世界最大の奇蹟は自己受容。隣人とのトラブルを解決する鍵は他者受容

「自己受容」とか「他者受容」は人間業(にんげんわざ)で出来ることではありません。
世界に多くの奇蹟があったとしても「自分自身を受け入れる」ことと「隣人をありのままに受け入れる」以上の奇蹟は存在しません。
そこで世界最大の奇蹟とはどんなものかを考えます。

        

1.性差を超えて受け入れる

①説得したい男

当ブログの「共感したい女と説得したい男」の記事をお読みくださった方が記事に書かれてあることを実践なされたことをご自身のブログに書かれていました。

夫であるその方は奥様からコミュニケーションが不足していることを指摘されました。
この方が偉いのはムッとしたり反論したりせず「その通りである」と受け止められたことです。

それでこの御主人は朝のジョギングをしながら解決法を考えました。
ジョギング中はエンドルフィンが大量に発生するせいか(笑)、グッドアイデアが浮かびました。
それは「家族で早起きして、朝15分程度の散歩をする」というものでした。

早速、奥様に申し上げたところ「今の私には睡眠が必要なのがわからないの?すぐそうやって問題を解決しようとする!」と言われたそうです。
御主人は奥様に言われて初めてご自分が共感しようとしていたのが、いつのまにか問題を解決することにすり変わっていたのに気づかれたのでした。
男性は共感するつもりが気が付くと問題を解決しようとしていることがあります。
自戒したいものです。

②共感したい女

女性は逆に問題を何とかしなければならない場面であるにもかかわらず、ただ「こうしてほしい。ああしてほしい」と言うのに止まっていることがあります。

いつまでたっても問題が解決しない場合は共感する以外にするべきことがあるのではないかと点検する必要があります。

逆に共感が伴わない問題解決への努力は大体の場合徒労に終わります。
なぜなら人が本当に求めているのは共感されること自体だからです。
ですから共感なしで問題が解決されそうになると無意識的にその解決を妨害することさえあるのです。
大切なことは共感しつつ問題を解決することです。

        

2.両方の立場の自分を受け入れる

立場と言っても難しいことではありません。
母親は子供の心が分からないし、夫は妻の心が分からないし、その夫が会社に行けば「上司は何で俺のことを分かってくれないんだ」と言っているのです。

「親は何でわたしの気持ちを分かってくれないんだ」と怒る子供であっても、その子が学校に行くと今度は友人から「なぜあなたはわたしの気持ちを分かってくれないのか?」と言われているのです。

このように他の人を分かってあげなければならない責任と、自分自身を分かってほしいという願いの両方を持っているのが私たち人間なのです。

        

3.受容のカギは共感

元カルト被害者の方に心ない言葉が投げつけられ、二次被害と言わなければならないようなことが起きることがあります。
「そのようなことはどこの教会でもある」「いつまでも拘(こだわ)っていないで、早く忘れて前向きに歩むことだ」などの一見正当な意見が出されます。

自分が経験したことのないものは共感できないのが人間というものです。
しかしそこに止まっている限り、自己受容も他者受容も絵空事で終わってしまいます。

ではどうしたらいいかと言いますと、自分が経験したことのないものであっても自分が経験したもののうちで似ているものを探し出してきて、それを共感のよすが・取っかかり・手がかりとするのです。

具体的に言うと、どなたかが失恋の痛手を負っているとします。
しかし自分は初恋の人と結婚したので失恋と言われてもピンときません。
そのような場合に失恋の本質は愛している人を失うということですから、自分のおばあちゃんが亡くなったときの悲しみと共通性があるのではないかと考え、その時の悲しみ・喪失感を思い出し、その感情を取っかかりとして相手の気持ちを察するのです。

このような修練を続けていると段々と共感能力が備わってきます。

◎平安と祝福を祈っています。

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