成功哲学の本を読むと、ある前提があることに気づきます。
それは「成功するためにあなたはこのような者であるべき」という前提です。
①前提が間違っていると結果も間違う
意外なことにキリスト教会でも同じような前提に出会うことがあります。
「恵まれたクリスチャン生活のための法則」という説教で「第一に明確な回心、第二に聖霊のバプテスマ、第三に日々聖霊に満たされ続けること」という内容です。
これを聞いて、ありのパパが思ったことは「それが出来ないから苦労しているのではないか!」ということです。
またたといこの三つの条件を忠実に果たしたとしても、現実には恵まれた信仰生活を送ることは出来ないのです。
それは前提が間違っているからです。
前提とは成功哲学で言えば「成功者となるためには、あなたはこのような者である必要がある」というものであり、キリスト教で言えば「霊的体験を熱心に求める信仰者である必要がある」という前提です。
②正しい前提はどのようなものか?
それは今いるところを受け入れることです。
例えばテストで30点しか取れないなら、その30点しか取れない自分自身を受け入れることです。
成功哲学の前提は「100点取れる人になれ」というものですが、冷静に考えてみればそんなことは妄想でしかないことが分かります。
しかしここが微妙なところで100点と言われれば「そんな馬鹿な」とすぐに反応できるのですが、80点取れる人になれと言われると「それは難しい」と感じ、60点取れる人になれと言われると「私にも出来るかも」と思ってしまうのです(笑)。
しかし30点しか取れない自分自身を受け入れない限り、成長は始まりません。
③問題の核心は点数の開きにあるのではない
スノーボーダーの國保和宏さんはご自分が好きなファッションに身を包んでいます。
ということは今のご自分のファッションを受け入れているわけです。
彼はご自分が大好きなファッションをもっと発展させていくでしょう。
それはひょっとしたら奇妙奇天烈な服装になるかもしれません。
しかしありのパパは彼はあと十年もしたら皆から「さすが彼の着てる服はセンスが素晴らしいね」と言ってもらえるようになると思っています。
なぜでしょうか?
それは彼は今のご自分のファッションが大好きですから「もっとこうすればいいんじゃないか」と工夫していくエネルギーが湧き出てくるからです。
これが人の目を気にして人に非難されないようにというだけの借り物のファッションであれば、こうはいきません。
何十年経っても、そのまんまであり借り物のままです。
なぜなら自分のものでないので工夫していくエネルギーが湧かないのです。
さて私たちの信仰は借り物の信仰でしょうか?
もしそうだとしたら何年経ってもそのままでしょう。
しかし今の信仰者としての自分自身が大好きであれば「どうやってこの大好きな信仰を発展させていけば良いか」と考えるエネルギーが湧き出てきます。
これはある意味では理屈ではありません。
理屈ならなんとでも言えるからです。
④理屈では人は動かないし、自分も変われない
人が動き、自分が変わるためには現時点での自分を受け入れることから始めるしかありません。
決して「こういう自分になったらOK。こういうあなたになったらOK」と言わないことです。
そう言うと必ず「そんなことしたら成長しないのではありませんか?」とお尋ねになる方がおられます。
そのように仰る方は結局のところ自分自身を受け入れていないのです。
⑤自分自身を受け入れているかどうかは自分では分からない
どうしたら分かるかと言うと「人に対して注文が多い人」「自分自身に対して期待が大きい人」は自分自身を受け入れていないのです。
騙されたと思って、そのままのあなたを、そのままの人々を受け入れる練習をなさってみてください。
そうしたら徐々にではありますが自己受容と他者受容の領域が拡がっていきます。
まず形から入るということは大切なことです。
やってみて初めて分かることは沢山あります。
◎平安と祝福を祈っています。