我が国の弟子訓練ムーブメントの中心人物が、マインドコントロール手法を使って信徒を抵抗できない状態にして、セクシュアル・ハラスメントを行った疑いで、警察に逮捕されました。
二次被害を覚悟して警察に訴え出た被害者の皆さんの祈りと願いを、神様が聞き届けてくださったことを感謝したいと思います。
一連の牧師の不祥事の特徴は、セクハラとマインドコントロールがセットになっていることです。
どの事件もマインドコントロールによって抵抗が出来なくされた状態でレイプ行為が行われております。
このような事件が起きる原因と、再発防止策を考えます。
1.問題の原因は何か?
①教会内部のカリスマ体質
牧師を預言者や使徒として祭り上げること自体が誤りであったと言わざるを得ません。
新約聖書を見ると、たとい使徒や預言者であっても、他の者は言いたい放題のことを言っているのであり、神に選ばれているということをもって、発言を控えるということはありませんでした。
今でも、福音派教会などで聞かれることに「神に選ばれた者に刃向かってはならない」というのがあります。
しかしこれがもし聖書の教えであると思っているなら、パウロがペテロやバルナバを皆の前で非難したことをどのように説明するつもりなのでしょうか?
②聖書の教えを間違って理解している
日本で最大と言われる教会堂をもつ教会の牧師が次のように説教しているのを聞きました。
「聖書には何と書いてありますか?赦せと書いてあるではありませんか。それだのに訴えたり、非難したり、どうしてそのようなことをするのですか。どうして騙されていないのですか。」と涙声になりながら語っていました。
何を指しているか明言されませんでしたので、これが何を指して言われているのかは分かりません。
もしこれが弟子訓練教会の問題を指しているのだとしたら、これは明らかに聖書の読み間違いであると言わなければなりません。
聖書には『教会の外のことは神の裁きに委ねなさい。しかし教会の中のことはあなたがたが裁きなさい』とあります。
2.再発防止の道は?
①教会内の風通しを良くする
これは単に何でも話せるというだけでなく(これも大変重要ですが)、制度として教会員が教会の指導者に向かって発言する場を担保することです。
教会総会が日本企業の総会のようにシャンシャン大会で終わってはなりません。
何時間でも教会の問題を出し合う場としなければなりません。
②役員会・長老会が本来の機能を発揮する
聖書には教師は人一倍厳しい神の裁きを受けるとあります。
これは教会学校の教師を指して言われているのではなく、教会の指導的立場にある者に対して言われているのです。
この指導的立場とは誰のことでしょうか?
それは牧師と役員(監督教会)と長老(長老教会)と信徒リーダー(会衆派教会)を指しているのです。
ありのパパが見るところ、日本の教会の役員会は本来の機能を発揮していません。
牧師の言いなりで、牧師を褒めたたえるだけでは、神の裁きのとき、神の御前でどのように弁明をするつもりなのでしょうか?
③超教派のカルト・セクハラ対策窓口の設置
今度こそ、相談窓口を設置しなければなりません。
以前これがなぜ実現しなかったかと言えば、教会の内政に干渉されることを恐れた各個教会が難色を示したからでした。
もし雑誌「ハーザー」でカルト問題が扱われたとき、あのままカルト・セクハラ対策窓口が設置されていれば、今回の問題は起きなかったかもしれないのです。
訴えられると思えば、自制力が働きます。
もちろんマインドコントロールされていれば訴えることも出来ないわけですから、教会内においてマインド・コントロール手法を使わないということが前提になります。
3.教会はどのような姿に変わるべきか?
セクハラを行った者は示談が成立しない限り、刑事告訴されねばなりません。
マインドコントロール手法を使うことも、厳しく禁止しなければなりません。
今でも多くの聖霊派教会では、牧師を神に立てられた使徒・預言者として崇拝するカリスマ体質が色濃く残っているのではないでしょうか。
すべての人が神に立てられているのです。
神の御前で誰かに比べて特別な人というのはおりません。
人と比べるのを止めた人をクリスチャンと言うのですが、カリスマ体質には「誰かに比べて神聖・他の人に比べて神に愛されている」という二元的な価値観が投影されているのではないでしょうか?
神の御前ですべての人が罪人に過ぎないのですから、その自覚をもって教会を建て上げていきたいものです。
◎日本の教会が当たり前のことを当たり前に行う教会になるようにと祈るものです。
平安と祝福を祈っています。