人は生きている限り様々なことで不安やストレスから来る悩みを持つものです。
聖書はそのような悩みに何と答えているでしょうか?
ご一緒に見てまいりましょう。
1.悩みを持っていることを不正常な状態として認識する時代
多くの若者たちが幸せごっこに勤(いそ)しんでいます。
しかし幸せの基準は自分が決めたものではなく、どこの誰だか分からない人が決めた基準です。
○食事のとき一人で食べる人は不幸せであり、幸せな人は友達と一緒に食べる。
大学のトイレのドアには「ここで食事をしないでください」という貼り紙がしてあるそうです。
調査によると5%の学生がトイレで食事したことがあるとのことです。
○性格が暗いのは不幸の印。幸せ印の人間はいつも明るい。
書いていて腹が立ってくるやら笑えてくるやら何とも言えない気持ちにさせられます。
しかしこれが今の時代の平均的な価値観であるようです。
こんな考え方が間違っていることはちょっと考えればすぐ分かりそうなものですが思い込んでいると中々気づかないのかもしれません。
2.生きている限り悩みはある
イエスは「あなたがたはこの世にあっては悩みがあります」[ヨハネ16:33]と言われました。
これを文字通り受け取るなら「私たちは生きている限り悩んでも良い」と理解することができます。
キリスト信仰は「悩みに打ち勝つ信仰」であるという理解が、いつのまにか「悩みを無くしてしまう信仰」という理解に変質していないでしょうか?
いつも悩んでいる人がそばにいると「うっとうしいな~」と感じることはないでしょうか?
もしそう感じるとしたら悩みがある状態は不正常な状態であると考えているからにほかなりません。
誰かが「お腹がすいた」と言っても私たちは鬱陶(うっとう)しくは感じません。
それはお腹がすくということを不正常な状態であるとは考えていないからです。
3.どんな悩みがあるか?
①人々が自分から去っていくという悩み
この悩みは深刻です。
これが嫌で人はみな仮面をかぶっていると言ってもいいほどです。
中には人が自分から離れないためなら何でもするという人もいます。
(アダルトチルドレンの問題リストの12番目)

②自分一人で試練に直面しなければならないという悩み
重大な決断を迫られるときに限って周りから人がいなくなるものです。
皆で考えて皆で結論を下すことを日本人は欲します。
しかしこんなことはまずあり得ないと考えなければなりません。
その決断が重大であればあるほど自分一人で結論を下す羽目に陥ります。
4.聖書は悩みに打ち勝つ秘訣を教えている
『わたし(イエス・キリスト)は既に世に勝ったのです』
それは天の父がいつもイエスと一緒にいてくださることによってイエスが独りぼっちではなかったことによってです。
イエスの弟子はイエスに倣(なら)います。
イエスの勝利の秘訣は父なる神といつも一緒だったことです。
彼の弟子たちもイエスと同じことをすれば良いのです。
神が私たちと共におられる
イエスがこの世から去ることによって私たちに与えられる聖霊なる神が私たちといつも一緒にいてくださることによって私たちも独りぼっちではなくなります。
イエスは父なる神といつもご一緒でした。
イエスを信じるクリスチャンは聖霊なる神といつもご一緒することが出来ます。
これによってイエスが持っておられた秘訣を私たちも行使することが出来るようになるのです。
5.勇気を持って悩みに挑戦する
『しかし勇気を出しなさい』(聖書)
①孤立を恐れるのは人間の本質的な特徴の一つ
孤立を恐れること自体は悪いことでも何でもありません。
そのように人間は神によって造られていますから。
しかし孤立を満たすにも順番があります。
第一に来るのは神です。
第二に自分が自分自身の最も良き友となることです。
第三に家族や友人たちが来ます。
この順番が狂うとき、それが何であっても自分を支配するようになります。
②どのようにして神は私たちといつも一緒にいてくださるのか?
a.聖書を読むとき、誤りなく御言葉を理解することができるように助けてくださいます。
b.聖霊のバプテスマによってもたらされる聖霊充満の恵みによって神がいつもご一緒してくださるという約束が実現します。
c.聖霊のバプテスマのときに同時に与えられる異言で祈る賜物を活用して神との人格的交わりを日々なすとき、聖霊なる神が私たちとご同行してくださるという約束が現実のものとなります。
③カルト教会は孤立を恐れる心をマインドコントロールに巧みに用いている
カルトはメンバーに聖書を直接読むことを禁じます。
そして聖書と私たちの間に何ものかを挿入します。
それはディボージョンの小冊子であったり、霊と魂の切り分けについての教えだったりします。
それがどんなに正しいと主張されたとしても彼らの言うことを信じてはいけません。
神と共に生き、イエスの模範にならうとき、私たちは悩みの只中にあって勝利を得ることが出来ます。
◎平安と祝福を祈っています。