性依存症者がシラフを保つカギは『止める努力を止める』こと

止める努力を止める

性的なしらふが長く続かないことを悩んでいる方は多いのではないでしょうか?
この記事は性的領域に問題を感じる方がどのようにして性的しらふを保つことができるのかを解説しています。

1.自分を超えた大きな力を信じる前に無力を認める必要がある

戦い方を身につける

「私はとうとう止める努力を止めた」(ホワイトブック159頁16行目)

【止める努力】を【止める】には三つの事実を知る必要があります。

  1. 自分が強迫観念と渇望現象に対して無力である理由を明確に理解する。
  2. 自力・我力(がりき)では何ともならないが、神になら何とかできる理由を知る。
  3. 渇望の波が襲ってくるたびに「私にはできない(無力を認める)。しかし神にはどんなことでもできるからである(神への信仰)」とステップ1・2の祈りを繰り返す。

①依存症者が強迫観念と渇望現象に対して無力である理由

依存症の問題は二つしかありません。
それは強迫観念と渇望現象です。

強迫観念とはウソを教え込ませる働きをするものであり、渇望現象とはいったん始めたらブラックアウトするまで止めることができない働きをするものです。

強迫感と渇望現象は依存症回路から発せられますが、この依存症回路が脳の報酬系にいったんできてしまうと死ぬまでなくならないと言われています。

報酬系は私たちが生存するための働きを司(つかさど)る器官です。
すなわち食べたり、飲んだり、安全を確保したり、子孫を残す働きなどをします。

これに対して報酬系の周りにある前頭葉は理性を司る働きをします。
要するに報酬系は欲求に対してアクセルを踏み、理性はブレーキを踏む働きをします。

健康な脳はアクセルを踏んだり、ブレーキを踏んだりすることによって人生航路を安全に航海するようにできています。

しかし依存症回路ができると報酬系はアクセル踏みっぱなしの状態になります。
もうこうなると前頭葉が司る理性は無力化されてしまいます。

これらのことから明らかなのは私たち依存症者が嗜癖に対して無力なのは意志が弱いからではなく、回復への意欲が小さいからでもないということです。

性依存症者のミーティンで「私のしらふが続かないのは本当には回復しようと思っていないからではないかと感じる」という仲間の分かち合いを聴くことがあります。

それを聞くと「そうじゃない。依存症回路が頭の中にできており、そこから強迫観念と渇望現象が襲ってくるのだからそもそも勝てっこないのだ。もしあなたの回復への意欲が本気ならシラフでいられるとすれば、あなたは無力ではないということになってしまう」と残念な気持ちになります。

性依存症者は人生のどこかで「そうか。わたしが無力である理由が分かった!」と腑に落ちる必要があります。
それまでは自力・我力で止めようとする努力が止まらないでしょう。

もちろん止めるのは[自力・我力で止めようとする努力]だけであり、回復する努力は止めてはなりません。
もし回復する努力まで放棄するなら、それは無力を認めたのではなく単に無気力になったのに過ぎません。
誤解のないようにしたいものです。

②自力・我力で何ともならないのに神には何とかなる理由

信仰心をもっていない人ならきっとこう言うでしょう。
「自分の力で出来ないものが、なぜ神の力でできると考えるのか?そんなものは現実逃避に過ぎない」

皆さんはこの主張にどのように反論なさるでしょうか?
ひょっとして反論できないかも知れません。
なぜなら本音ではご自分もそのように考えているからです。

もし本音のところでそのように考えているなら、「自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった」と念仏のように何回繰り返しても効果は全くないでしょう。

だから私たちは自力・我力で何ともならないにもかかわらず神の力によるなら何とかなる理由を人々に説明できるほどに明確に知っている必要があります。

私たちは強迫観念に対して無力なのですが、唯一つの例外があります。
それは自分の中に不快感情がなければ、強迫観念が教える「性的嗜癖を使っちまえよ!使っちまうと楽になれるぞ」というウソを容易に見破ることができるのです。

これは空腹のときには何を食べても美味しく感じるが、満腹のときにはどんなに美味しそうなものであっても食べる気がしないのと似ています。

こういう訳で依存症から回復するためには自分の中に不快感情を溜めないことが本質的な解決策になるのですが、このための方法を実践することは人間業(にんげんわざ)では出来ないのです。

