この記事は初めから終わりまで読めば、アダルトチルドレンが12ステップを使って回復する過程を明確に理解できるように書かれています。
この記事自体が一つの記事になっていますが、ステップごとにあげている個別記事をお読みいただくとより明瞭に12ステップとACの回復についての理解が進みます。
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目次
ACのステップ1
①アダルトチルドレンの回復に障害となるもの
12ステップの一番はじめは「嗜癖(しへき)を使うことに対する無力を認め、この嗜癖を使い続けたために自分の人生が思い通りに生きていけなくなった」ことを認めるステップです。
ACや共依存の方が「私は依存症ではないが、問題を抱えていることは認める」などとシレッと仰ることがあります。
しかしこれは重大な問題を含んでいます。
なぜなら12ステップは依存症からの回復プログラムであって、依存症以外の病気には効果がないからです。
ですから安易に「私は依存症ではないが、問題は抱えている」などと言わないほうがよいのです。
多くの方が自助グループのミーティングにやっては来るが、しばらくすると来なくなってしまう理由がここにあると、ありのパパは考えています。
すなわち問題があることは認めていても依存症であることを認めないなら、ご自分が12ステップミーティングに参加する意味はないと考えてしまう日がいつかはやってくるからです。
だからACや共依存症者が回復したいと願うなら、漠然(ばくぜん)と無力を認めることをせず、[何を嗜癖として使っているのか?]をはっきりさせなければなりません。
共依存症者が使う嗜癖は【他者に対する病的・あるいは度が過ぎたコントロール欲求】です。
アダルトチルドレン(AC)が使う嗜癖は【ACの問題行動】と呼ばれる13個の病的な人間関係嗜癖です。(これは少なくとも13個あるということであり、これだけということを意味していません)
ACや共依存症者に共通するのが[否認]です。
共依存症者の決まり文句は「私はただただ家族が良くなることだけを願っています。そのためなら何だってします!」です。
これは外側から見ると一見美しく、文句のつけようがありません。
だからご本人もその奥底に病的なコントロール欲求が潜んでいるなどとは思ってもみません。
一方、ACはと言うと「私にはこの13個はほとんど当てはまらないと思う。だけどそうなると『なぜACのミーティングに参加しているのか?』ということになるから、この問題への答えを出すのは先延ばしにしよう」と考えます。
ACや共依存はアルコールや薬物の依存症に対しての困難さの度合いは小さいように思えます。
それにもかかわらずACや共依存症者の回復が困難なのは12ステップの入り口で躓(つまづ)いているからです。
この否認の問題はずっと続きます。
12ステップが提供する本質的な解決策である霊的目覚めを得たあとに統合作業というものを行いますが、その時でさえ「私にはこの問題は該当しない」という否認から入るACが多いのです。
しかしものの5分も統合作業をやっていると、次から次へと嗜癖行為が思い出されて「問題がないどころではない。おおありのこんこんちきだ!」と否認が解除されるのです。
このようなわけで「私はまだ病的人間関係を嗜癖として使っていることを十分に認めていないから、ステップの先に進むべきではない」と考える必要はありません。
なぜなら否認がなくなることは一生ないと思ったほうがよいからです。
頭で(客観的理解という意)理解できたらそれで良しとします。
それぞれのステップの学びをご自分が依存症者であることが腑に落ちる機会とします。
そしてこの営みは生涯を通して行われるものです。
病的な人間関係を嗜癖として使っていることを認め、そのために自分の人生がどうにもならなくなったことを認める
一つ目の認めるべきこと | 二つ目の認めるべきこと |
---|---|
病的人間関係を嗜癖として使っていることを認める | 嗜癖を使い続けたために自分の人生がどうにもならなくなったことを認める |
②問題は何か?【二つの無力】
客観的理解として問題は二つあることを知る必要があります。
それは【強迫観念】と【渇望現象】です。
強迫観念とは例えば「絶対に孤立しないようにしなきゃ!」と堅く決意しているにもかかわらず、その場になると周囲から孤立しているという働きをするものです。(これはACの問題の1番目に当たります)
この強迫観念が襲ってくると(唯一つの例外を除いて)いとも簡単に騙されてしまいます。
渇望現象とは強迫観念が教えるウソに騙されてスイッチが入ってしまうと1 ブラックアウトするまでその行為を止めることができないという働きをさせるものです。
依存症者が「無力である」と言うときは、この【強迫観念】と【渇望現象】に対して無力であると言っているのです。
強迫観念と渇望現象は脳の報酬系にできた依存症回路から発せられます。
嗜癖行為は初めのうちは便利な道具だったり、仲の良いお友達みたいな関係にあるのですが、しばらくすると(人によって時間の長短はありますが)自分が嗜癖の奴隷になっていることを気づくようになります。
ACや共依存症者の中には《強迫観念と渇望現象》という概念に対して抵抗を感じる人が多いようです。
「私は強迫観念など感じたことはないし、ましてや渇望現象など体験したことはない」という感じです。
しかし例えば夜更しの問題を考えていただきたいのですが、普段は「早寝早起きを実行しよう!」と意欲満々であるにもかかわらず、真夜中に「ドラマ見放題サービスのドラマを一話だけ見るならいいかも」と考えることはありませんか?([刺激を嗜癖として使う]ACの問題の8番目)
これが強迫観念が教えるウソにコロッと騙されるということです。
そして一話だけのはずが朝方まで見続けてしまうことがありませんか?
