福音主義神学には二つの流れがあり、現実社会へのアプローチも異なる

あるブログのコメント欄で、当ブログが話題になっていました。
その中には当然のことながら賛成や反対の意見がありました。
その中でも常に冷静なコメントをしておられる「もりもと」さんのご意見に今回は同意することが出来ませんでしたので、ありのパパの意見を述べることにします。

        

①使徒たちがイエスから直接に教えを受けたことを、最高の神学教育を受けたとするのは間違い

ペテロはイエスを裏切りましたし、聖霊に満たされた後も信仰理解が展開(神学的転換)しているのをみれば、イエスによる直接的な神学教育は失敗だったと言わざるを得なくなります。

しかしそのように言うことは、神に対して罪を犯すことです。
とすればイエスによる直接的神学教育という理解が誤っているということになります。

神学教育という表現を使うときは、神学校における神学教育に限定するのが良いと思います。
使徒たち自身が自分たちのことを「無学のただ人」であると自他共に認めていたのです。
それをいきなり「最高の神学教育を受けた」と表現するのはあまりに論理が飛躍しております。

これでは冷静な議論は出来ません。

        

②福音主義神学には二つの潮流がある

一つはウェスレアニズムであり、もう一つはカルビニズムです。

ウェスレアニズムはジョン・ウェスレーと同労者たちによって体系化されました。
彼はある教えを教理化するとき、何百という人に実際に面談し確かめてから、神の御業はこのような形で現れると考えて間違いないとして確定していきました。

これに対してカルビニズムは厳密に聖書から教理を確定していったので、カルビニズムの伝統に立つ人々からは、このことに関して批判がなされました。

        

③聖書は何と言っているか?

使徒の働き10章9節から33節には、幻によってペテロの信仰理解が変化していくのが記されています。
はじめユダヤ人だけのものだった福音信仰が、次第に異邦人にも拡がろうとするとき、彼にはそのための神学的備えがありませんでした。

それで神は新しい神学的理解を持つようにと、幻によってペテロをお導きになられました。
これが神が人を導く方法なのです。
「このような導かれ方は、聖書が聖典として成立するまでのことであり、聖書がある今はそうではない」という主張は詭弁に過ぎません。
なぜなら聖書のどこにも、そのような主張を支持するところはないからです。

聖書から神学が生まれ、神学を現実の世界に適用するのではありません。
むしろ聖書を現実に適用し、そこから神学が生み出されるのです。
これが神の方法なのです。

        

④新しい神学の台頭

ありのパパの若いときは、カルビニズムとウェスレアニズムが神学的に激しく争っていました。
それが時代が変わり、リベラル神学が台頭し、共通の敵に向き合わなければならないという理解になりました。
次にペンテコステ運動が台頭し、その影響を受けて福音派教会内における聖霊運動である聖霊第三の波運動が起きてくると、両派の神学的違いは陳腐化されました。
もうそんなことを言っている場合ではなく、誰も気にもとめなくなってしまいました。

そしてこの新しい神学的状況に対応する準備ができる前に、聖霊第三の波の教会によるカルト化・淫行・レイプなどの問題が起きてしまいました。
まさに自分の庭から火が出て、今や母屋(おもや)に火が燃え移ろうとしている状況です。
ほかの教会のことだからなどと寝言(ねごと)を言っている場合ではありません。

        

⑤対応が後手に回った原因

この問題に対して対応が後手に回った原因は、聖書を次々に問題が起こってくる現実の世界に適用し、新しい行動指針である神学を構築していくという手順ではなく、聖書から神学を構築し、その神学を現実に適用するという誤った手順を踏んだからです。

この対応の仕方では現実の問題に対応不可能となります。
現実に生きる人々に関心を寄せ、共感的理解を持つとき、このような間違いから免れることができます。
しかし神が世を愛されたように人々を愛さないとき、神学は無用の長物になります。

        

⑥神学を構築する方法論のちがい

聖書→現実の世界→神学のアプローチはまさにリベラル神学のアプローチそのものであるとの批判がなされました。
しかし、そうではありません。
このような批判は伝統的神学の一つだけしか知らない者の批判と言わなければなりません。
このアプローチは伝統的神学のもう片方の雄であるウェスレアン神学において採用された方法なのです。

        

⑦リベラル派をどうとらえれば良いか?

リベラル神学の方々が真実であり、何より現実に真摯に向き合おうとする姿勢に敬意を表します。
しかしリベラル神学が歴史的キリスト教に破壊的影響を及ぼしたことも否定できません。

ありのパパは歴史的キリスト教を守っていかなければならないと考えています。
福音主義神学の上に新しい展開を築いていくことが何より重要であると考えているのです。
ペテロがそうであったように。ウェスレーがそうであったように。歴代のキリスト者たちがそうであったように。

○今日のブログの内容がお互いにとりまして、理解を深めることに役立つなら幸いです。

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