異言はあってもなくてもよいものと、聖書は言っているか?

そもそも聖書は異言をあってもなくてもどっちでもいいと言っているのでしょうか?
ありのパパは聖書をどう読んでもそのような理解は出てこないと考えます。
福音派教会はなぜ異言を遠ざけようとするのか、その理由を考え、またあるべき教会の姿を考えます。

        

1.聖書は異言をあってもなくても良いものと言っているか?

異言を語りだす

ある福音派のクリスチャンがこのように申されました。
「異言はあってもなくてもどちらでも良い。ことさら異言を強調することには違和感を感じる」
それで今日は果してその通りかどうかを考えてみます。

上記の言葉は、いろんな所で、いろんな人が、言っていることではあります。
ちょっと聞くだけでは、なるほどと思ってしまいます。
しかし聖書はそのように言っているでしょうか?

        

2.聖書は異言で祈る賜物があると言っている

異言で祈る賜物を否定することは、聖書を神の言葉と信じる限り、あり得ない選択です。
アメリカのウェスレアン教会がペンテコステ運動に対して行った反論に「聖書にある異言は外国語だった」というのがあります。
この主張が本当に聖書的であるとするなら、教会は外国語の達人ばかりということになります。
英語の勉強に難儀する多くの学生が、ウェスレアン教会に押し寄せるのではないでしょうか(笑)。
聖書を誤りのない神と言葉と信じている教会であっても、うっかりしているとこのような明々白々な誤謬を犯してしまうという典型的な例です。

        

3.聖書を割り引いて解釈してはならない

聖書が異言で祈る賜物を認めているとすると、本音では異言を否定したい人々は「異言で祈る賜物を過度に強調しない」というもっともらしい見え透いた態度をとることになります。
この見解を聖書的であるとして受け入れることができるでしょうか?
決して出来ないと思います。

なぜなら異言で祈る賜物を用いての神さまとの人格的交わりなしに、この世を生きていくことはあまりにも寂しく辛い人生であると感じるからです。
「ほっとけよ。私の人生なんだから、余計お世話しなくていいよ」と言われるかもしれません(笑)。
確かに人の勝手というのは、あるでしょう。

しかし個人のクリスチャンならば、どのように理解しようとも、それは人の勝手ではあるのですが、聖書の教えに忠実でなければならない教会には、そのような勝手はありません。
なぜなら教会はただのサークルでもなく、純然たる人間の組織でもなく、天国の大使館であるからです。
大使館(神の教会)は本国(天の御国)の意向に忠実である必要があります。

        

4.なぜ異言で祈る賜物を認めないのか?

それは聖霊なる神が自由にお働きになることを認めたくないという動機が根底にあるからではないでしょうか?
皮肉すぎるかもしれませんし、うがち過ぎと言われるかもしれません。
しかし人の心の奥底には、神の働きに対する拒絶感というものがあると思うのです。

できるなら神の働きに心を開きたくないという思いが、皆さんの中にはないでしょうか?
ありのパパの心の中には、そのような思いが確かにあります。
そのような思いを聖霊なる神の助けをいただきながら、薄皮を一枚ずつ剥がすように脱皮しつつ歩んでいくのが信仰生活ではないかと思います。

        

5.過度に強調しないだけという教会の内情はどうなっているか?

異言で祈る賜物を認めはするが過度に強調しないだけと言うなら、彼らの教会に異言で祈る賜物を活用している人々はおられるのでしょうか?
日本人が建前と本音を使い分けるように、クリスチャンになった後でもなお神学を建前と本音で使い分けているのではないでしょうか。
現実は異言で祈り始めると自分の教会にいられなくなるというのが日本の福音派教会の実情です。

これは日本だけの特徴です。
以前「原理主義と根本主義と福音主義」(2009.4.1)で論じたように、根本主義キリスト教は現在でも反知性主義・反ペンテコステ主義・反カウンセリングの立場を崩していません。
しかし根本主義キリスト教の反省に立って登場してきた福音主義が反ペンテコステ主義の立場をとることはあり得ないことです。
このあり得ないことが、わが国では大手を振ってまかり通っているのです。
これは日本の福音派教会が実質的には根本主義キリスト教であることも影響していると思います。
それとともに日本人がもっている武士道精神がクリスチャンになった後では律法主義へと名前を変えて日本の福音派教会を支配しているせいかもしれません。

天地を造られた唯一の真の神に働いていただきたいと願うなら、聖霊の宮であるクリスチャンが神を自分の願う通りに働かせるのではなく、自分自身が神の願う通りに働くのでなければなりません。

◎平安と祝福を祈っています。

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