喜びと確信にあふれた信仰生活を送るためには三つの事実を知っておく必要があります。
それは救いが完成するとき体が栄化されること、死んだら天国が待っていること、今このとき生きている私たちの内側に働く神の力の大きさです。
1.信仰による救いは来世まで関わってくるもの
「今持っている信仰による救いが、未完成のものであり、救いが完成されるときに与えられるものがどんなに素晴らしいものであるかを知ることができるように」[新約聖書エペソ教会への手紙2章18,19節]
①救いが完成される時、肉体が栄化されるのを信じますか?
聖書は「救いが完成されるときに与えられるものが、どんなに素晴らしいものかを知ることが出来るように」と言っています。
これは具体的には、私たちの体が救いの完成のときに栄化(えいか)された体になることを指しています。
そんな夢物語のようなことを信じるんですか?
はい、私は心から信じます。
これを信じない限り、信仰に力がありませんし、信仰生活も惨めなものになります。
これを棚に上げて、現代に生きる人にも理解可能なところで勝負しようとしても、それは無理は話ではないでしょうか?
②妥協するにも程がある!(笑)
ある福音派のクリスチャンが事情があってリベラル派の教会に通っているのですが、その教会の牧師が「天使はいない」と言ったそうです。
その牧師は「現代人が信じられないようなことを言うことは出来ない」と答えたそうです。
そこでその福音派信徒は「では神も、そういうことになりませんか?」と尋ねると、「神を否定するとキリスト教ではなくなるから」と答えたそうです。
ありのパパはそのやりとりをお伺いして、怒りよりも可笑しさが込み上げてきました。
もちろんリベラル派の教会すべてが、そのように理解している訳ではないかもしれません。
しかしキリスト教から霊的な事柄を除いていくと、最後にはカスしか残らなくなってしまいます。
クリスチャンがこの世の歩みにおいて、この世の人々が持たない力強さを持って生きていくためには、救いが完成されるときに与えられるものが、どんなに素晴らしいものであるかを知っておくことが、どうしても必要です。
2.来世の希望が現世を生きる原動力になる
「クリスチャンが継ぐべき神の国が、どれほど栄光に輝いたものであるかを知ることが出来るように」
いわゆる「あの世」を信じている人はどのぐらいいるでしょうか?
「死んだら、それで終わり」と考えている人が何と多いことでしょう。
しかし、本当に死んだ後に何も残らないなら、虚無感はあっても、死に対する恐怖を感じることはないはずです。
どんな無神論者であったとしても死に対する恐怖があるのは、死んだ後に神の裁きが待っていることを本能的に感じるからではないでしょうか?
たとえクリスチャンであったとしても、天国の希望をもたない人は惨めな信仰者です。
来世における希望をもっている人だけが、この世において様々な困難や苦難があっても神の御心実現のために頑張り抜くことができます。
(来世の希望をもっていて、カルト化した奴はどうなるんだ!と言う声が聞こえてくるようですが、この問題はまた別です)
3.神の力は、いま、ここで、働く
「私たちクリスチャンのうちに働く神の力が、どんなに大きなものであるかを知ることが出来るように」
さて、救いが完成されることも素晴らしいし、また神の国も素晴らしいのです。
しかしクリスチャン生活の鍵となるのは、今この地上で生身の体を持って生きている私たちのうちに働く神の力が、どれほど大きいものであるかを知ることです。
皆さんは、ご自分の内側に働く神の力が、どれほど大きいものであるかを知っておられますか?
「お前は、どうなんだよ」と言う声に対しては、こう答えます。
「はい、今も体験しつつあり、これからもっと豊かに体験することを願い、ひたすらこの道を神の恵みによって歩ませていただきたいと願っています」
この世のものでないもの、すなわち神が与えてくださる、救いの完成と、継ぐべき神の国と、私たちのうちに働いてくださる神の力の偉大さを知ることができますようにと祈ります。
◎平安と祝福を祈っています。