ある方が「子供であるな」とは「いつまで経っても子供っぽいのはダメだということですか?」とお尋ねになられました。
「子供であるな」とはそのような意味ではありません。
①子供らしさを発揮してもよいときに発揮できないのが問題
「子供であるな」とは子供時代に子供らしく過ごすことが出来なかった人が大人になった後に子供らしさを発揮することが出来ないことを指しています。
人の心は三つに分けると、親(支配欲求を発揮する)の部分と、子供(依存性を発揮する)部分と、大人(客観的に物事を見つめる)部分があるということになります。
例えで言いますと、お茶が欲しいときに親の部分が発達している人は「お~い!お茶をくれ」と言い、子供の部分が発達している人は「お茶、チョ~ダイ」と言い、大人部分が発達している人は「私は今、喉が渇いているんだけど」と言います。
さて、あなたはどれに当たるでしょうか?
子供時代に子供らしく過ごすことが出来なかったとしても、今は安全を脅かす養育者は既におらず、自分は安全であるにもかかわらず「子供であるな」というテープが未だに頭の中でグルグルと回っているところに問題があります。
②人を信頼できない病
「子供であるな」というテープがグルグル回っていると人を信頼することが出来ません。
子供時代にいやと言うほど養育者に失望・落胆させられてきたので、人を信頼することがアダルトチルドレンには大変難しいことです。
親に翻弄されないためには自分が子供らしくしていることは出来ない相談でした。
それで大人になってからもアダルトチルドレンの心の中では人を信頼しないことと子供であるなということがワンセットになっているのです。
このからくりを良く悟って自覚的に人を信頼することを実践しなければなりません。
そうすると不思議なことに、子供心の特徴である「依り頼む」という心が芽生えてくるのを気づくようになります。(これは過度の依存心でないことに注意が必要です)
③リラックスできない
アダルトチルドレンは一般的に言ってリラックスするのが下手です。
ある牧師は「伝道活動にいそしむことが私のリラックス方法です」と言いました。
そう言ってから二十年後にその牧師は精神疾患に罹患しました。
もちろん全ての人がこうなると言っているのではありません。
しかしリラックスするということを意識的に行わないとストレスが溜まり、心と体の健康を脅かすことになります。
では何故リラックスと子供心が関係しているかと言いますと、子供時代にいつも警戒していなければなりませんでしたからリラックスすることが出来ませんでした。
それが大人になっても続いているわけです。
このような人は自分自身に対して意識して「緊張していなければならない状況は終わった。もうリラックスしても良い」と教えてあげることが必要です。
④甘えることができない
いつも甘えてばかりの人も困ったものですが、本当に困った人は甘えることが出来ない人です。
甘えることが出来ない人は、いつも甘えている人に対して制御不能な怒りを持つことがあります。
その理由を本人に聴くと、もっともらしい理由をいくつも並べるのですが、それはみな言い訳に過ぎません。
本当の理由は「自分はこんなに我慢しているのにお前は少しも我慢せず思い切り甘えやがって!腹が立ってしようがない」というものです。
⑤甘えるのが生存戦略の場合もある
ある孤児院出身の伝道者はいつも相手を見ながら甘えても受け入れられるか、それとも拒絶されるかを探っていました。
この方にとっては甘えるということは一種のサバイバルでした。
そうやって孤児院時代を過ごしてきたのです。
成熟した人格とは状況に合せて親心を出したり、子供心を出したり、大人心を出したりできる人のことです。
◎回復と平安を祈っています。