これが渇望現象の働きです。
「誰だってそんな事はあるのではないか?!」と言うことは可能です。
しかし誰にでもあるから、嗜癖として使っていないということにはなりません。
自分でも不健全であると感じる人間関係のあり方が【アダルトチルドレンの問題行動】に当てはまるかどうか今一度ご自分を吟味なさいますように。
問題はたった二つしかない
一つ目の問題 | 二つ目の問題 |
---|---|
強迫観念(ウソを教える働き) | 渇望現象(ブラックアウトするまで止めさせない働き) |
③問題の本質は何か?
ACの方に「問題の本質は何だと思いますか?」と質問すると大抵の方は「機能不全家族で育ったこと」とか「嗜癖に対して無力なこと」と答えられます。
これらの答えはみな残念ながら大ハズレです。
問題の本質は強迫観念と渇望現象に対してご自分が無力であるということです。
これが問題の本質だと真に理解できたとき、生育歴とか機能不全家族で育った影響とかは大きな問題ではなくなります。
「強迫観念と渇望現象に対してこの私が無力であるということが問題の本質なのだ」と腹落ちするとき、解決策も自ずと明らかになります。
逆から言えばこの理解が腹落ちしない限り、ステップ1を理解したとは言えません。
問題の本質はたった一つ
問題の本質 |
---|
⇩ |
強迫観念と渇望現象に対する無力 |
ステップ1で理解すべきことは[認めるべき二つのこと][問題は二つしかない][問題の本質はたった一つ]の三点です。
あなたはこの三つの質問にお答えになることができるでしょうか?
[ステップ1の質問]
- ACが認めるべきことは二つあります。それは何と何ですか?
- 問題は二つあります。それは何と何ですか?
- 問題の本質はたった一つです。それは何ですか?
ACのステップ2
ステップ1が回復の基礎に当たるとしたら、ステップ2は土台に当たります。
この基礎と土台の上にステップ3から9の【回復の家】を建て上げます。
ステップ2がプログラムの中心概念です。
そしてステップ2の一つ一つがステップ1に呼応しています。
ステップ1 | ステップ2 |
---|---|
【問題1】強迫観念⇒ | 【解決策】霊的目覚めと共同体の助けと支え |
【問題2】渇望現象⇒ | 解決策は存在しない |
【問題の本質】上記の二つに対して無力⇒ | 【解決】自分を超えた大きな力 |
①共同体から受ける助けと支え
共同体とは同じ嗜癖を使う者同士が集まってつくる自助グループを指しています。
ACや共依存症者にとって自助グループのミーティングに参加することはとても重要です。
なぜならACは鉄壁とも言える否認によって自分が見えなくなっているのですが、他者の話を聴くことと自分の話をすることによってのみ自分自身の真の姿が見えてくるからです。
また通常12ステップの受け渡しは共同体のメンバーを通して行われます。(ありのパパのように2 中間施設で授業形式で12ステップを教えてもらう人もいます)
またアダルトチルドレンや共依存症は完治することのない病ですから、「もう大丈夫!」と思ったときがスリップするときだったりします。
だから常にミーティングに参加することによって自分の置かれた立場を確認し続ける必要があります。
また人間関係の再構築は困難な作業であり、共同体の仲間による人間関係づくりを通して新しい生き方を学ぶことができます。
共同体から受ける助けと支えの一覧表
- 仲間の話を聴くことによって、また自分の話をすることによって否認が徐々に解除されていく
- グループのメンバーに3 スポンサーシップを結んでもらい、12ステッププログラムを教えてもらう。
- 安心・安全の場が確保されることにより、新しい人間関係の再構築の練習場とする。
- さらに成長を続けるために今度は自分がサービスを提供する側に回る
②本質的な解決策である霊的目覚め
a.霊的とはどういうことか?