それで神の力に頼る必要があります。
ただ、神だけが私たちをして不快感情が溜まらないための秘訣を実践させる力をお与えになることができます。

③我力・自力での戦い方と神の力で戦う方法の違いを知る

「『止める努力』を止めない限り、しらふは続かない」と言われると、あるいは「止める努力を止めればしらふは続くんですか?」と思われるかもしれません。

しかしそうではありません。
もしそんなことをすれば以前よりももっと頻繁にスリップを繰り返すようになるかもしれません。

そうならない方法があります。
それは祈ることです。

「何かと思えば『祈れ』だと?ふざけるな!」と思ったかもしれません。

しかしそう思うのはあなたの祈りが「私が祈ったら、シラフを与えてくれるよね?」という神と取引する祈りだからではないでしょうか?

そのような祈りにはなんの効果もありません。

効果のある祈りとは「嗜癖の誘惑(強迫観念)には勝てっこない」理由を明確に理解している人だけが行うことのできる祈りです。

神と取引しようとするのは心のどこかで「何とかなる」と考えているからであり、そのような自己有力感を払拭することが無力を認めるということの本質なのです。

だから無力を認めることなしには話が始まりません。

無力を認めた人の祈りはシンプルです。
「私にはできない。しかし神にはどんなことでもできるからである」

この祈りを渇望の波(強迫観念)が襲ってくるたびに頭(こうべ)を垂(た)れて三回祈ります。
そうしてから頭を上げると渇望の波は過ぎ去っています。
過ぎ去っていない場合は再び頭を垂れて同じ祈りを繰り返します。

渇望が襲ってくる時間は三分間であるという医学的な主張があります。
この主張がどの程度根拠のあるものかを、ありのパパは知りません。

しかし個人的経験に照らし合わせてみると「だいたいその位かな」という気はします。
そして何よりも「三分間なら何とかなりそう」と思えないでしょうか?

こうやって私たち性依存症者は生涯を通してシラフを維持していくのです。

無力を真に認めている人は強迫観念が襲ってくると祈ります。
そうでない人はスリップしたあとに祈ります。

もちろん祈らないよりは祈ったほうが良いのですが、できるなら中間地帯に自分がいる間に祈ったほうが遥かに良いのです。
中間地帯とは強迫観念が襲ってきた後とスリップする前の期間です。

ある方は「祈れないんです」と仰るかも知れません。
しかし強迫観念が襲ってきても祈らないのは実は無力を認めていないからです。

「私の頭の中には依存症回路があり、そこから発せられる強迫観念と渇望現象に対して無力なのだ。だからどうしたって神の助けを借りるしかない」と心底思っていれば、祈れないなんてことはあり得ません。

それでも「祈れないのです」と言われる方には厳しい言い方になりますが「それは詭弁です」と申し上げるほかはありません。

ご自分が詭弁を使っていることに気づけばどんなときにも間髪入(かんぱつい)れず祈ることが必ず出来るようになります。

性的しらふが続かない三つの理由

  『止める努力』を止めない限り、性的しらふが続かない理由
第一の理由 依存症回路から強迫観念と渇望現象が襲ってくると理性が無力化されてしまう
第二の理由 それにもかかわらず負けないように戦おうとするのは自分の置かれた現実を理解することに失敗しているから
第三の理由 我力・自力での戦い方と神の力で戦う方法の違いを知らない

2.強迫観念と不快感情はセットで働く!

