イエスはご自身の説教の中で「心配するな」と良く申されました。[マタイ6:25~34]
ありのパパは不信仰にも「『心配するな』って言うと人は余計に心配するものです」と思ったりもしました。
しかし聖書の当該個所を良く読むと、イエスが言いたいことの中心は「心配するな」ではなく、どうしたら心配しないで済むかという方法を教えることでした。
そこでイエスが教えてくださった心配しないための方法を学びます。
目次
1.心配するのと頭を使うのは違う
①聖書を誤って解釈する危険
玄米食を実践されていた方がガンでなくなったことを、あるクリスチャンの方が取り上げておられました。
その方はイエスは『あなたがたの中で誰が心配したからと言って、自分の寿命を少しでも延ばすことが出来ますか』(マタイ6:27)と言われているから、どんなに健康に気をつかっても死ぬときは死ぬと書いておられました。
果してその通りでしょうか?
ありのパパはこの方の聖書解釈は間違っていると考えます。
確かに心配しているだけでは健康に生きることは出来ません。
しかしイエスがこのところで仰りたいことは健康に生きて行けるように心がけないで良いということではありません。
そうではなく「神は私たちのことを大切に思っていてくださるから、自分は世界中で独りぼっちだと心配することはない」ということです。
②何でもかんでも神のせいにしてはならない
映画「コンスタンチヌス」で主人公が天使長に「私が肺ガンになったのは神が私を罰しておられるからだ」と言いました。
そうすると天使長はあきれ顔で「そうではありません。14歳のときから毎日たばこを四十本ずつ吸っていれば誰だって肺ガンになります。何でもかんでも神のせいにしてはいけません」と答えます。
これは人間が考えたセリフに過ぎないのですが言い得て妙であると思います。
③寿命は伸ばせないが健康に生きていくことは可能
私たちには寿命を延ばすことは出来ないにしても定められた寿命まで健康に生きていく使命があります。
女子栄養大学の創設者である香川良先生は九十歳を超えてなお現役でいらした方です。
この方が亡くなられてから遺伝子解析をしたのですが、その結果老年になって認知症になる遺伝子があったそうです。
それにもかかわらず香川先生は認知症にならず最期まで知的にも精神的にもお元気であられました。
その理由を研究者は積極的に社会にかかわって活動されておられたので認知症の発症が抑えられたのであろうと言っています。
そうであるとしたら私たちが自分自身の健康を積極的にケアすることは理に適っていると言うことができます。
2.明日を心配すると今日を精一杯生きることが出来なくなる
①心配になるとは不安が心の中を占めること
そうするとどうなるかと言うと、活動力が損なわれるようになります。
即ち、座り込んで一日をぼ~っとして暮らすようになるということです。
そうならないためには不安を心の中から追い出すことです。
②どうしたら不安を追い出すことが出来るか?
不安の元を全部、紙に書き出してみます。
箇条書きに、一段に一つずつ書いていきます。
そしてその隣にご自分で考えた解決策を書いていきます。
今度はその解決策をスケジュール表に書き写していきます。
その際に解決策を日割りにします。
そうしないと余りに重すぎて実行不可能になってしまいますから。
そしてその日割りにした解決策を毎日コツコツと実行していきます。
そのようにしている時、私たちは忙しすぎて不安を思い出している暇が無くなります。
③定期的にリラックスする必要がある
一週間に一日は完全休業日を作りましょう。
どんなに良いことであっても毎日やっていたら疲れ果ててしまいます。
そうならないためには自分をリラックスさせる「完全に休養する日」が必要です。
そうするなら私たちは長期間に渡って活躍することが出来るようになります。
神から与えられた知性を用いて最善をなすためにはどうしたら良いかを考え、考えたことを全力で実行するとき、私たちは心配から解放された人生を送ることが出来ます。
◎平安と祝福を祈っています。
ありのパパさん、こんばんは。
ありのパパさんにしては、珍しい間違いを発見しました。
訂正後、このコメントは記事の内容とはあまり関係ありませんので、削除してくださいませ。
たぶん、主演がキアヌ・リーブスなのでかぶったのでしょう。
×…「マトリックス」
○…「コンスタンチヌス」
あぁ、マトリックス1~3…。赤ん坊の頃の娘にイタズラされてDVDが再起不能になってしまいました。(泣)「マトリックス」シリーズと「紅の豚」は30回以上は観たので、元は十分取った、と思いたいです。
こんにちは、マッキーさん
ご指摘をありがとうございます。
早速、訂正させていただきました。
ありがとうございました。
またコメントしてください。お待ちしています。