聖霊派教会の新聞としてかつてリバイバル新聞というのがありました。
このリバイバル新聞に対してありのパパが感じていたことをお話します。
1.なぜ裁判になっている教会の問題を報道しないのか?
聖霊第三の波の教会で起きている問題をリバイバル新聞社が報道しないことについて、一般マスコミではないので安易にスキャンダル報道はしないというスタンスなのかなと、ありのパパは考えていました。
しかし次第に問題の真相が明らかになるにつれて、これは一般的なスキャンダルなどではなく、神学的原因が根っこにあって起きていることが誰の目にも明らかになってきました。
それでもなおリバイバル新聞社が報道しないことを大変疑問に思います。
これを報道しないのはペンテコステ派のクリスチャンとして承服できません。
2.他のキリスト教新聞はどのような報道姿勢か?
いのちのことば社は福音派教会の新聞として旗印を鮮明にしており、キリスト新聞社はリベラル派教会の新聞としての立場をはっきりさせています。
これに対してリバイバル新聞社は軸足をペンテコステ教会と福音派教会の両方に置いているように見えます。
これは聖霊第三の波の教会が福音派教会に属していることと関係があると思います。
そのため福音派一般に対しても配慮をしているのだと察します。
確かにいのちのことば社も、きよめ派と改革派に対して一方に偏らない配慮をしてきました。
しかしリバイバル新聞社の配慮は旗印が不鮮明になるほどのものであり、やりすぎであると感じます。
少なくとも伝統的福音派への配慮は捨てて、ペンテコステ教会とカリスマ運動と聖霊第三の波に絞っていただくことは出来ないでしょうか。
3.ペンテコステ神学を否定する書籍を出版
リバイバル新聞社の系列の出版社から『栄えに満ちた喜び』という本が出版されました。
この本は聖霊のバプテスマに異言が必ず伴うことを否定しています。
この本の著者が主張していることは、結局『ハイヤーライフ運動』と同じものであり、実質的にペンテコステ運動を否定するものになっています。
ハイヤーライフ運動の流れにケジック聖会がありますが、これは福音派教会における聖化運動です。
聖霊のバプテスマが、救いの後に来る第二の恵みかどうかの問題は福音派とペンテコステ教会の双方にとって神学的問題です。
しかしペンテコステ教会を他のキリスト教会と区別する特徴は、異言が聖霊のバプテスマに必ず伴うかどうかという点にあります。
なぜ神が福音派における聖化運動ではなく、それとは別の運動としてペンテコステ運動を興(おこ)されたのかという理解と自覚が、リバイバル新聞社には欠けていると言わざるを得ません。
そこをあやふやにするなら必ず後世に悔いを残すことになると考えます。
物分りが良いことが常に良いことであるとは限りません。
◎平安と祝福を祈っています。