埋め合わせは何のためにやるのでしょうか?
それは私たちの性格上の欠点からくる行動が他者に及ぼした影響を修復するためです。
この記事ではアダルトチルドレン(AC)が埋め合わせするときに注意すべきことを書きました。
(この記事は本来は「アダルトチルドレンが12ステップを使って回復する(まとめページ)」に掲載すべきものですが、そうすると新記事をお知らせするブログの機能が働かないためにあえて新記事として掲載しています)
①私たちの欠点が他者に及ぼす影響
ここでACと非ACの違いをわきまえておくことはとても大切です。
なぜならACの場合は性格上の欠点からくる行動が脳内で完結している場合が多いからです。
どういうことかというと心の中で思っただけのことは埋め合わせの対象にはならないということです。
もし心の中で思っただけのことであっても埋め合わせしないといけないとなると、埋め合わせ行動によって新たに人を傷つけることになりかねません。
ではどのような場合に埋め合わせの対象となるのでしょうか?
例えば恐れが動機の身勝手行動によって「傷つけられる前に、見捨てられる前に、こちらから人間関係を切り捨ててやる」という行動に出た場合には埋め合わせの対象になります。
恐れが動機の不正直行動によって本心と異なる対応をしたことは埋め合わせの対象になるでしょうか?
当然なると、ありのパパは考えています。
なぜなら不正直行動はほとんどの場合に人間関係のトラブルを引き起こすからです。
いったん人間関係のトラブルが起きれば、かならず相手を恨みます。
「これだけ引き下がって本心とは異なる対応をしてやっているのに、よくも私の思ったように行動しないでくれたな」ということで自尊心が傷つきます。
なぜ自尊心が傷つくかと言えば「あの人が私の思ったように動かないのは私をバカにしているからに違いない」と天才的な錯覚をしているからです。
また安全本能も傷つくので恐れの感情が暴走します。
理由は「これだけ不正直行動をしてもまだ人間関係のトラブルが起きるのなら、私には対策の立てようがない。お先真っ暗だ」という勘違い野郎・女になってしまっているからです。
実際は私たちが本心に忠実な行動(正直な対応)をしなかったからトラブルが起きたのですが、子ども時代からの使いなれた手(やり口)である不正直な行動が自分自身に致命的な悪影響を及ぼしているなどとは夢にも思いません。
まとめるとこうなります。
脳内だけで完結していて、行動に移していないものは埋め合わせの対象にはならない。
しかし実際に身勝手行動によって相手との人間関係を切り捨てたり、不正直行動によって自分の本心とは異なる人間関係を持ち続けたときなどは埋め合わせの対象になります。
a.不快感情の罪悪感と後悔を解消するため
埋め合わせの結果として四つの不快感情のうちの罪悪感と後悔が解消されます。
(残りの恨みと恐れはステップ4・5の人生の棚卸しによってすでに解消されています)
ここで気をつけないといけないことは自分の罪悪感と後悔をなくすためだけに「他の人のことなんか知ったこっちゃない」という態度で埋め合わせをしてはならないということです。
もしそのような心の姿勢で埋め合わせを行うなら、その人は依然として利己的な生き方を続けているということにならないでしょうか?
罪悪感と後悔がなくなるのはあくまでも埋め合わせした結果として、おまけとして与えられるものです。
それでは埋め合わせの真の目的は何でしょうか?
b.人間関係の再構築
埋め合わせの究極的な目的は人間関係の再構築にあります。
今までの人間関係は「人が怖い」という固着した恐れが動機にある身勝手と不正直、そして同様に人が怖いので「私は何も言わないけど私の本心を察してね」という恐るべき利己的振る舞いとその結果としての配慮の欠如が対人関係の基本でした。
それが今度は利他的・正直・忍耐・配慮の充実という新しい行動パターンによって人間関係を再構築していくのです。
私たちはここを間違えないようにしたいものです。
新しい行動パターンを使って生きていく気などさらさらなく、依然として恨みがましく恐れに振り回されて身勝手行動をしつつ、「埋め合わせします」と言われても相手は迷惑以外の何ものでもありません。
ですから私たちは埋め合わせする前に「この人と人間関係を再構築するつもりがあるだろうか?」と自分に問いかけることが必要です。
②埋め合わせによって自分自身をゆるす力を得る
「埋め合わせの本質は他者からのゆるしを受ける以上に自分自身をゆるすことであると気づく」(EAの12ステップ57頁下3行目)
自分が自分自身をゆるしていないなら、たとえ他者からゆるされたとしても回復の喜びは限定的なものに終わらざるを得ません。
自分自身をゆるす方法は以下の通りです。
人間の心は「他者がゆるしてくれるんだったら、自分も自分自身をゆるしてもいいかな」と考えるようにできています。
だからこそ他者の自分へのゆるしは自分自身を自分がゆるす力となります。
そういうわけでこのような点においても他者への埋め合わせは重要です。
③無力を認めていたら心底「仕方なかった」と思える
自分を責め苛(さいな)む思いが止まならないとしたら、それは「ひょっとしたら何とかできたかもしれない」と考えていることの現(あらわ)れです。
この考え方は一見前向きのように見えますが、実はそうではありません。
なぜならいつまでも過去の失敗を引きずっているといつかは前に進めなくなってしまう日がやってくるからです。
回復の道を歩む中で視点の転換が起こり、ここで述べたことが心の中に起きてきます。
しかしながら「世の中には『本当に仕方がなかった』というしかない出来事がある」のをアダルトチルドレンが認めるのは大変難しいことです。
なぜなら多くの場合に自身の養育者の態度がそうだったからです。
ありのパパの親もそうだったのですが、子供から見ると「もうちょっと何とか方法があるんじゃないか?」と思うようなことであっても、養育者は「仕方ない」で済まし、そしてそのあとには言い訳と責任転嫁と泣き言が続くのでした。
なので大人になってから自分自身に向かって「仕方なかったのだ」と言ってあげることが非常に難しいのです。
しかし養育者の「仕方なかった」は偽りでした。
なぜなら本当に「仕方なかった」と思っている人は決して責任転嫁したり、泣き言や毒吐きをしないからです。
ですから私たちはこのカラクリを見破り、自分自身を真に大切にするとはどういうことかを学ぶ必要があります。
(最後に)私たちの回復の希望である【霊的目覚め】
「この工程を労を惜しまずにやっていると半分も終わらないうちに私たちはびっくりすることになる」(12の約束と呼ばれているものの一番目)
上記の文章はビックブックの中の埋め合わせについて書かれてある部分に置かれています。
ということはステップ8・9の埋め合わせは12の約束に直接的につながっているということです。
皆さんの新しい人間関係の再構築に向けての歩みを神様が導いてくださいますように!

◎回復と平安と祝福を祈っています。