自分や人々の罪を赦そうとするとき、神の力が絶対に必要になる!

聖霊を受けることと罪を赦す権能は別のものでしょうか?
それとも聖霊を受けたら同時に罪を赦す権能も与えられるのでしょうか?

カルト教会の牧師が「私は罪を赦す権能を持っているから、私が赦しを宣言しない限り、あなたがたの罪の赦しはない」と言ったらどうでしょうか?
とても恐ろしく感じます。
ありのパパなら「お前が地獄行きだ」と言ってやります(笑)。

ヨハネ福音書20章22節の「聖霊を受けなさい。あなたがたに罪を赦す権能を与えます」の部分を見ていきます。

1.罪を赦す権能とは?

①罪を赦す権能は神だけが持っておられる

ここでイエスが言われている「罪を赦す権能」とは文字通りの意味ではなく、別のことを指していると考えるのが妥当です。
ではこの所でイエスはどのような意味で「罪を赦す権能」と言われたのでしょうか?

②罪を赦す権能の本当の意味

罪が赦される信仰に人々を導く力を「罪を赦す権能」と言っているのではないでしょうか?
人々があなたを通してイエスを信じて罪が赦される信仰に導かれるとき、それはあなたが「罪を赦す権能」が与えられているということです。

③どんな人が信仰に導くことができるか?

それは人々が魅力を感じる人です。
どんな魅力でしょう。
世の中の人々は誰もありのままの自分自身を受け入れたいと願っています。
しかしありのままの自分は罪まみれ、過失まみれ、罪責感で一杯です。
それで人々はありのままに受け入れることを諦め、本当の自分に蓋(ふた)をし、こうありたいと願う自分を演じます。

その結果どうなるかというと疲れ果ててしまいます。
このような人々が魅力を感じる人は、罪ある自分・失敗ばかりの自分・責められてばかりの自分自身をありのままに受け入れて生きている人です。

さて私たちはどうでしょうか?そんな生き方をしているでしょうか?

2.聖霊を受ける目的

①なぜありのままを受け入れることができるのか?

目を背けたい罪まみれの自分自身をどうして受け入れることが出来るかと言えば、それはイエスが十字架に掛かって私たちの罪を全部始末してくださったからです。

ここが神様抜きのセキュラーのカウンセリングとキリスト教が異なる点です。
セキュラーのカウンセラーも「ありのまま」を言いますが、なぜそれが出来るのかについては沈黙します。
それは彼らが知らないからです。

②信仰による救いはありのままを受け入れることが出来るようにさせる

自分自身を受け入れることが出来た人は隣人をありのままに受け入れるようになります。
では私たちが殊更(ことさら)聖霊を受けなければならない理由とは何でしょうか?

③生育歴の問題

私たちは信仰者ではあっても育ってきた環境(生育歴)に支配的な影響を受けます。
また社会で生きている限り、他人と自分を比較する誘惑に常にさらされます。
このような私たちが自分自身と隣人をありのままに受け入れつつ地上生涯を歩むためには聖霊を受けることが絶対に必要です。
「もう一人の助け主」と呼ばれる聖霊に満たされて地上生涯を歩むとき、私たちは力と助けを受けることができます。

私たちは人々に対して「罪を赦す権能」を行使しているでしょうか?
そのために必須である聖霊を受けたでしょうか?
私たちが求めるなら父なる神は私たちに聖霊を送ってくださいます。

◎平安と祝福を祈っています。

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