人生が変わる秘訣は、真の知識、ふさわしい生活、実を結ぶことの三つ

人生がうまく行く秘訣は聖書に書いてあることを実践することです。
ただ「私は聖書を信じています」というのでは人生は全く変わることがありません。
そうではなく聖書に書かれてあることを真面目に実行することです。
そうしたら人生は変わります。

1.世俗のハウツーものと聖書のハウツーの違うところとは?

現代はハウツー物(もの)が花盛りです。
ハウツー物は無言のうちに「これをそのまま実践すれば、あなたも幸せになれる」と語りかけます。
実行するまでは、その約束を信じて幸せなのですが、いざ実行してみると思いもよらぬ障害があるのを知り、実現できないことを気づかされるのです。

しかしここに実行するならば、本当に現実のものになるハウツー本があります。
そうです。聖書こそ、それです。

一般に聖書ほどハウツー物から遠いところに位置する書物はないと思われています。
ハウツー物の定義が「出来もしないことを、あたかも出来ると思わせて、人をだます」というものなら、確かに聖書はそのようなものではありません。
しかし「確かに出来ると信じて、言われた通りに実践するなら、その通りになる」という定義であるなら、聖書はハウツー物の王者と言うことができます。

気を付けないといけないことは、聖書の一部分を自分の都合の良いように切り出して、その箇所がそもそも言っていないのに、言っているかのように偽装することです。
これは罪です。
では自戒しつつ、聖書そのものに当たってみることにしましょう。

『(私たちがいつもあなたがたのために祈っていることは、)
①あなたがたが霊的な世界においてあらゆる知恵と理解力によって神の御意についての真の知識に満たされ、
②主を信じる者にふさわしい生活をして主を喜ばせ、
③あらゆる良い業の実を結び、
★本当に神を知る人がどんどん増えていくことである』
[コロサイ1:9,10]

2.真の知識に満たされるとは?

クリスチャンが成長するとか、真の知識に満たされると言うと、なにか神秘主義的なものを連想しますが、そうではありません。
では何を表しているかと言いますと、救いの条件を保持しつつ、そこに立ち続けることであると、ありのパパは考えています。

信じて救われたとき、私たちは

a.自分の力では罪に打ち勝つことが出来ないと認め、
b.神になら、こんな自分を救い、変えることが出来ると信じ、
c.自分の意志と生き方を、神の御心に委ねる決心をしました。

今度はこの原則を自分にかかわる全てに適用していくのです。
会社での人間関係に、家庭での妻や子供との関係に、またもう一人の自分である自分自身との関係に適用していきます。
例えば自分にとって苦手な人がいるとします。
救われた時に、上記のa.b.c.を心の中で実行したように、今度はそれを苦手な人と自分との関係に応用します。

a.自分の力では、人間関係を改善することが出来ないことを認め、
b.神になら、この人間関係の問題を解決することが出来ると信じ、
c.自分の意志と生き方(子供のころから培ってきた物の考え方や感じ方の総体)を、神の御心通りに変えていくことを決心した。

このようにして私たちが救いの信仰を全ての領域に適用して、神の栄光を拝するようになることこそが神の御心です。
これは大変チャンレンジングであり、やりがいのある領域です。

3.神を信じる者にふさわしい生活をすると、神が喜んでくださる

クリスチャンらしい生活とは、どんな生活でしょうか?
メソジスト教会創設者のジョン・ウェスレーはこれを「いつも喜べ。絶えず祈れ。全てのことについて感謝せよ」が実行できている生活であるとしました。
別にウェスレーに反抗するわけではありませんが、今日は別の表現を探してみましょう。

①悪習慣(深酒・喫煙など)や依存症的な習慣(セックス依存症・ギャンブル依存症・家庭内暴力DVなど)から解放されている

このように書くと、必ず「そんなの当たり前じゃん」とか言う人がいます。
しかしそうではありません。
隠れた罪を持っている人がなんと多いことでしょうか。

しかし、そのこと自体は恥ではありません。
ただ、解決に向けて何とかしようとしないことが恥ずかしいことなのです。

②自己開示スピリットに溢れている

どのようにして自分がそこから解放されたかを話すことが許されるような状況であれば、いつでも積極的に話す。

➂同じような問題に悩む人々の相談に乗る

説教したり、解決策を押しつけるのでなく、虚心に相手の話に耳を傾ける。

これがありのパパの考える、神が喜んでくださるクリスチャンらしい生活です。

4.神を信じている者を通して「良い業の実」が結ばれる

「良い業の実」とは公的な活動の分野において、良い結果を出すことを指していると推測されます。
具体的にはあなたの仕事や事業、支援するボランティア活動などがそれに当たるでしょう。

これらのことが現実になるとき、本当の意味において神を知る人々がどんどん増えていくというのです。
今日見てきたことは、教会成長学で教えられてきたこととは全く違います。
しかしこれが聖書の教えていることなのです。
もしこの路線から知らず知らずのうちにずれていたなら、悔い改めて再出発したいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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