霊的目覚めとは「回復するのに十分な人格の変化」を指しています。(ビッグブック266頁2行目)
西洋で【霊的】という言葉が使われるとき、それは【人格的な関係】という意味で使われる場合が多いです。
ここを正しく理解する必要があります。
人格的関係とは例えば相手が怪我をして痛がっていると自分も痛みを感じるというような関係です。
この人格的関係という言葉は人と人の関係・神と人の関係に対して使われます。
人と人との関係に人格的関係ということは理解できても、神と人との間に人格的関係があるとは理解し難いのではないでしょうか?
これは私たちが苦しむと、神も痛みを感じてくださるということであり、神の意志を実践すると自分の内側が平安で満たされるということです。
多くの日本人にとっての神信仰は[取り引き]に過ぎません。
「私が信じてやるから、神様も私の言うこと聞いてよね」というお願いごとであり、あたかも自動販売機に百円を入れるとジュースが出てくるみたいな感じです。
ここには人格的関係のかけらもありません。
力のある神信仰とはそのようなものではなく、神と私の間に人格的関係が存在するものです。
ではどうしたら神との間に人格的(霊的な)関係をもてるかというと、真に無力を認めることです。
「私も信じるから」と言っているときは、信じている自分に焦点が当たっています。
信じている自分に焦点が当たっているということは決して[hopeless]になっていません。
なぜなら真に[hopeless]になっている人が自分に焦点を当てるはずはないからです。
自分に対して絶望している人は自分以外の存在に助けを求めます。
そのとき当然ながら自分を見ていません。
そうであるにもかかわらず、ある人たちは神に助けを求めている最中に「俺も信じてやるからさ」などとほざいているのです。
そのようなわけで[信じている自分]に焦点を当てている人は無力をいまだ認めていない人であるということができます。
b.霊的目覚めの本質的要素は何か?
霊的目覚めは宗教的な経験ではありません。
霊的目覚めの本質は視点が変わることです。
今までの自己認識は周りの者が自分を傷つけているのであり、自分はかわいそうな犠牲者だったのです。
だからACは本音の部分では「なんで私が変わらなきゃならないのか?お前たちが変われよ!」と思っているのです。
もちろんこんな思いをもっていること自体が恥ずかしいことですから、ACお得意の【否認】によって自分でもそんな考えをもっていることさえ気づかないほどに心の奥底に抑圧しています。
そんな被害者意識の塊(かたまり)のようなACが霊的目覚めを経験すると「ひょっとして自分は問題当事者かも?」という自己認識を持つようになります。
この自己認識が人生を変えるカギとなります。
なぜなら他者に問題があり、それが原因で自分の人生がどうにもならなくなっていると考える人は他者が変わるまで自分の人生もどうにもならないままです。
しかし他者ではなく、他でもないこの自分が[自分の人生がどうにもならなくなった]原因であると考える人は「じゃ、自分が変わることによって自分の人生もどうにかなるにちがいない」と考えます。
これを視点の転換と言います。
○霊的目覚めの本質は視点の転換
c.どうしたら霊的に目覚めることができるか?
