自分で人生の舵を取れなくなってしまう恐れをアダルトチルドレンは強く持っています。
なぜアダルトチルドレンはコントロール不能を恐れるのかという問題を考えます。
目次
1.アダルトチルドレンが結婚を躊躇する理由
アダルトチルドレンの女性は結婚することにより自分の人生の主導権を取れなくなってしまうのではないかと恐れる傾向があります。
それで良い人がいるのにいつまでも結婚を躊躇することになります。
これは未婚の女性を非難しているのではありません。
未婚の人生も素晴らしいし、結婚する人生も素晴らしいものです。
ただ結婚するべき人が結婚を躊躇することがあるというのを申し上げているのに過ぎません。
また他人が人を指さして「あの人は何で結婚しないんだろうね」と言ってはなりません。
その理由を知っているのは本人と神様だけであり、他人が口出しする問題ではありません。
2.養育者が自分を苦しませたので養育者がいなくなった今も「今度こそそんなことはさせない」と力んでいる
子ども時代に養育者の理不尽な振る舞いに接して無意識のうちに「自分が大人であればこんな対応はしない」と何度思ったことでしょう。
その思いが大人になった今の自分をも支配しています。
しかし子供のときの「自分ならこうやる」という思いは、あくまでも子供としてのものであり、本当の現実が全部見えていたわけではありません。
また子供にとって大人はいつも自分のシナリオを邪魔する存在でしかありませんでしたから、大人になった今でも周りの者が自分の邪魔をする存在に見えて仕方がありません。
3.自分がやったらうまく行くと思い込んでいる
実際うまく行くときが多いのです。
それでいい気になります。
しかしこのような生き方はいつかは行き詰まるのが必然であることを知らなければなりません。
なぜなら他人に主導権を取られて気持ちの良い人などは誰もいないからです。
この明々白々な事実に気づいていないのが(気づいていない振りをしているだけかもしれませんが)アダルトチルドレンです。
4.主導権を放棄しないとどんなマイナスがあるか理解していない
主導権を放棄しないと人生に疲れ果ててしまいます。
なぜなら主導権と言えば聞こえはいいのですが正体は病的なコントロール欲求と言われるものです。
このような人生ではいつも自分が中心です。
それで結局疲れ切ってしまい人生に行き詰まります。
もう一つは人々が離れていきます。
独りぼっちの人生でも良いというなら別ですが、人は一人では生きていけない存在です。
人々と程よい距離感を保ち、他者と共に生きる道、即ち隣人として生きる人生を送りたいものです。
5.神が願っておられるのは人生の主導権を神に明け渡すこと
自分の人生の主導権を人に譲り渡すと、その人は譲り渡した者の奴隷になります。
ですから誰に譲り渡すかということが真に重要な問題です。
夫でもなく、教会の牧師でもなく、慣習や文化にでもなく、私たちの主イエス・キリストに人生の主導権を譲り渡すことが大切です。
主導権を明け渡すと明日のことを心配しなくなります。
なぜならイエスが私の代わりに明日のことを心配してくださるからです。
イエスを信じていても明日のことが心配なら主導権を完全には明け渡していないのかもしれません。
もちろん様々な要件が絡(から)み合って心理的症状が現れてきますから、明け渡していても心の傷のために心配してしまうということは十分あり得ます。
ある方が「神に主導権を渡すことは出来ない。人間の夫だったら騙すのは訳ないけれど、神様を騙すのは難しいから」と仰っておられました(笑)。
6.神と共に生き、共に歩む
神に主導権を明け渡す人生は素晴らしいものです。
なぜならイエスはいつも「あなたはどうしたいのか?」と聞いてくださいますし、自分でも気づいていなかったことを気づかせてくださるからです。
養育者に主導権が奪われているときは人生をどぶに捨てているように感じたものですが、神に主導権をお渡しすると何倍もの祝福をもって返してくださいます。
ありのパパが小さかった時、先のことを考えず今のことだけに一生懸命でした。
そしてある時これが幸せの条件であることに気づいたのでした。
大人になるにつれ先のことまで心配するようになり、この幸せは失われました。
しかしイエスを信じるようになってから先のことを考えず今日一日を生きることが出来るようになりました。
ここまで来るのになんと回り道をしたことかと思いますが、与えられた道をしっかりと歩んでいきたいと願っています。
◎回復と平安を祈っています。