日本の歴史上、唯一キリスト教文化が花開いた時代がキリシタンによって宣教が行われた戦国時代でした。
1549年のフランシスコ・ザビエルによる宣教開始から、1587年のキリシタン禁止令が発布される38年間の短い間でしたが、最も活発な宗教勢力として活躍したのでした。
キリシタン禁止令は数回にわたって出されています。
初めの禁止令は出されたものの実質的な宣教は禁止されていませんでした。
それが新たな禁止令が出されるたびにキリシタンへの包囲網が縮まっていきました。
聖職者が日本から一人もいなくなるのは1643年であると言われます。
ということは初めの禁教令が出てから56年間、弾圧と迫害に持ちこたえたということになります。
キリシタンに関心のある人々が、様々な問題を投げかけています。
今日は皆さんとご一緒に、この問題を考えます。
目次
1.なぜキリシタンへの迫害が始まったのか?
①宣教師が奴隷を連れてきた
イエズス会宣教師は日本文化に配慮して奴隷を連れて来ませんでした。
しかし、あとからやってきたフランシスコ会宣教師は奴隷を連れてきました。
これがその当時、奴隷制度のなかった我が国の人々の目には脅威に映ったのではないかと言う人がおります。
②キリシタンが神社・仏閣を焼き討ちした
キリシタンの中には他宗教の施設を焼き討ちする者がいました。
これが人々の目に脅威に映ったようです。
③ゼウスへの絶対的な忠誠心が、当時の支配者には危険なものとして認識された
当時、浄土真宗の門徒の一揆に手を焼いていた支配者は、浄土真宗以上に強い信仰心をキリシタン達が持っているのを見て、勢力がこれより大きくならないうちに根絶やししようとしたのではないかという人もおります。
④キリシタンが賢く振る舞えばトラブルは起きなかったいう思い込み
キリシタンが賢く振る舞えばこんなことにはならなったという思い込みが、上記の主張をする人々の中に見ることができます。
しかしありのパパはそのようには考えません。
なぜなら迫害が起きたのは日本だけではなく、全世界で起きているからです。
上記の説明では日本で迫害が起きた理由は説明できても、ではなぜ世界の他の地域でも同じような迫害が起きているかを説明できません。
やはり聖書が教える通り『キリストにあって敬虔に生きようとする者は必ず迫害を受ける』と考えるのが妥当です。
⑤キリシタンの失敗から教訓を学び取る必要がある
だからと言ってキリシタンが犯した失敗から何も学ばないで良いというわけではありません。
a.他の宗教との平和共存がうまく行かなかったこと。(神社・仏閣打ち壊しを阻止できなかったこと)
b.宣教地の社会制度を尊重しなかったこと。(奴隷を持ち込んだこと)
c.『神のものは神に、カイザルのものはカイザルに』という聖書の原則からの逸脱があったこと。
これらの事柄は現代のキリスト教宣教に対しても心しなければならないことを教えています。
2.キリシタンを根絶やしにすることはできなかった
①キリシタンは真の勝利者
まず、はっきりさせておかなければならないことがあります。
それはキリシタン宣教は失敗ではなかったということです。
当時60万~200万人いたとされるキリシタンの三分の一が殉教、もう三分の一は国外追放、残りの人々が隠れキリシタン(潜伏キリシタン)になったと言われます。
彼らは皆勝利者です。
『死に至るまで忠実であれ』と聖書が教える通り、信仰を貫き通しました。
②なぜキリシタンは多数派になれなかったのか?
ただ、他の諸国では何世紀にも渡って迫害が続くが、遂にキリスト者が多数派を占めるに至ります。
我が国では、そのようにはなりませんでした。
これの原因を分析することは、現代のキリスト教会にとっても有益だと思われます。
③行き過ぎた行為が原因であるとは考えにくい
再臨信仰で有名な森山諭牧師はご自身の著書の中で「暴力をふるったことが迫害に抗することの出来なかった最大の原因である」と書かれました。
この説が正しいとすると、キリシタン達は神社・仏閣を打ち壊したことを最後まで悔い改めなかったことになります。
果してそうでしょうか?
聖霊なる神が、行き過ぎた信徒の行動を内的な光によって矯正してくださらなかったと考えることは果たして正当でしょうか。
それとも聖霊の内なる導きに最後まで抵抗して、『聖霊に逆らう罪は決して赦されない』という御言葉が成就したのでしょうか。
ありのパパの個人的感想ですが、そのように考えることは難しいのではないかと思います。
④歴史に働く神の計画
一番初めのキリスト教宣教者であった景教の宣教は聖徳太子の改革が挫折することによって頓挫します。
そして歴史から抹殺されてしまいました。
二番目のキリスト教宣教者であるキリシタン達も皆殺しにされました。
三番目のキリスト教宣教者である私たちも、戦前の日本において決定的な敗北を期しました。
しかしこのような苦渋の宣教歴史を経ながらも、日本社会に少しずつキリスト教精神が浸透しつつあるのを認めることができます。
このようなことを考えるとき、歴史に働く神のご計画というものに目を向けざるを得なくなります。
3.これからの展望
①隠れキリシタンが230年間を耐え抜けた理由は何か?
それは家々に置かれた講(信徒集会・または家の教会に近いもの)であると、ありのパパは考えています。
この制度によって彼らは信仰を守り抜き、大部分のキリシタン達はカトリックに復帰していきました。
これは驚くべきことです。
230年間、聖職者の指導がなくても信徒だけでやってこれたのです。
このことは私たちに何を教えているのでしょうか?
②彼らはなぜ命がけになれたのか?
キリシタンはなぜ恐れに打ち勝つことが出来たのでしょうか?
それは本音のところで神とつながっていたからだと思わせられます。
それでもおな死をも恐れない信仰を私たちと同じ日本人がなぜ持つことができたのかは分かりません。
彼らと同じ信仰を私たちも持つことが出来ますようにと神に祈ります。
キリシタンが打ち立ててくれた土台に私たちの教会を立て上げることが出来ますように。
◎平安と祝福を祈っています。
ありのパパさん、こんばんは。
歴史事・他人事になると本当に申し訳ないほどに興味のもてない自分ですが、自分に関係するキーワードによって考えることができますことをまず感謝します。
私にとってキリシタンとは。
実は私は今、キリシタン大名が祀られている神社「光雲神社(てるもじんじゃと読みWikipediaでも検索できます)」が家の裏手にある土地に住まわせていただいています。
このご縁を知った時、「隣人愛」「共存共栄」というキーワードに対し私は強烈に身が引き締まる思いがしました。きちんと考えていかなくてはいけないなと。
バテレン追放令によって迫害者側に転じてしまったのち、彼らはどんなことを思いながら生涯を閉じていったのだろうかと思いを馳せずにはいられません。
こうして今、私たちが堂々と明るく守られてクリスチャン生活を送らせていただける世になってきていることを、神とかつての先輩クリスチャンの皆さんに感謝するばかりです。
Mieさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
本当にそうですね。
歴史の中に働く神のご計画を思うとき、失敗とか、犬死にとか、無駄死にとかは絶対にないことを確信するものです。
全ての働きが、今の私たちに役に立っているのを見ることは、何と大きな喜びでしょうか。
この様にして私たちも、次の世代に宣教のバトンを渡していく使命を果たしたいものです。
またコメントしてください。お待ちしています。