愛していたら名前を覚える。愛されているゆえに名前が付けられたから

「あの人の名前、なんて言ったっけな?」ということが皆さんはありませんか?
ありのパパは現在交流がある人については名前を忘れないのですが、過去に交流があった人のことを考えているときに名前を思い出さないときがあります。

それで今日は名前を覚える秘訣について考えます。

①お客の名前を覚える秘訣

ありのパパが通っている理容室の店長さんは散髪してもらうたびに色々なお話をしてくださいます。
そのお話がいつもためになるので、冗談で「『理容室の店長さんシリーズ』という名前でブログに書きましょうかね」と言っているぐらいです。

この前、髪を切ったときに話してもらったのは「お客の名前を覚える秘訣」です。
この店長さんはお客の名前を全て覚えておられるのだそうです。
覚え方は、ありのパパの場合ですと実名があるテレビドラマの主人公と同じなので、ありのパパの顔を見るたびに「何々のドラマの主人公の何々さん」と繰り返すのだそうです。
そして二・三回目からは必ず名前でお客を呼ぶそうです。
こうすると女性客が店長さんを指名する確率が高くなるそうです。

②教会メンバーの名前を覚える秘訣

皆さんは教会に集うお一人お一人のお名前を覚えておられるでしょうか?
ありのパパが若かったころ、自分が信仰に熱心ではあっても愛に欠けた者であることを気づかされたことがありました。
それで何をしたかというと教会員名簿に載っている教会員一人一人の名前を挙げて毎日祈り始めるようにしました。
そうすると不思議なことに「このご家庭で起きている問題が解決されますように」と思う心に変えられていきました。

祈り始める前は礼拝という名の集会に一緒に参加しているのに過ぎない存在であったのが、人はただそこに存在しているだけでなく、問題があり、悩みがあり、悲しみがあり、また喜びがあるのだということを実感するようになりました。

その変化に一番驚いたのは、ありのパパ自身でした。

③愛があれば人々に関心を持つようになる

関心の持ち始めは名前を覚えるところからスタートします。
なぜなら名前も覚えていない人のことを親身になって慮(おもんぱか)るなどということはありえないからです。

逆に名前を覚え始めることから(相手に関心を持つという意味での)愛を持ち始めるということはあり得ます。
これが「形から入る」ということです。

④名前を呼ぶことが逆効果のときもある

ご自分の教会の牧師に対して不満を持つ女性信徒さんが相談されたことがあります。
それでありのパパは「日曜日毎に礼拝が終わるたびに牧師のところに行って『今日の説教は実に素晴らしかった。恵まれました。ありがとうございました』と言いなさい。そうしたら問題は解決します」と申し上げたところ、その方は「それだけは出来ません。他の方法はないでしょうか?」と言われます。

心の中で「他に何があるっちゅうねん」と毒づきながら、「もし神様にもっと大変なことを命じられても、あなたは喜んでおやりになられるでしょう。しかしその方をありのままに受け入れるという以上の愛はありません」と申し上げると、その方は身悶(みもだ)えしておられました(笑)。
(上記のお話は健全な教会の牧師と信徒の関係についてのものです。カルト化した教会の牧師との関係に適用してはなりません)

その人に不満や注文があるときに、その人の名前を呼ぶと逆効果になります。
それだったら名前を呼ばない方が良いのです。
ありのままのその人を受け入れる心があって初めて名前を呼ぶということが意味あることになります。

⑤神が私たちに付けられた名前

たとえば「恵子」という名前であれば、親御さんは「どうぞ恵みに満たされて生きることが出来ますように」という願いを込めて名前をつけられました。

「清人」と言う名前であれば「どうぞ一生涯、聖い生き方を貫くことが出来ますように」という願いが込められています。

神様も一人一人に名前をつけておられます。
それは『あなたは私の目に高価で尊い』という名前です。
それで神様が一人一人の名前を呼ばれるとき『高価で尊い私の子供よ』という意味が込められているのです。

⑥名前を呼ぶことから愛の実践を始めよう!

理容室の店長さんは客の名前を覚える必要があったので名前をどうにかして覚えようとしました。
私たちも「どうにかして覚える必要」がなければ名前を覚えることは出来ません。

私たちには「天の父がひとり子をお与えになったほどにこの世を愛された。この神の愛をどうにかして人々に伝える必要」があります。
私たちはお互いに愛し合う者になり、愛の達人になりたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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