ありのパパが神学校に通っていたときの話です。
入院している教会員の方が、同じ入院先の病院の方に伝道しておられました。
それで良いところまで来ているので、信仰の決心を導いてほしいという電話が掛かってきました。
ありのパパは神学校に入るまではホーリネス派の教会に通っており、神学校入学を機にペンテコステ教会に転会したのでした。
ホーリネス派も熱心でしたが、ペンテコステ派の伝道熱心は驚異的だと思いました。
内心、うかうかしていると自分がその熱心に振り落とされかねないほどであると感じました。
それで驚きながらも、請け負ったのですが、いざ病院に行こうとしてエレベーターに乗っていたとき、自分はまだ神学校で伝道の授業を受けたことがないのに気が付きました!(気が付くのが遅い(笑))
「俺、まだどうやって伝道したらいいか知らんやん。どうしよ~。」
一気に鼓動が激しく打ち始めました(笑)。
それで慌てふためきながらも、しようがないので自分に出来ることは何かを自分自身に問いました。
そうしたところ、「傾聴」(黙って相手の話を聞くことです)と異言で祈ることの二つが自分が持っている武器であることを確認しました。
それでエレベーターの中で(一人きりでした)大声で異言で祈り始めました。
エレベーターを降りて病室に行こうとすると、教会員と求道者がフロアーの談話室におられました。
ここで伝道せよとのことでしたが、他にも多くの方が談笑しておられました。
ありのパパがやったことと言えば、黙って相手の方のお話を良く聞くことだけでした。
不思議なことに談話室におられた方が一人また一人と、その場を去っていかれるのです。
そしてそこに私たち以外の誰もいなくなったとき、その求道者の方のお話も一段落しました。
それで私は「キリストを受け入れるのに、何か不都合はおありですか?」と伺うと、その方は「いいえ、何もありません。」と仰りました。
誰もいなくなった談話室で、悔い改めの祈りとキリストを受け入れる祈りをご一緒にいたしました。
その方は涙をポロポロ流しながら、イエス様をご自分の救い主として心に受け入れなさいました。
ありのパパはそれを目の当たりに見ながら、心の中でイエスを褒めたたえておりました。
もちろん、これは熱心な信者さんが事前に入信前に知っておかなければならないことを伝えておいてくださったからこそ実現できたことです。
その時以来、ありのパパは伝道は聖霊の力によることと、信仰は押しつけるのでなく、相手の心に寄り添うことによるのであることを確信しています。
どうぞ皆さんも、「こんな伝道の経験があるよ」というものがありましたら、是非コメントしてください。
お待ちしています。