今、ネット上では「夫に早く死んでもらいたい妻たち」の話題でもちきりです。
これは今に始まったことではなく、大昔からそうだったのです。
それが女性の経済的地位の向上に伴って、女性たちが自分の本音に気づき始めたという面はあると思います。
それで今日は皆さんとご一緒に「早く死んでもらいたい」と妻に思われないためにはどうしたら良いかを考えます(笑)。
1.夫の問題
①恩に着せない
恩に着せないとは「俺が働いてお前を養ってやっている」と言わないことです。
これを言われると、自分が働いていない妻たちは沈黙せざるを得ません。
そしてこれが夫を嫌いになる最大の原因なのです。
こんなことを何十年も言われ続けて、夫を嫌いにならない方が不思議なぐらいです。
②強圧的にならない
会社での人間関係を家庭に持ち込んではなりません。
会社ではリーダーシップを発揮したとしても、家庭では徹底した聞き役に回らなければなりません。
妻の話を聞き、子供の話を聞き、そうすると大概結論は落ち着くべき所に落ち着くものです。
それを人の話を聞かずに「ああだこうだ」と言うから、話がややこしくなるのです。
③徹底的に愛する
キリストが教会を愛したように、夫たちは妻を愛しなさいというのが聖書の命令です。
この命令に完全に従っている人はおられるでしょうか(笑)。
一人もいないと思います。
そうであれば妻に対しても相手が完全でなかったとしても赦し、受け入れるべきではないでしょうか?
お互いさまなのですから(笑)。
2.妻の問題
①経済的に独立する
今の時代は女性が一生働くのは当たり前になりました。
夫に早く死んでもらいたいと思っている妻は経済力のない場合が多いようです。
愛などはとうの昔に無くなっているのに経済力がないばかりに我慢するほかはなかったのです。
こうならないためには職に就いていることが必要です。
キャリアを捨てないことが大切です。
せっかく新卒で採用されて働き始めても、結婚や出産によって一度退職すると再就職しても派遣だったりパートだったりで経済的保証がありません。
男性が転職を繰り返しながらもキャリアアップを図るように女性もそうするべきでしょう。
②分かってくれないと愚痴を言うのを止め、分からせる努力をする
子供っぽい女性は夫に対して「分かってくれない」と泣き言を言います。
しかし成熟した女性は自分の主張を通すためにどうしたら良いかを考え実行します。
男性は初めは子供っぽい女性をかわいいと思うのですが、そのうちイライラし始めます(笑)。
分かってもらおうとする人ではなく、分かってもらうための努力を惜しまない人が良いパートナーと言えるのです。
③自律した上で従順とは何かを学ぶ
キリストが父なる神に従順したように、妻は夫に従いなさいと言うのが聖書の教えです。
この教えぐらい間違って適用された教えはありません。
聖書を、水戸のご老公の印籠のように用いる人は神の裁きに会います。
従順とはいやいや従う隷従(れいじゅう)ではなく、自発的意志によらないで従う盲従(もうじゅう)でもありません。
自分を律し、自分の意見をしっかり持った人が、自分の意志で自発的に従うのが従順です。
神はそれ以外のものを求めておられません。
3.社会の問題
①社会的弱者である女性と子供に対する保護
経済力を持たない妻が夫に暴力をふるわれる場合、多くの場合に子供が生贄(いけにえ)になります。
なぜなら夫が子供を虐待している間は、夫の暴力が妻である自分に及ぶことはないからです。
女性が経済力をつける努力をすると共に、社会は女性と子供が男性の暴力から守られるようにシェルター(逃れの町の女性版とも言えます)を作ることが急務です。
②夫たちが家に早い時間に帰れるための残業時間の法的な規制
会社は人員整理を行い、首になった人も、残った人にとっても地獄であると言われます。
残った人員で今までと同じ仕事量をこなすためにサービス残業は当たり前のことになります。
それでヘトヘトになって家に帰り着いて「妻と子供の話を聞け」と言われても、それは無理な相談かもしれません。
労働基準法を改正して、サービス残業の禁止規定を厳罰化することが必要です。
「そんな非現実的な!」とある方は言われるかもしれません。
しかしそうではありません。
昭和の時代はサラリーマンが夕食を家族と一緒に食べるのは当たり前の光景でした。
(ちょうど「ちびまる子ちゃん」や「サザエさん」の時代ですね)
それが労働基準法が少しずつ改悪されて、労働環境が悪化したのです。
これを元に戻さなければなりません。
出来ないのではありません。やる気がないのです。
世界中のどの先進国も日本のようにサービス残業をする国はありません。
勤務時間内で仕事を終わらせるためには相当の努力が必要ですが、これは個人を成長させるために最も効果的な方法でもあります。
③教会は女性の側に立て!
最後に教会の問題を考えなければなりません。
カルト被害者に対して考えられないような無神経な言葉を投げつける牧師が大勢います。
レイプ被害者に対しても異常なことを言う牧師も大勢います。
ともすれば家庭内で抑圧されがちな妻たちに対して聖書を間違って引用してさらに抑圧しようとする愚か者牧師も大勢います。
聖書読みの聖書知らずとなってはなりません。
聖書そのものに当たっていくとき、私たちが当然と考えていることの多くが考え直さなければならないものであることが分かります。
看板倒れの聖書信仰ではなく、聖書に生きる信仰者となるのが神の命令です。
「true love」とは恋愛のことではありません。
そんなものは戯言に過ぎません。
本当の愛は家庭の中にあります。
◎平安と祝福を祈っています。