不快感情と強迫観念はセットで働く

強迫観念と渇望現象に対して無力と言っても唯一つの例外があります。
そしてその例外の状態を作り出すことが性依存症からの回復のための本質的な解決策となります。

その例外とはいくら強迫観念が襲ってきても自分の中に不快感情がなければ強迫観念が教えるウソを容易に見破ることが出来るということです。

だから性依存症の本質的な解決策は自分の中に不快感情を溜め込まないことになります。

もちろん無力を認めた人の祈りを渇望の波が襲ってくるたびに祈っていればシラフ自体を維持することは可能です。

しかし渇望の波を全身に浴びてびしょ濡れになります。
それで「シラフとは言うものの、これではなぁ〜」という感慨を持ちます。

そうならない道があります。
それが自分の中に不快感情を溜めないことです。

不快感情が溜まっていなければ嗜癖を使う必要はなくなります。
だから自分の中に不快感情を溜めないことが依存症からの回復にとって本質的な解決策です。

不快感情と強迫観念の関係

不快感情が溜まっている状態で強迫観念が襲ってくる 不快感情が溜まっていない状態で強迫観念が襲ってくる
「嗜癖を使えばいいんだよ」というウソに簡単に騙されてしまう(狂気) 嗜癖を使うのは現実逃避でしかなく、嗜癖と縁を切らないと人生を棒に振ることになると知っている(正気)
シラフが続かないと思い悩む 今日一日だけのシラフを積み重ねていく

次の項目では不快感情を溜めない方法を解説します。

3.「人生終わった」と思ったら全く変えられた新しい人生が待っていた!

感情が暴走するのは本能が傷ついたときです。
そして本能を傷つけているのは実は自分の性格上の欠点からくる行動パターンです。

①行動パターンを変えるのに親は関係ないし、生育歴も関係ない

生育歴は関係ない

ステップの4・5の棚卸し作業に取り組むまでは「自分自身を傷つけているのは周りの人々である」という自己認識から解放されることはありません。

しかしこの自己理解は間違っているだけでなく、有害な影響を与えます。
それはこのような自己認識に留まっていると当然のように被害者意識を嗜癖として使うようになるからです。
「自分は可愛そうな存在である」というわけです。

最も典型的なのが「自分が依存症になったのは親のせいだ。あるいは機能不全家庭で育った影響である」という理解です。

この理解は間違ってはいませんが、重大な欠陥があります。

それはあなた自身(共存・安全・性・将来野心などの本能)の愛ある親の役割を一番長い間していたのはあなたであるという事実です。

現在40歳とすると生物学上の親があなたの親であった期間は18年間であり、あなたが自分自身の親であった期間は22年間ということになります。

すでに自分が自分自身の親の役割を担う期間のほうが長くなっています。
それにもかかわらず「親が、機能不全家庭が」と言い募(つの)るのはあまりにも片手落(かたてお)ちではないでしょうか?

ある方は「生物学上の親に愛された経験がないので、自分自身を愛することが出来なかったのです。そういう面からは生物学上の親に責任があると言えるのではないでしょうか?」と仰るかもしれません。

しかしその見方にも重大な見落としがあります。
それはあなたの親だって、自分の親(あなたから見ると祖父・祖母にあたる)に愛されずに育ったのであなたを愛する方法が分からなかっただけかもしれないのです。(これを世代間連鎖とか家系の呪いと呼びます)

これの解決方法はあなたが回復した初めての世代になることしかありません。

ここまで考えが及ぶと「世の中には仕方のないことがある」という理解を持てるようになります。

②嗜癖を使うに至る心の構造を正確に理解し、そのメカニズムをコントロール可能にする

嗜癖を使う心の構造は三つのポーションによって構成されています。
それは不快感情・本能・性格上の欠点の三つです。

嗜癖を使うのは不快感情から逃れるためであり、感情が暴走するのは本能が傷ついたときです。
そして本能が傷つくのは性格上の欠点からくる行動パターンを使ったときです。

これの特徴はそれ一択だということです。
たとえば嗜癖を使う理由は不快感情から逃れる以外にないし、感情が暴走するのは本能が傷ついたとき以外にないし、本能が傷つくのは性格上の欠点を使ったとき以外にはないということです。

だから依存症からの回復策は単純で分かりやすいとも言えます。

不快感情を溜めない・本能を傷つけない・性格上の欠点を使わないの三つが本質的な解決策ということになります。

③自分の性格上の欠点からくる行動パターンを使わないことが本質的な解決策

自分の行動パターンを変えれば本能の傷つきは止まります。

このように言われると幾つかの反応パターンに分かれるようです。

  • 新しい行動パターンを使うなんてしんどい
  • 将来新しい行動パターンを使うこともあるかもしれない
  • 私には無理。他に解決策がないかな?
  • 被害者の私が何で解決策を実行しなければならないのか?不公平ではないか!
  • やった〜!これで私は新しい人生を生きることが出来る!