ステップ1と2で[問題は何か?][問題の本質は何か?][解決策は何か?][解決は何か?]を正確に理解すると回復への強い意欲が湧いてきます。
なぜなら今まではどうして良いか分からず途方に暮れていたのが、「これをしたら必ず回復する」というプログラムを正確に理解できたのですから、強い意欲が湧かないほうがおかしいのです。
この強い意欲をもってステップ3で行動のプログラムに取り組む決心をし、即座にステップ4・5の棚卸し作業に取り組みます。
このステップ4・5が終わった時に霊的に目覚める方が多いようです。
ビッグブックにも「このプログラムの半分も終わらないうちに」とありますから、これは今も昔も変わりがないようです。
具体的には[行動のプログラム]と言われるステップ4〜9に取り組むことによって霊的に目覚めることができます。
そして[続けるプログラム]と言われるステップ10〜12に生涯を通して取り組むことによって霊的目覚めの状態が深まっていきます。
③健康な心とは何か?
ステップ2の文言には「自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった」とあります。
この[健康な心]とはどのような状態を指しているのでしょうか?
三つの状態が考えられます。
- 健康な心とはACになる前の状態に戻ること
-
健康な心とは単に嗜癖が止まっているだけの状態
-
健康な心とは回復する過程で平安と人生を生きる力が与えられ、「私はアダルトチルドレンであって良かった」と思える心の状態
1.の病的な人間関係嗜癖に陥る前の状態に戻ることが健康な心であるとするなら、すなわちアダルトチルドレンから解放されることを指しているとしたら、その人はもはや無力ではあり得ません。
なぜならその人はすでに人間関係嗜癖に陥らなくなっているわけであり、そのような人は神に頼る必要はなく、自力・我力(がりき)で十分に自分の人生をやっていくことが可能です。
2.のただ単に人間関係嗜癖が止まっているだけの状態というのは実は存在しません。
ACの中にはこのような理解を持っている人もおられるようですが、依存症とはそんな生易(なまやさ)しいものではありません。(だからこそこの見解を持つ人々はアダルトチルドレンが依存症であることを否定します)
脳の報酬系に依存症回路が出来、そこから「嗜癖を使っちゃえばいいんだよ!」とウソを教える強迫観念が襲ってきます。
そしてそのウソにコロッと騙されると、続いて渇望現象が襲ってきて、その人間関係が破綻するまで抜け出ることが出来ません。
これは立派な依存症です。
だから止まっているだけの状態などというものは存在しません。
もし本人がそう思っているなら、遠からず幻想であったことに気づくときがやってくるでしょう。
では3.の平安と力が与えられ、自分がACでよかったと感謝できる心の状態とはどのようなものでしょうか?
それは一言で言うと、霊的に目覚めた状態を指しています。
霊的目覚めは一瞬のうちに起きる宗教的な経験ではなく、継続的な人格の変化です。
もちろん継続的ではあっても、人格の変化が起きる最初の起点というものが存在し、多くの人はその起点を指して霊的目覚めと言っています。
では【霊的目覚め】とか【回復するのに十分な人格の変化】の中身は何かと言えば、それは【嗜癖を使うに至る心の構造】を正確に理解し、そのメカニズムをコントロール可能な状態にしていることです。
嗜癖を使うに至る心の構造はどのようなものか?
自分の性格上の欠点からくる行動パターンを使う | 利己的・不正直・身勝手&恐れ・配慮の欠如 |
---|---|
⇩ | ⇩ |
本能が傷つく | 自尊心・対人関係、物質面での安全・感情面での安全、公認の性関係・秘密の性関係、共存・安全・性の将来野心 |
⇩ | ⇩ |
感情が暴走する | 恨み・罪悪感・恐れ・後悔 |
⇩ | ⇩ |
不快感情から逃れるために病的な人間関係を嗜癖として使う | ACの問題行動 |
上記の表に書かれてあることを正確に理解することがステップ2において最も大切なことです。
正確に理解できれば回復への強い意欲が湧き出てきます。
もし強い意欲が湧き出てこないとしたら、この表に書かれてあることを正確に理解できていないのです。
(ありのパパ自身はステップ10をやっている間に[嗜癖を使うに至る心の構造]を正確に理解し、回復への強い意欲が湧いてきました。
ですので強い意欲が湧き出てくるまでステップ2に留まって、次に進まないというのは得策ではありません)
そしてステップ4・5では【嗜癖を使うに至る心の構造】を[正確に理解する]というところを超えて、[身に付ける]領域に進みます。
[身に付ける]とはこの理解が腹落ちするということです。
さらに今度はステップ10の日々の棚卸しで[身に付ける]領域を超えて[自由自在に使いこなす]領域へと歩みを進めます。
ありのパパは「この構造をもっと早く知っていればなぁ〜」と実感しています。
しかし「若かった頃の自分に誰かが教えてくれれば、こんなふうにはならなっかた」という感慨は共感はできますが、正しい理解とは言えません。
なぜなら【無力を認める】ということ一つを取ってみても、本人が無力を痛感していなければ、周りがどんなに「無力とはこういうもの」と説明しても、腑に落ちることは決してないからです。
[ステップ2の質問]
- 解決は何ですか?
