【来談者中心療法】問題をもつ子供を親が受容するための九つの秘訣

登校拒否のお子さんを持つ親御さんが言われることに「『子供を受容しなさい』と言われて、受容しようとするのだができない」というのがあります。
今日は皆さんとご一緒に、どうしたら人を受容できるかを考えます。

        

1.表面的なことで判断せず、物事の本質を見極める

「表面的なことだけで人を裁かないで、物事の本質を正しく見極めなさい」[ヨハネ7:24]

①行いに焦点を当てるのではなく、存在に焦点を当てる

「お子さんを受容してください」と言われて、「うちの子供に良いところなんか一つもありません」と答える親御さんがおられます。
そのように言いたくなる親御さんのお気持ちも分かります。

しかし問題は子供にあるのか、それとも子供に一つも良いところを見つけ出すことが出来ない親の側のどちらにあるのでしょうか?

全ての人間は神によって造られた神の作品です。
ですから皆善い存在であるとして受け入れるのです。
「そんなこと出来ません!」と言う声が聞こえてきそうですが、問題を解決したいならそうするしかありません。

②問題行動の背景を知って理解する

子供が万引きをしたりすると、末は大悪党にでもなるのではないかと、お先真っ暗になりがちです。
しかし決してそうはなりません。
万引きは一般的に言うと子供の愛情飢餓が隠された理由であり、愛情を欲する子供が発する信号です。
それが分かれば、あとは子供に愛されていることを自覚させることが出来れば万引きは止みます。

③受容と肯定はちがう

存在を受け入れるのが受容であり、行為を受け入れるのが肯定です。
分かりにくく感じるかもしれませんが、たとえば「人を殺してきた」と言う人に向かって、「あなたがそうせざるを得ないお気持ちがあったんでしょう」と言うのが受容であり、「人を殺しても仕方ないよね。時にはそういうこともある」と言ってしまうのが肯定です。

人が癒され成長していくのは受容されたときだけです。
肯定されてしまうと人は成長することが出来なくなってしまいます。

        

2.自分自身を受容する

①自分自身を受容している分しか他人を受容できない

ある特定の人のある特定の行為が癇(かん)に触ってしようがないという場合があります。

ありのパパはかつては遅刻する人が赦せませんでした。
その人が悪びれもしない場合は怒りが爆発しそうでした。
そして遅刻した人に対して怒りを感じるのは当然と思っていました。

しかしある時に、ありのパパ自身が遅刻する自分を赦せないことが人を裁いてしまう原因であることに気づきました。
ありのパパは心の中で「遅刻しない自分は合格。遅刻する自分は生きていてはいけない」と知らず知らずのうちに考えていたのでした。

それで思い切って「遅刻しても、しなくても、自分は生きていても良いのだ」と文章記述(頭の中でグルグル回っているテープレコーダーのことを指します)を変えてみました。

そうしたところ遅刻する人に対して理不尽な怒りを感じなくなりました。
また遅刻してはいけないというプレッシャーから解放されたせいで自分自身も遅刻しなくなりました(笑)。

②出来ない自分を受容する

受容しようと努力はするのですが「やはり自分には出来ない」と諦めてしまう方もおられます。
そのように思うことは、ある意味では当然です。

「私は人を受容できる」と公言してはばからないカウンセラーがいました。
しかしそのカウンセラーは「受容できない」と言う人を裁いているような感じがありました。
ありのパパはそれを見て「なんだ。受容してないじゃん」と思ってしまいました(笑)。

本当に受容するとは受容できない自分を受容することです。
それでこそ願ったように生きることが出来ないで苦闘する人々を受容することが出来るというものです。

③神に委ねる

家族にアルコール依存症者がいたりすると、自分が何とかしないといけないと考えがちです。
しかしこれはいけません。
なぜなら人には人を癒す力がないからです。
人をお癒しになれるのは神だけです。(もちろんこれを言い訳にして、自分がなすべきことをしないのはいけません。)

私たちに出来るのは人々をありのままに受容することです。
この関係を作ることが出来れば、この関係性を通して神が癒しの業を行ってくださいます。

        

3.一元的視点で見つめる

①すべてのことを働かして益としてくださる神の計画を信じる

問題が起きるたびに「悪いことが起きた!」と受け止めている限り、私たちの人生は振り回され続けます。
そうではなく、すべては私たちを祝福するために神がお与えくださっているのだと受け止めていくとき、振り回される人生から解放されることができます。

②家庭の外の人間関係を活用する

お子さんが問題を起こしたとき、家族だけで何とかしようとしないことです。
昔は親戚のおじさん・おばさん、近所のおばさんが何くれとなく気を配ってくれたものです。

それで子供たちは家庭に欠損があっても、確実に育つことが出来ました。
今の日本社会には、そのような地縁はありませんから、他の人間関係を見いだし活用しなければなりません。

最も有力なのが教会における人間関係です。
正常に機能する教会とは、長老や役員と呼ばれる人たちが昔の親戚のおじさん・おばさんに当たり、教会学校の教師たちが昔の近所のお兄さん・お姉さんに当たるような役割をこなしている教会です。

③子離れする

お子さんが十代の後半であるなら、それは親が子供から精神的自立をはかるべき時期です。

早く子育てから引退したいという親もおれば、いつまでも子供に関わっていたいという親御さんもおられます。
前者の親はどちらかというと子供っぽい親、後者の親はどちらかというとコントロール欲求の強い親ということが言えるでしょう。

どちらにしても親が子育てから撤退しないといけないときがいつかはやってきます。
そのシグナルを見逃さないように気を付けていることが大切です。

人を受容するのは困難なことです。
しかし「この人は受容できない」と思える人は、実は自分に似た人でもあるのです。
他者受容に励むことは、同時に自己受容を促進させることにもなります。
そう思ってお互いは他者受容に励もうではありませんか!

◎平安と祝福を祈っています。

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