その内容の異様さにブログを読んだ人々はただならぬものを感じたようです。

しかしその中でも決して見過ごすことが出来ない偽りが含まれていました。
一つはそもそもの騒ぎの発端を作ったのは自分自身であるという認識が全く欠けています。
あくまで自分は被害者であるという立場です。

こんな身勝手なことはありません。
ご自分が問題の発端であるにもかかわらず被害者面をするのは許されることではありません。

分離主義カルトの人々の主張の特徴は「自分は全然悪くない。相手に全部責任がある」というものです。
根拠が乏しい独りよがりの正義感がこうじ、相手への呪いのオンパレードが書き綴られることになります。

この分離主義の信徒は刑事告訴された元信徒は「自称被害者」であり、自殺は狂言であると断定しておられます。
それでいてご自分のことは「真の被害者」を自称しています。
どうしたらこんな手前勝手なことが言えるのでしょうか?
一体どんな脳味噌であれば、こんなひどいことが書けるのでしょうか?

        

③自分も人も環境も見えなくなる三つの原因

この人たちが書かれた文章を読むと一目瞭然ですが、この人たちは自分たちの主張の後付けに聖書の御言葉を使います。

一般の教会ではこんなことはまずありません。
聖書個所を十分に釈義したうえで「この個所はこう言っている」と結論づけます。
要するに聖書が初めにあり、その次に聖書から導き出された自分たちの主張が続きます。

ところが分離主義カルトの人々はまず初めに自分の主張があります。
そして取って付けたように聖書のどこからか御言葉を引っ張ってきます。
釈義などは全然せず、引用されている御言葉も前後の文脈を全く無視しています。
これでは聖書信仰ということはできませんし、聖書に忠実な信仰ということもできません。

        

④霊と魂の切り分けの教え

この人たちは聖書のどこにも書いてない「霊と魂の切り分け」という教えを自分たちの教えの基礎にしています。
聖書にない教えを信仰の基礎にしていることが彼らが脱線してしまう理由であると考えます。

私たちは聖書全体が言っていることを信じるのでなければなりません。
彼らがどんなに口を酸っぱくして「霊と魂の切り分けの教えは聖書にある」と叫んだところで意味はありません。
なぜなら聖書にそんな教えがないことは誰の目にも明らかであるからです。

        

⑤自我の磔殺の教え

彼らは自我の磔殺の教えを間違って理解し、その間違った教えを異常に強調します。
聖書が言う自我の磔殺とは自力で救われようとする思いを十字架に付けてしまうことです。

そうであるにもかかわらず彼らは「これもあれも十字架に付けなければならない」と絶叫しています。
もしそんなことが出来るのであればイエスの十字架は必要ありませんでした。

自分で十字架につくことが出来ないからこそ、代りにイエスが十字架についてくださったのです。
それをもう一度自分が十字架に付こうとするなら、それはイエスの十字架を反故(ほご)にすることです。
この教えの本質は律法主義です。

カルト思考に陥る原因は自分の考えを聖書より優先すること、聖書にない教えを信仰の基礎に据えること、間違った自我の磔殺の教えの三つであるようです。

◎平安と祝福を祈っています。

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