一つ一つ反論していきたいと思います(笑)。

a.新しい行動パターンを実践する力を神が与えてくださる

「新しい行動パターンを使うなんて疲れるからイヤ」と思うのは自力・我力で頑張ろうとしているからです。

そもそもそれが可能なら私たちは性依存症にならなかったでしょう。
「いけない、いけない。こんなことをしていたらいけない」と思いつつ、止めることが出来ず、気がついたら性依存症になっていたのです。

だから金輪際(こんりんざい)、自力(じりき)・我力(がりき)に頼ろうとしないことです。

ステップ11には「神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた」とあります。

神の意志とはあなたが新しい行動パターンを実践することです。
だからそれを実践する力を神に求めるのです。

朝ごとに、機会あるたびに、自分には実践する力がないことを告白し、実践する力を神に求めます。

そうしたら神は必ず新しい行動パターンを実践する力を与えてくださいます。

b.即座に新しい行動パターンを使わない限り人生は変わらない

「充分によく考えてみたい思います」と仰る方に申し上げたいことがあります。
それは「あなたが即座に実行しようとしない理由は何ですか?」ということです。

色々な理由が考えられますが、最も大きな理由は疾病利得(しっぺいりとく)かもしれません。
疾病利得とは自分がその病気で得られる利益を指します。

「私は可愛そうな依存症者である」とか「依存症からの回復は難しいのよね。とくに機能不全家族から来ている場合はなおさらよ」などと当事者が言うのを聞くことがあります。

しかし性依存症は回復可能な病気であり、回復に何年も掛ける必要はありません。
三ヶ月あれば回復可能であると、1 アルコホーリクス・アノニマスのビッグブックには書かれてあります(267頁7行目)。

ありのパパ自身も40年間悩みの種だったことが、2014年8月の第三週から12ステップを学び始めて15週間後の2014年11月22日には霊的に目覚めることによって解決してしまいました。
これは約三ヶ月半ということになります。

依存症者でいる限り、「私は人に哀れんでもらう権利がある」と考えることもできます。
しかし疾病利得よりも遥かに大きな祝福が回復すれば与えられるのです。
だからそこに留まっているのは宝物をドブに捨てているようなものです。

この記事を本気で受け止めてくださるなら、今この瞬間から新しい行動パターンを即座に実行なさることを心からおすすめします。

c.自分にはできそうにないから、他の対策を考える

「新しい行動パターンを実践するなど白昼夢でしかない」とお感じになる方もおられるかもしれません。
しかしそのような方に明確に申し上げたいことは「他に解決策はありません。これだけが本質的な解決策です」ということです。

そもそもできそうにないと感じるのは自力・我力でやろうとするからです。
誰もそんなことは言っていないにもかかわらず、そう思うのはひょっとして「自分を超えた大きな力」に頼ることに抵抗があるのかもしれません。

しかしステップ1で自力・我力では何ともならないと認め、ステップ2で「だから自分を超えた大きな力に頼って問題を解決しよう」と考えるようになった人は、ステップ3で神の意志に従ってこれからの人生を生きていこうと決心します。

だから「自分にはできそうにないから、他の対策を考える」という人はご自分の中でステップが空回りしているのです。
自分はステップ1〜3を踏んだつもりになっていても、実はしっかりと踏んでいないのです。

そうすると初めからやり直さなければならないのかと勘違いしがちですが、そんなことはありません。
自分に無力を認めることが不徹底だと分かったらそのところでもう一度無力を認め直せばよいのです。
これを生きている限り、繰り返します。

ここで「ステップ1に戻って、もう一度学び直す」という方は、依然として我力・自力でステップ1を理解しようとしていないかをご自分に問いただす必要があります。

完全に無力を認めることなど、生きている限り不可能であり、私たちに出来ることは気づきを与えられたらその都度無力を認め直すことだけです。

それに本当に無力を認めている人は「ステップ1に戻ろう」などとは考えないものです。

12ステップを初めて学ぶ時は順番に学ぶ必要がありますが、あとは霊的な道具箱の中に入っている12個の道具類を必要に応じて取り出して使うイメージでステップを活用すればよいのです。