- 問題が二つあるように解決策も二つあると言われます。それは何と何ですか?
ACのステップ3
アダルトチルドレンがステップの3で取り組まなければならないことは何と何でしょうか?
標準的な12ステッププログラムの視点から見て、出来る限り、取りこぼしなくまとめました。
①決心すること
ステップ3には「自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心をした」とありますが、いったい何を決心したのでしょうか?
もちろん[自分の意志と生き方]を委ねる決心をしたのですが、理解がそこに留まってしまうと回復は絵に描いた餅になってしまいます。
12ステッププログラムを作った人たちがどのような考えで[自分の意志とを生き方を委ねる決心をした]と書いたのかを推測することが大切です。
そのために最も良い方法は12ステップの教科書であるビッグブックに当たることです。
ビッグブックには疑いようもなく明確にその決心とはステップ4から9の【行動のプログラム】に取り組むことであり、霊的に目覚めたあとはステップ10から12の【続けるステップ】に生涯かけて取り組み続けることであると書かれています。
ところで、ありのパパは約40年間[決心だけ]をし続けました。
当時は「なぜ自分の人生は変わらないのだろうか?」と訝(いぶか)しんでいましたが、今は人生が変わらなかった理由が明確に分かります。
それは[決心だけ]して行動のプログラムに取り組まなかったからです(笑)。
キリスト教などでも「行いの伴わない信仰は死んだ信仰です」[新約聖書ヤコブの手紙]と言われますが、12ステップが言わんとするところは【善い行い】などの漠然としたものではなく、明確に【回復するための行動プログラム】に取り組むことを指して「決心した」と言われています。
ですから「ステップの1から3まではやったんだけどね。機会があったらステップ4以降にも取り組んでみたいと思っている」などという言葉は戯言(ざれごと)にしか過ぎないのです。
ステップ1は認めるだけ、ステップ2は信じるだけ、ステップ3は決心するだけであり、一分あれば全部できてしまいます。
事実、ビル・ウィルソンは飲んだくれのアルコホーリクにそのように対応し、目を白黒させている相手に「じゃ、来週また来るから、それまでに棚卸し表を書いておくように」と言い残して去っていくのでした。
②自己意志とは何か?
皮肉めいた言い方をすると自己意志とは自分の性格上の欠点を使って自分の本能を傷つける人格的主体を指します。
人格は考え方・感じ方・行動の仕方の三つによって構成されています。(ACのための12のステップ44頁下から3行目)
長い間の【行動の仕方】の積み重ねによって【考え方・感じ方】が出来上がります。
これはどういうことかと言いますと、子供時代から自分の期待に反し、裏切られ続ける経験をし続けると、次第に「人は必ず私を傷つける」「人はいつかは私を見捨てるに違いない」という病的な【考え方】を持つに至ります。
【感じ方】とは人がひそひそ話をしていると「きっと私の悪口を言っているのに違いない」と感じたりすることです。
ACは「他の人だってそう感じるに決まっている」と思い込んでいますが、現実は決してそんなことはありません。
中にはひそひそ話をしているのを見ると「誰のうわさ話をしているのかしら?私も早く話に加わらなければ!」と感じる人もいるのです。
上記のたとえ話に登場するACは嗜癖として被害者意識(ACの問題の5番目)を使っているのであり、固着した恐れが動機となって身勝手・不正直な行動をした結果、共存本能の自尊心や対人関係、安全本能の感情面での安全が傷つきます。
本能が傷つくと感情が暴走します。
その結果、恨み・罪悪感・恐れ・後悔などの不快感情から逃れるために「私は被害者だ。私はなんてかわいそうなんだ」という嗜癖に逃げ込みます。
なぜならその間だけ、不快感情を感じないですむからです。
この説明をお読みになるとお分かりのように依存症(嗜癖に逃げ込む病気)は使う嗜癖は異なっても構造はみな同じなのです。
アダルトチルドレンとは病的な人間関係を嗜癖として使う依存症者なのです。
病的な人間関係の一覧表は以下をご参照ください。
③本能とは何か?
