自分自身を愛していないと他者を愛せない。まず自分自身を愛そう!

皆さんとご一緒に「なぜ人を愛せないのか?」「どうしたら人を愛せるようになるか?」を考えます。

こんなことを書くと、どんなに大変な道が待っているかと、うんざりする方もおられるかもしれません。
でも案外簡単なのです。
難儀なことは実行が難しいですし、何より続きません。
逆に効果がある方法は実行するのが簡単ですし、続けることも出来るものです。
その道を探ってまいりましょう。

1.人を愛せない理由は何か?

①自分自身を愛していないから

多くの人は自分自身を愛するということが、どういうことか分かっていません。
また自分自身を愛することと、他者を愛する関係も理解していません。

しかし少しずつ自分自身を愛する道を歩み始めると、自分自身を愛している分しか他者を愛せないと気づきます。

②自分自身を憎んでいるから

憎んでいるとは、ここまで出来たら合格、ここまで到達できなかったら不合格というように自分自身をいじめ抜くことです。

あるべき姿は、自分自身を一元的に受け入れることです。
出来ても、出来なくても、大丈夫な存在として受け入れることです。

人には浮き沈みがあります。良いときも悪いときもあります。
そんなとき「どんなときでも大丈夫!」と自分自身を受け入れることが出来ていない人が、他者を受け入れることが出来るはずはありません。

③依存的な性格だから

依存的な性格の持ち主は、自分が依存する相手はいつでも自分の要求に答えて当たり前だと思っています。
そのような関係は、いつかは相手が要求に答えきれないときがやってきます。
それでも相手に要求を突き付けますから、関係が破たんするのは必然であると言えます。

では依存的になる原因は何でしょうか?
それは自我が確立していないからです。

一番依存的で、一番自我が確立していない人は誰かご存じですか?
そうです、それは赤ちゃんです。
しかし赤ちゃんなら何の問題もありませんが、これが成人であると大問題になります。

自我が確立するということのコアは、自分と他人の区別がつくようになるということです。
赤ちゃんは母親と自分の区別がついていません。
だからお腹がすくと、泣いて訴えることが出来るのです。

何らかの理由で大人になっても自我が確立しなかった人はパートナーに依存するようになります。
代理母・代理父というやつです。
日本では夫婦がお互いに「お父さん・お母さん」と呼び合うことがありますが、これは父母の代理をパートナーに求めていることの現れです。

2.どうしたら人を愛せるようになるか?

①自己受容する

自分自身を愛するとは何を意味しているのでしょうか?

a.自分自身を赦していることです。

b.自分自身との関係を切っていないことです。

c.自分自身をどんなときでも大丈夫と受け入れていることです。

②異なる性格の人と交わる

子供が似た者同士で友達になるのは、コミュニケーション能力が未発達のために自分と似た者同士ならコミュニケーション能力の助けが必要ないからです。

しかしこれは鏡に写る自分と握手しようとするようなものです。
決して握手できませんし、成長を伴った友人関係を築くことはできません。

自我が確立している人々は、お互いの違いを楽しむことができます。
苦労して一歩一歩相手が何を考えているかを理解できるように努力します。
そのことによってのみ、コミュニケーション能力を向上させることが出来ます。

③他人は自分のために生きているのではないと肝(きも)に命じる

小さなことでイラッとするとき、それはあなたの依存的性格が傷ついたときです。
これはあなたが勝手に傷ついているのに過ぎませんから、そのようなときは自分を笑い飛ばすことです。
「また一人芝居をしてしまった。自分で勝手に期待して、勝手に傷ついてしまった」
このようにして一歩一歩大人になっていけると良いですね。

人を愛せるようになる秘訣は、第一に自分自身と良い関係を保っていること、第二に自我が確立していること、第三にコミュニケーション能力が豊かにあることです。
どれを取っても、やりがいのあることばかりです。
共にこの道を歩ませていただきたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