何かある度に初心者に戻る必要はありません。

d.疾病利得がもたらすものよりも回復がもたらすもののほうが遥かに素晴らしい

嗜癖にしがみついていれば安心できるところも確かにあります。
初めてスケートリンクに立ったときのことを思い出せばそれは容易に理解できます。

頭の中ではスケートリンクの外側のブロックから手を離して、中央に出ていかない限り、スケートがうまくならないと分かっていてもどうしても手を離すことができません。

しかししばらくの葛藤を経て、ブロックから手を離す決心をします。
そうしてスケートがうまくなる道を歩み始めます。

スケートだと分かりやすいですが、依存症からの回復になるととたんに分かりにくくなります。
これは回復に至る道が目に見えないので、自分を騙すのが比較的容易だからです。

アルコールや薬物と違って性依存症で死ぬことはありません。
ただし刑務所に入ったり、家庭が崩壊したり、人生を棒に振ることになるのは他の依存症と全く同じです。

疾病利得がもたらす安心感や、嗜癖がもたらす「ふっと楽になる感覚」がいかに大切なものに思えても、それは人生の破滅という終点に向かって一直線に歩んでいるのだということを忘れはなりません。

e.効果のある行動パターンと効果のない新しい行動パターンがある

効果のある行動パターンは「神の力を借りれば自分にもなんとかなりそう」と思えるものです。
効果のない行動パターンはこれとは反対で「良いのは分かるけど、なんともならない」と感じられるものです。

人は「なんともならない」と思うものを実践しようとは決して思えないものです。
だから「なんとかなりそう」と思える行動パターンを考え出すことが非常に大切なことになります。

「どうしたら実践可能な行動パターンを考え出せますか?」と今まで何回も聞かれてきました。
しかし答えはありません。
なぜなら既にその答えはあなたの中に備えられてあるからです。

考え出す具体的な方法はアイデア出しのように頭を絞って十個ぐらい紙に書き出します。
そして一つ一つ実践可能かどうかを検証していきます。
そうしたら必ず一つぐらいは見つかるものです。

新しい行動パターンには役に立つものと役に立たないものの二種類ある

コンフォートゾーン ストレッチゾーン パニックゾーン
古い行動パターン 実行可能な新しい行動パターン 実行不可能な行動パターン
人生がどうにもならなくなる 人生が変わり続ける 茫然自失になる。人生は変わらないまま

(コンフォートゾーン・ストレッチゾーン・パニックゾーンについて詳しくお知りになりたい方は以下のブログ記事をクリックしてください)

「回復のステップ」の著者であるジョー・マキューは「依存症は罹患する前の人生より回復したあとの人生が劇的に良くなるただ一つの病気である」と言いました。
確かにその通りだとありのパパも思います。
この記事をお読みのあなたにも「依存症になってよかった」と思える日がきっとやってきます。
ステップに取り組もう!

【まとめ】

  • 性的しらふを続けるには「止める努力」を止める必要があります。
    そのためには自分が強迫観念と渇望現象に対してなぜ無力なのかを理解することです。
    そして「神になら私を回復させることが出来る」と信じることです。
    渇望の波が襲ってくるたびに自力・我力で戦うことを放棄して、「私にはできない。しかし神にはどんなことでもできるからである」と祈ります。
  • 磁石のプラスとマイナスのように、不快感情と強迫観念はセットになって働きます。
    自分の中に不快感情がなければ強迫観念が教えるウソを容易に見破ることが出来るようになります。
    自分の中に不快感情を溜めないことが依存症回復のための本質的な解決策ということになります。
  • 不快感情を溜めないためには行動パターンを変えることが唯一つの方法ですが、私たちにはそれをしない様々な理由(言い訳)があります。
    たとえば生育歴のせいにすることや、新しい生き方への恐れなどがあります。
    私たちは勇気をもってこの一つ一つの壁を乗り越えていかなければなりません。
    その壁の向こうには何ものにも代えられないシラフの人生が備えられてあります。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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  1. アルコール依存症者が作る相互支援グループのこと