共依存に境界線を引くことが病的な人間関係に別れを告げる秘訣!

境界線を引く

長続きする人間関係を築くにはどうしたら良いのか、人間関係を破綻させない秘訣を何かを見ていきます。

        

①依存的にならない

日本人ぐらい依存が好きな国民はいないといって良いでしょう。
依存とは支配欲求の一変形であると言えます。
どういうことかと言うと、私はあなたの奴隷のようになるから、あなたは私の願う通りの振る舞いをしてほしいと要求することです。

ではどうして相手に依存的になるかと言うと、根本的な原因は自分に自信がないからです。
自分に自信がないから自立できず、誰かの一部になることによって自分の自尊欲求を満たそうとします。

しかし他人が自分の願う通りに振る舞えるはずはありませんから、このような人間関係はいつかは必ず破綻します。

問題は依存している側だけではなく、依存させている側にもあります。

        

②共依存にならない

共依存とは例えばアル中を家族に持つ人がそのアル中を助けるということに依存している状態です。
健全な人間関係は「あなたはあなたであり、私は私である。あなたが治ることを願うが、もし治らなくても私は私の人生を生きる」というものです。

共依存の人間関係は「あなたが治らないと私は困る。是非とも治ってほしい。私の幸せはあなたの回復に掛かっている」というものです。

このような病的な人間関係は周囲を見渡すとゴロゴロ転がっています。
たとえばお母さんがお子さんに向かって「あなたが良い大学に入ってくれないと、お母さん困るんだからね!」と言うのも共依存になっていることを示すものです。

ではどうしたら、そこから脱することが出来るでしょうか?

        

③相手との間に境界線を引く

長く同じ所にとどまっていると、どうしても人間関係は濃密になります。

金融機関などでは、それが金銭的な間違いのもとになりますから二・三年毎に転勤をします。
業界(?)は違いますが、キリスト教会でも監督制を採用する教会では牧師・神父はやはり数年毎に転任をいたします。
面白いことに会衆制・長老制の教会でも牧師は定期的に替わっているようです。
もっともこれは信徒とうまく行かなくなって信徒に追い出されてしまうということもあるようです。

        

④自律する

カルト教会をカウンセリング的な視点で見ると、教会全体が依存と共依存の関係に満たされていると言えます。
信徒は牧師に対して依存的になり、牧師は信徒に対して共依存の関係にあります。
これはまさに病的な運命共同体です。

        

⑤神との個人的な関係を確立する

牧師と信徒がうまくいかなくなる本当の理由は何でしょうか?
イエス様に救っていただいて、御霊の導きに従ってこの地上生涯を歩み、神の栄光を現すという仕事を終えて、イエス様が待つ天国に行って共に永遠を過ごすのが私たちクリスチャンの願いです。
それがなぜ地上生涯の途中で脇道にそれてしまい、協働すべき人たちと仲違いしてしまうのでしょうか?

それは二つのことから目がそれているからです。
一つはイエス様から、二つは地上生涯に生かされている目的からです。
もう一度、私を救ってくださり、天国で私たちの到着を待っておられるイエスを仰ぎ見たいと思います。
また自分の人生の目的を知って、その目的の成就のために邁進させていただきたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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