イスラム教のベール問題。隣人を愛することは敵を愛することに繋がる

フランスやベルギーなどがイスラム諸国からの移民に対して宗教を理由にした差別政策を行おうとしています。
所謂(いわゆる)ベール問題と呼ばれるものです。
この問題を皆さんとご一緒に考えます。

①個人的体験を絶対化してはならない

イスラム教徒への嫌悪感をイスラム教徒以外の人々が感じるのはやむを得ないことと考えます。
なぜなら街を歩いていて体や顔全体をベールで覆った人と出会ったら誰でもギョッとするでしょう。

しかしギョッとするという個人的体験を国家レベルにまで拡大して法律によって公共の場でのベールを禁止するのは明らかに行き過ぎです。

②本音が見え透いている

「イスラム女性の人権を守るため」とか「本人確認が困難なため」などの取って付けたような言い訳がなされています。
もしこの理由が本当のものであるなら対策の方法は他にいくらでもあります。
本人確認が必要というのなら個室にカメラを設置し、その部屋でベールを脱いで顔をモニターに映すようにすれば本人確認は容易にできます。

イスラム女性の人権を守るためと言いますがベールを被っているのは本人の宗教的心情によるものです。
ベールを被っていないイスラム女性も沢山います。
そうであるのにベールを被っているイスラム女性からベールを取り上げてもイスラム女性の人権を守ったことにはなりません。

もし本当にイスラム女性の人権を守りたいと言うのならもっと多くの国家予算を外国人移民のために支出すべきでしょう。
見え透いた建前のセリフをいくらしゃべっても彼らの本音が透けて見えるようです。

③敬虔な心情を表すことと原理主義は別のもの

イスラム原理主義と一般的なイスラム教徒を区別しなければなりません。
もしベールを被っている人たちが原理主義者であり、テロや国家機構の乗っ取りを図っているというのならそのこと自体を問題にしなければなりません。

しかし彼女たちはイスラム教根本主義者ではあってもイスラム原理主義者ではありません。
単なる宗教的な敬虔を現す慣習を否定するようなことがあってはなりません。

熱心なクリスチャンは外食のときでもお祈りをしますが、もしこのような敬虔を現す慣習を他の人々が違和感を感じるということで禁止する法律が制定されたらどのように感じるでしょうか?

これが現実になったのが旧約聖書のダニエル書に出てくるダニエルの時代です。
ダニエルの時代から何千年も経っているのに人間の頭の中はそれほど進歩していないようです。
私たちは相手の身になって考えることを身に付ける必要があります。

④自分の敵を愛することは隣人を愛することに繋がる

イエスは『あなたの敵を愛するなら、なおのこと隣人を愛するはずだ』と言いました。
当時の人々の考え方は「自分の隣人は愛さなければならないが自分の敵は憎んでもよい」と考えていました。
イエスはこのように考える人々に対して聖書の真意を説明なされたのでした。
「隣人は愛し、敵は憎む」という考え方は一見合理的であるように見えます。
しかし実はそうではありません。
この間違った教えは隣人の定義も敵の定義もあやふやなものです。

外国を敵とするのは簡単なことですが、もしその敵国の国民が自分たちの国にやって来て住み始めたとしたらどうでしょうか?

その敵国の国民は自分たちの国に住んでいるのですから隣人な訳です。
そうするとこの隣人は愛するのでしょうか?それとも憎むのでしょうか?
神は私たちに「隣人を愛しなさい」と命令しておれるのですから憎む訳にはいきません。

ではどうしたら良いのでしょうか?
やはり神のご命令に従って隣人を愛するほかはありません。
これが敵を愛するということなのです。

それでイエスは『敵を愛することが出来るなら、なお一層隣人を愛することが出来るようになる』と言われました。
もう皆さん既にお分かりのように私たちは敵を憎んだままでは隣人を愛することは不可能なのです。
もし私たちが隣人を愛そうとするなら敵をも愛するようになるというのが聖書の教えであり論理的帰結です。

私たちの国にもかつて敵対した国の民族の人々が住まわれております。
この人たちは私たちと同じ地域に住む隣人です。
隣人を愛そうとするなら彼らの母国をも愛さない訳にはいかないのです。
信仰者として成熟した理解をもってこの社会に参加していきたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

コメント

  1. 冬猫 より:

    アメリカの牧師がコーランを燃やそうとしていたと言うニュースを思い出しました。
    イエス様ならそんな事はしない、ヒンズー教徒が聖書を燃やし、クリスチャンを殺す事件を思い出します。
    それと同じ事をしていると思いました。

    一部のおかしい自称クリスチャンが事件を起こせば「一緒にするな」と怒るくせに、一部のイスラム教徒の暴挙で全イスラム教徒を憎むのは矛盾だと思います。

    異教であるから何をしても良い、とは愛のない行為ですね。
    でも、こう言う記事を読みながら、自分の中にある裁く心を暴かれて苦悶していますw私も人の事は言えません。

  2. arinopapa より:

    冬猫さん、こんばんは。
    コメントをしてくださり、ありがとうございます。

    「人の振り見て、我が振り直せ」とはよく言ったものだと思います。
    イエス様だったら、こんなことはしないと思うことです。
    イエス様は神殿で商売している人たちをお怒りになられましたが、ご自分の教会を人殺しの巣にしている人々を見て、どう思われるでしょうか。

    またコメントしてください。お待ちしています。

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