アダルトチルドレンに「あなたに本能はありますか?」と尋ねて、「もちろんあります」と本心から答えることの出来る人は少ないのではないでしょうか?
なぜならACは普段から「私には本能なんかございません。謹厳実直(きんげんじっちょく)に生きております」みたいな人が多いからです。
これを非ACからみると「なんと偽善的か!」と感じるのですが、本人は悪気なくそう思っているのですから仕方ありません。
ありのパパも中間施設で12ステップを学んでいるときに一番抵抗を感じたのがこの部分でした。
性本能のところに来たときには耳をふさぎながら、教室を飛び出そうかと思ったほどです(笑)。
しかしながら本能の別名は【自分自身】であり、【自分】が【自分自身】を粗末に扱ってきたのが、他ならぬACなのですから、ACが回復しようと願うならどうしてもこの【自分自身】との関係を健康な状態に戻す必要があります。
もう一つの注意点は12ステップが教える【本能】は他のカウンセリングや心理学が言うところの本能とは異なることです。
この点を間違わないようにする必要があります。
共存本能【自尊心・対人関係】
自尊心とは別名・自己評価と言います。
良い自己評価とは「自分はよくできている。ありのままでいい」と思えることです。
反対に悪い自己評価とは「こんな自分では生きている価値がない」と思い込むことです。
良い自己評価を持つと自尊心は爆上がりし、悪い自己評価を持つと自尊心は傷つき、恨みなどの感情が暴走します。
対人関係とは文字通り人間関係を指します。
なぜ人間関係が傷つくと共存本能が傷つくかと言うと、どんな人にも「周りの人々と仲良くやっていきたい」と願う気持ちがあるからです。
ではトラブルばかり起こしている人にも「周りの人とうまくやっていきたい」と願う本能があるかと言うと、すべての人にあります。
ただそれが表に出ているか、いないかの違いがあるだけです。
ありのパパは内心で「人間関係なんてこんなもんさ」と達観したところがありました。
達観というと聞こえは良いのですが、これは重大な問題を含んでいました。
なぜなら「こんなもんさ」と思っていると、本能への手当を怠るからです。
顕在意識では「そんなもんさ」と達観したふりをし、意識下では本能が傷つき放題という悲惨な人生を何年もの間続けていれば依存症にもなるというものです。
ですからACはこの本能が傷つくということを当たり前のように受け止めてはなりません。
本能が傷ついたら必ず手当をすることが必要です。
そうしないと感情が暴走し、不快感情から逃れるために嗜癖を使わざるを得ないところに追い込まれます。
安全本能【物質面・感情面】
共存本能が周りの人々との関係に焦点が当たっている本能であるのに対して、安全本能は自分自身が安心・安全に生きていきたいと願うところに焦点が当たっている本能です。
たとえば愚かな人に迷惑を掛けられると自分の安全が脅かされたと感じる人がいます。
しかし「その人は愚かな人」だと分かっているので、自尊心は傷つきません。
逆のケースもあります。
対人関係は傷ついたが、安全は傷つかなかったという場合です。
どんなときにどの本能が傷つくのかを特定することはとても大切です。
これを明らかにするのがステップ4・5の棚卸し作業です。
性本能【公認の性関係・秘密の性関係】
性本能とは特定の人と肉体的に一つになりたいと願う本能です。
(中間施設では性本能を「子孫を残したいと願う本能」と教えられましたが、現代の社会事情を考慮して上記の表現に変更しています)
将来野心【共存・安全・性】
将来野心とは共存・安全・性の本能が将来に渡って充足することを求める野心です。
たとえば職場に口うるさい上司がいると、自尊心や対人関係、安全本能の感情面が傷つきやすくなります。
そして何年にも渡って一緒に仕事をしないといけないと思うと将来野心の共存と安全が傷つきます。
しかし来季は上司の転勤が決まっているなら、将来野心はそこまで傷つきません。
④神に人生を委ねることができないもう一つの理由【親替え】
「神に委ねることができない」というとき、そこには二種類の人々がいます。
