セルチャーチを教会形成の基本にする教会に様々なスキャンダルが起き、それにともなってリベラル派教会からの批判がなされています。
批判を考慮することを通して真に聖書的なセルチャーチとはどのようなものかを考えます。
1.初代キリスト教会こそ、セルチャーチの原型
聖書の「使徒の働き」を読むと、教会の様子が現代の教会とあまりに違っているのでとまどいを覚えるほどです。
しかし何が時代的制約によるものなのか、何が地域的特長によるものなのかを知って、そこから普遍的真理を導き出すのは簡単なことではありません。
それをわきまえた上で論を進めますと、小集団グループこそ初代教会の型であり(原型という意)、現代キリスト教にとってリバイバルの鍵になるものだと、ありのパパは確信しています。
2.リベラル派キリスト教からの批判に答える
①そもそも問題はどこから出ているのかを考える
リベラル派キリスト教会からの「そうは言っても現実は洗脳の道具、牧師による信徒支配の道具になっているではないか?」との批判にどのように答えればよいでしょうか。
初代教会の時には、現在の日本の教会で問題になっているようなことは起きていません。
また現代の中国では家の教会を通して大リバイバルが起きていますが、問題は起きていません。
ですから問題の原因をセルチャーチそのものに求めることは、的外れもはなはだしいことです。
②問題はどこにあるのか?
それはセルチャーチの運営の仕方や、我々の文化に対する洞察力の不足が原因であると考えます。
a.ありのままでよいとの思想が希薄で、行いを強調する文化
b.人の顔を恐れる文化が教会の牧師と信徒の関係をも規定する
マインド・コントロール牧師はこれを意図的に悪用するわけです。
c.人間理解が表面的なので、人間存在を複合的に捕らえることに失敗している
2.真に聖書的なセル・チャーチとは、どんなものか?
①セルによって構成される教会
セルを信徒支配の道具として利用するのではなく、教会を構成する最小単位としてセルを捉えます。
セルは信徒同士の相互牧会の場であり、信仰生活の場です。
②信徒が教会建設の主体
信徒の仕事は牧師に仕えることではありません。
そうではなく信徒は教会建設の主役なのです。
牧師の仕事は、教会建設を行う信徒を補助することです。
③礼拝とセルは車の両輪
セルにのみ重点を置くと、異端やカルト的教えが教会に入り込んできたときに、まるでファイアーオールなしのパソコンのようになってしまいますので、週一度の全体礼拝で正統的教理の徹底を図る必要があります。
◎平安と祝福を祈っています。