(2021/03/13記事更新)母子家庭を支援するための母子生活支援施設があります。
長年その施設に勤務された方がラジオのインタビューに応じておられました。
その中に注目すべきことがありましたので皆さんにご紹介します。
1.母子生活支援施設での出来事
①子供を愛することができない母親
施設の職員が入所者のお子さんを誉めると、そのお子さんのお母さんが怒りだすということがありました。
具体的に言うとお子さんの着ている服がとても似合っていたので「そのお洋服、とても似合うわね」と職員が口々に誉めたところ、お母さんが職員に向かって「その似合う服を選んだのは私よ。私を誉めてくれても良いんじゃない?」と言い捨てて、自分の部屋に戻り、子供が着ていた服を脱がせました。
部屋の中からは明らかに子供を虐待していると思われる物音が聞こえてきました。
②自分が自分自身を愛している分しか子供を愛せない
なぜそのようなことをするのか、そのお母さんにお伺いしてみました。
すると「私は子供のとき、自分の親から誉めてもらったことが一度もない。それどころかいつも親を恐れてビクビクしていた。それがこの母子寮では自分の子供が沢山誉められている。私はそれを見ると心の底から怒りが溢れだしてきてどうしようもなくなる」
子供への虐待を含めてどうしたものかと職員は思案しました。
その結果、音信不通になっていたそのお母さんの母親に連絡し事情を説明しました。
そうしたところその方は「私は虐待しようと思って育てたわけではないが、結果として自分の娘の心に傷を負わせてしまい、社会的不適応の状態になっていることを誠に申し訳なく思います」と申されました。
③間違った思い込みを修正するための追体験
しばらくの間、お子さんは児童保護施設にあずかってもらい、そのお母さんと母親の二人で一緒に生活していただくようにしました。
そうしたところ、そのお母さんは三歳児の時に退行したそうです。
お母さんに抱っこしてもらい、一緒に寝てもらいと、その甘えぶりは職員も驚くほどであったと言います。
しかし欲求が満たされると急速に大人の状態に戻っていきました。
心の傷は癒され、間違った思い込みは正され、健全な人格の持ち主となりました。
それで一時的に児童保護施設にあずけていた娘を引き取り、一緒の生活をまた始めました。
今度は自分の子供が誉められると自分が誉められたように感じ、一緒に喜ぶことが出来るようになりました。
2.育て直しとは何か?
①心の空虚感を満たす
人は愛されてこそ健全に育っていくことが出来ます。
愛されて育てられないと心に空虚感ができ、成人してから様々な破壊的影響をその人自身に与えます。
ある人はアルコール依存症になり、ある人は薬物中毒になり、ある人はニコチン中毒になります。
また健全な人間関係を作ることが難しく感じられます。
上記のお母さんのように自分の娘が誉められると誉められることのなかった自分の子供時代の悲しみ・恨み・怨念が吹き出てしまい、自分でもコントロール不可能になることがあります。
これをカウンセリング的視点でどのように解決していくかというと「育て直し」ということをします。
夜寝るとき、お母さんにお子さんと同じ布団で寝てもらったりします。
②間違った思い込みを正す
実は愛されていたのに愛されていることを気づかなったという場合があります。
例えば「自分はアル中の母親のもとで育てられ、母は自分のことで精一杯で私は放っておかれた」と感じている人がいるとします。
しかし話を伺ってみると、そのアル中のお母さんはふらふらになりながらも懸命に食事を作ってくれていたのです。
母親の身になって考えてみるとアル中で苦しいのに子供を思って食事を作ってくれていたのだということに気づいたとき「自分は愛されていた。それも人一倍愛されていた」という思いに満たされたのでした。
③心の傷を癒す
子供時代に自分でも忘れている(本当は忘れた振りをしているだけですが)傷ついた経験が誰にでもあります。
このときに受けた傷をそのままにしておくと化膿します。
今を生きる私たちの人生にマイナスの影響を与えるということです。
ですからこれも意識的に思い出して「辛かったね」とか「良く我慢したね」とその時の自分自身に言ってあげることです。
3.イエスと育て直し
①親替え
イエスに私の新しい親になっていただくのです。
本来、信仰とはそういうこと(神を自分の親にするということ)なのですが、多くのクリスチャンは表面的な信仰告白にとどまり、親替えという生命的に重要な営みに気づいていません。
親替えは重要です。
なぜならそもそも人間は欠けの多い存在であり、本当に愛して育てるということは不可能だからです。
それで私たちを完全に愛し、命まで捨ててくださったイエスに新しい親になっていただくのです。
親替えとは自己意志と神の意志とが協働で自分自身の愛ある親になることです。
自己意志だけでは不十分でした。
しかしだからといって神に丸投げしてはなりません。
もし神に丸投げして「あとはよろしくね!」みたいな感じだと、人生は1mmも変わらないままです。
大切なことは常に神の助けをいただきながら、自分が自分自身の愛ある親になる努力をすることです。
②聖書を読む本当の目的
聖書通読には様々な目的があります。
その中でも大切な目的は聖書の中でイエスとお会いするということです。
聖書の中でイエスとお話をし、イエスの暖かな眼差しを感じるのです。
このような営みが人を真に癒し、成長への道を歩ませるのです。
誰かが書いた本を読んで聖書通読の代わりにしている限り、このようなことは起こりません。
私たちが生れてきたのも、救われたのも、今生かされているのも、愛されて生き、自分自身と隣人を愛して生きるためです。

◎回復と平安と祝福を祈っています。