5件のコメント

  1. ありのパパさん、こんばんは。
    前「つむぎ」と名乗って最初のコメントを載せていただき、その後ありのパパさんの入信記念日の記事で、Mie と改名させていただいた者です。

    いつも更新をありがとうございます。
    特にアダルトチルドレンについてのこと、信仰依存症のこと、ギブアンドテイクのことなどなどは、自分の身をよくよく省み、今の自分の状態をじっくり自己チェックするのに、とても心に沁み入りました。
    いつも感謝しております。

    さて、今回の記事に、ぜひコメントを残させていただきたいと思い、参りました。
    実は私の場合は、「冷たい人間」と検索して来られる方が本当に多いのです。
    そのキーワード検索で、トップページに来るほどです。
    なので私も、ありのパパさんのように、こうして追加でなにか記事を書いてみたいと、常々思ってはいるのですが、いったいなんと言ってあげたらいいのか、まったく思い浮かばなく、申し訳ないような思いをしております。
    どういう境遇・お気持ちの方が、どういう状態の中でその言葉を検索されたのか…私の当時の記事が、なにか小さな解決の力にでもなれればいいなぁとは思っているのですが…

    なので、もしも、いつか、御心がありましたら、ぜひありのパパさんにも、その「冷たい人間」というキーワードでなにか記事を書いていただけたら、嬉しいなぁと思います。
    「人を愛せないのはなぜか?」というキーワードとも、リンクするような気がいたします。

    ありのパパさんは、人に冷たい人だと言われたことがありますか?
    もしくは、誰かをこの人は冷たい人間だと思ったことがありますか?
    冷たい人間だと思われる人たちを、どう思いますか?
    冷たい人間だと言われる、思われる人たちは、どうしていけばいいでしょうか?

    そんなことを、私は、まだ考えている途中です。
    もしよろしければ、アドバイスやありのパパさんなりの現在の見解などお聞かせいただければ、嬉しいなと思います。
    もちろん、私の方は、ちっとも急いでいません。
    いつか…なにか…そんなゆったりとした気持ちですので、小さくお心に留めていただければ充分です。

    1. Mieさん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。

      「冷たい人間」って………………(笑)。
      う~ん。
      ちょっと思ったのですが、冷たいというのは依存的な人間が、依存させてくれない人に対して感じる感情ではないでしょうか。
      もしそうだとしたら、この言葉に反応すること自体が、相手の依存心を増長させてしまうことにならないだろうかと危惧します。
      冷たいというのは、「してくれて当たり前なのに、あなたはそうしてくれない」という恨み節ではないかなと思いました。
      余り深く考えたことがないので、間違っているかもしれません。

      問題の核心は「冷たい人」と言われる側にあるのではなく、そのように言う人にあるのだと思いますが、如何お考えでしょうか。

      またコメントしてください。お待ちしています。

  2. ありのパパさん、お返事をありがとうございます。

    私の当時の記事をご覧いただければさらに伝わりやすいかと思いますが、

    “「冷たい人間」と言われてました”
    http://moonprayer7386.blog27.fc2.com/blog-entry-11.html

    私を冷たい人間だと言っていたのは、何を隠そう、私の家族たち(母親と弟たち)でした(笑)

    >問題の核心は「冷たい人」と言われる側にあるのではなく、そのように言う人にあるのだと思いますが、

    はい。きっと、まさにありのパパさんがおっしゃるとおりなのだと思います(笑)

    「あなたは冷たい人間だ」と言ってくるあなたは、それはあたたかい心から出て来た言葉なのですか? と、私は、言い返したいのです(苦笑)
    本当にあたたかい人間であれば、そんなセリフは言ってこないでしょう。まさに、逆、なのですね。

    ただ…小さい子供の頃は、そんなふうに気づいて親に言い返すことや、自分で自分の心を守ることなどがまだ上手くできませんから…ただただそれが神のごとき親の評価なのだと、最初にそう根深く信じ込まされてしまうわけですね。
    それで、結果、あとから人に、父なる神の愛…などと言われても、ちっとも愛など伝わってこない、神様なんてくそ食らえ! みたいに思っている自分が、できあがってしまうわけです。
    こんな自分に、”本物の神様”の与えてくださる”本物の愛とはなにか”を伝えるのは、本当に骨が折れます;;(苦笑)