一つ目は宗教的なものに違和感や嫌悪感を感じる人々です。
この人々は世俗的な生き方を選び取っているのであり、ある面では筋が通っています。
中には宗教団体に属する人によって傷つけられた過去があり、その故に宗教的なものに拒絶反応を示す人々もおります。
この記事で問題にしようとしているのはそのような人々ではありません。
ここで問題にしようとしているのは「委ねたいのはやまやまだが、どうしても委ねることができない。そもそも『委ねる』ということの意味が分からない」という人々です。
もちろんその人々とはアダルトチルドレンのことです。
アダルトチルドレンが委ねようとしても委ねることができないのは自分の中に棲む[もう一人の自分]が邪魔をするので神に自分の人生を委ねることができないからです。
このもう一人の自分を【毒親ロボット】と呼びます。
子供時代に「あんたは本当にダメな子ね」とか「お前がいなければ私はもっと自由に生きることができた」とか言われて育つと、頭の中に毒親のテープレコーダーが回り続けることになります。
子供は大人になると【親離れ】をし、父や母は対等な存在となり、通常は支配や従属から脱します。
しかし何らかの病的な原因があると、その時期が来ても親も【子離れ】しないばかりか、子ども自身も【親離れ】できない状態が何年も、ひょっとしたら何十年も続きます。
この場合には子ども自身が自覚的に【親替え】する必要があります。
親替えとは自分の心の中から生物学上の親に出て行ってもらい、神に自分の親になってもらうことです。
親替えと聞くと難しく感じるかもしれませんが、親離れを自覚的にやることと考えれば比較的容易に理解できるのではないでしょうか?
実際問題としては自分の中の【毒親ロボット】が「こんなことをしたお前は生きていたらいけない。死んでしまえ!」と言ったら、毒親ロボットの口をふさぎ、神の意志を知り、それを実践する力だけを求めることにより、新しい回復人生を生きることです。
そのすべての営みを指して【親替え】と言いますが、その初発はステップ3の「自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮に委ねる」ところからスタートします。
ACが自覚的に親替えをせずにステップ4以降に進んでしまうと、何をやってもうまくいきません。
どうしてかというと、棚卸しをすると「私が悪かったんです」と言い、「何が悪かったんですか?」とお聞きすると、一瞬の沈黙の後に「とにかく全部、私が悪いんです」と応えます。
これでは霊的に目覚めることは期待できません。
回復人生とは自己意志と神の意志が協働で自分の人生を生きることですが、そもそも自己意志が他者に操られていては協働もクソもありません。
まず、自己意志の主導権を取り戻することです。
そうしてから神の意志と協働で自分自身の人生を歩み始めるなら必ずうまくいきます。
⑤自分なりに理解した神
「私には問題はあるが、依存症ではない」とヌケヌケと言う人が、無力を認めていると言えるでしょうか?
ありのパパは決してそのようには思いません。
この人にはまだ乗り越えなければならない問題があり、それまでは決して無力を認めたとは言えないというのがありのパパの理解です。
無力を認めた人にとって神を信じることは難しくありません。
なぜなら「何だっていいから、助けてくれ〜!」と叫んでいる人が、神を信じるかどうかを迷うはずがないからです。
聖書に「神を見た者は一人もいない」とあります。
私もあなたもその他のどんな人も、神を見た者は一人もいないのです。
だ・か・ら、あなたが信じることが出来るものなら、何だって構わないのです。
ただし[無力を認める門]から入ってこない者はどんなにあがいても信じることはできません。
「狭い門から入ってきなさい」(聖書)
[ステップ3の質問]
- 決心したとありますが、何を決心したのですか?
- それは具体的には何をすることですか?
- ACがステップ3でやるべき親替えとは何ですか?
◎回復と平安と祝福を祈っています。