私たちが聖書を読もうとするとき、当然のことながら翻訳された聖書を読むわけです。
日本で翻訳・出版されている聖書は何種類かありますが、その中に「新共同訳」という名の聖書があるのをご存知でしょうか。
今日はこの「新共同訳聖書」についてお話してみたいと思います。
どの翻訳聖書を選べば良いのか?
なんと「新共同訳聖書」は驚くことに、カトリック向けとプロテスタント向けに内容が違います。
聖書が編纂されるときから外典・偽典とよばれる書物がありました。
当然のことながら聖書の編纂作業の際、これらの書物は除外されました。
ところがカトリック教会ではこれらの外典・偽典も聖書に含まれるようになってしまいました。
詳しい経過は分りませんが、教会を聖書より上位におくカトリック教会ならではという気がします。
そういうわけで長らくカトリックとプロテスタントは内容の違う聖書を使っていたのです。
とは言っても聖書そのものは一つであって、ただカトリック教会が外典・偽典を無理やり聖書に入れてしまったというだけのことです。
ところが教会一致運動の影響により、カトリック教会とプロテスタントのリベラル派教会が合同で聖書を翻訳・出版する事業を行うことになりました。
ここで問題が生じました。聖書の内容をどうするのかということです。
ありのパパはここでカトリック教会が霊感された書物によってのみ構成される聖書に立ち戻るのを期待したのですが、期待に反してといいますか、やっぱりと言うか、内容の違う二種類の聖書に同じラベルを貼って出版したのです。
面の皮(つらのかわ)が厚いのもほどがあるというものです。
出版元の日本聖書協会の主事は外典・偽典をさして、こともあろうに「第二聖典」と呼んでいます。
いつから外典・偽典が第二聖典になったのですか!
このようなわけで新共同訳聖書は欺瞞に満ちていると言わざるを得ません。
結論としてありのパパは、この聖書を買ってはならないし(購入することにより倫理的に問題のある事業に資金を提供することになる)、読まないほうがよいと考えています。