    ですが、人を「冷たい人間」だと思うあなたこそが、問題なのでは?…と、そんな書き方をするわけにもいきませんし…(苦笑)
    そんな書き方をしたって、いい解決になるだろうかと、読む人の心に届くだろうかと、そこが悩みどころなのですね。

    まぁ…20年悩んでやっとここまで来れましたので、さらにもう20年くらい年齢を積み重ねた頃には、またなにか追加で上手く文章にできるかな、と、そんなふうに思いながら、じっくり寝かしている課題です。

    申し訳ありません。とりとめのない書き方で。
    でも、ありのパパさんのお返事は、とても慰めと励ましになりました。
    方向は、間違ってないなぁと、安心しました。
    充分、感謝でいっぱいです。ありがとうございます♪

    1. Mieさん、こんばんは。
      コメントありがとうございます。

      神のごとき位置にある親が言ったことは、子供の心の深層に焼き付けられますね。
      仰る通り、人は養育者というフィルターを通して父なる神を見ますから、なかなか神は愛であると信じることができません。
      そのような日本人が多くいます。
      私もそうでしたし、このブログにメールをくださる方々にも多くいらっしゃいます。

      感じることができなくても、信じて歩み続けていくとき、いつかどこかで神の愛を実感するときが必ずやってくると信じます。

      話は変わりますが、ご両親をよく赦すことが出来ましたね。
      私は長い間復讐していました。
      しかし両親をカウンセリングする中で、両親もまた祖父母から受けたネグレクトのゆえに心に傷を負った被害者であったということを知り、心の中のマグマが鎮火してしまいました。
      癒しの過程は、人生全体を見渡すような大きなスパンで考えていきたいと思っています。
      共に励みたいものです。

      またコメントしてください。よろしくお願いいたします。

  3. ありのパパさん、お返事をありがとうございます。

    > 話は変わりますが、ご両親をよく赦すことが出来ましたね。

    いいえ~。正直なところ、きっと私は、まだまだ赦せきってはいないんだろうと思います。
    だから、追加が、まだ書けないのですね(苦笑)
    まだまだ時々、なにかの刺激にうっかりひっかかると、ぶわーっと全身から大出血するように、それこそマグマが大噴火するように、積もり積もった恨みつらみ呪いを思い出して、ヤバイ;;と思う時があります。
    ですが、神様は、私のことを本当によくご存知で(苦笑)、私がヤバイ復讐をしないよう、生家との距離を物理的に離して(高校卒業後から家を出て一人暮らしを始めることができ、今では北海道と福岡です(笑))くださいましたことが、とにかく守られて感謝です。

    あとは、私の場合はとにかく、書いて出すことですね。
    書いて出して読み返して受け止めてとことん自分と対話して、その繰り返しです。
    書くこと、これができていたから、私はまだなんとかこうして無事に生きてこられたのかもしれません。

    > 両親もまた祖父母から受けたネグレクトのゆえに心に傷を負った被害者であった

    そうなんですよね…その祖父母もまたさらにその両親から…と、傷は、ずっと続いてきているんですよね…
    私は、その祖父母の代以上からも、赦していかなくちゃいけないんだなぁと、思います。
    なんだか、人生は、ゆるす旅のような気さえしますね。

    ありのパパさんが何度も言ってくださいますように、とにもかくにも、まずはこの自分自身を、自分でもう少しゆるし、まずは自分で、自分をもう少し愛してやれるようになっていくことなのでしょうね。
    この自分自身に、なんとか本物の愛を伝えてやりたい。
    私の思いは、ただそれだけなのかもしれません。

    そのためのステップは、やはり今回ありのパパさんがこうして書いてくださった記事の内容、まさにそのとおりだと思います。
    本当にやりがいのあることばかりです。

    この記事を、心から感謝します。

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