正しい反抗期の理解とはどんなものか?聖書とカウンセリングの関係

反抗期に対する以前の理解には「親のしつけがなっていないから」というものがありました。
これが信仰者の家庭ならなおさらです。
しかし心理学的カウンセリングの発達によって反抗期の理解が全く変わってしまいました。
反抗期の正しい理解について考えます。

        

①反抗期はすべての人が通らなければならないもの

あるカルト教会では「小さいときから主を信じて主に従うように教えられている子供は中学生になっても反抗期にならない」と教えているそうです。

カウンセリングを学ぶ以前のありのパパも似たような考えを持ってました。
ありのパパがかつて所属していた教団の指導者がこのように仰いました。
「私は生れてからこれまで罪を犯したという自覚がありません」

この方のお父様は弾圧にもあわれた日本のキリスト教会の指導者として認められた方です。
そのお父様に育てられ小さいときから聖書教育をきちんとされて信仰の歩みを着実に歩まれている方でした。
その方が傲慢でも何でもなく謙遜に告白なさるものですから、罪にまみれて人生を過ごしてきたようなありのパパは打ちのめされるような衝撃を覚えました。

そのため小さいときから徹底的に聖書教育を施せば反抗期はなくなるのかもしれないと考えました。
しかしカウンセリングを学んでそうではないと知りました。

        

②子供から見た反抗期の役割

「おぎゃ~」と生まれたときは全く無力な存在です。
このとき子供は自分と親の区別が出来ません。

区別出来ないとは自他同一化しているということです。
赤ちゃんはお腹がすいたとき「お忙しいところすいません。私お腹がすいているんですけど」とは言いません。
「おぎゃ~。ばかやろ~。お腹がすいてんだよ。何してるんだよ、全く」とは言わないかもしれませんが親を奴隷のようにこき使います。
もちろん奴隷のように使っているという自覚はありませんが、そうしてくれて当たり前と信じて疑っていません。
これが自他同一化ということです。

反抗期になるとそれまでの依存的・従属的な親子関係に異議を唱えるようになります。
その様々な葛藤を通して親を客観的にみることが出来るようになり、自分と親とは別の存在であるのを体験的に知るようになります。

これがもし反抗期がないとしたら大変なことになります。
いつまでたっても親に対して依存的であり自立できません。
次第に社会的不適応を示すようになり、トラブルが発生することもあるかもしれません。

        

③親から見た反抗期の役割

余りに可愛い子供だと子離れするのが難しいです。
それが憎らしいことを言って親をイライラさせてくれると段々と「もうどこかに行ってくれないか」と思うようになります。

ですから親にとっても子供の反抗期は大切です。
子供に対する支配欲求の度が過ぎている親はこのように言います。
「子供のときは可愛かったのに今はちっとも可愛くない。育ててやった恩を忘れている」

育てさせてもらった恩を忘れているのは、どちらでしょうか?
あるカウンセリングの指導者がこう仰いました。
「可愛かった幼少期の記憶だけで子育ての元は十分取りました。それ以上望むのは欲深というものです」

        

④カルト教会と反抗期

反抗期のない人間は存在しないのですが、カルトによって間違った教え込みをされると反抗する心を抑圧するようになります。
そうすると抑圧によって起きる様々な病的な反応が心と体の両方に出て来ます。
カルト教会に精神的な病を持った人が多いのも関係がないことではありません。
教え込みで信徒を病気にし、説教で癒しを強調するとはマッチポンプ以外の何ものでもありません。

        

⑤福音主義とカウンセリング

反知性主義に立つキリスト教根本主義への反省から生れたのがキリスト教の福音主義です。
福音主義は聖書を誤りのない神の言葉と信じつつ、各分野の学問領域における成果を神からの賜物として受け取ります。
聖書は第一義的に心理学の本でもカウンセリングの本でもありません。

聖書は信仰と生活の唯一の規範です。
それ以外の領域において私たちはどのような理解が聖書と調和する理解だろうかと考えつつ答えを出していく必要があります。

私たちは神から健全な知恵と洞察力をいただきながら、この地上生涯を歩みたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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