怒り依存症者が恨んでも相手は気づいてさえない。恨み解消法!

怒りの爆発をコントロールできない

怒りをコントロールできない人が12ステップに取り組むときの最大の障害は「なぜ自分がそんなことをしなければならないのか?」という思いです。
この記事は怒りの爆発の真の原因が恨みにあることを明らかにし、そこから解放される方法を解説しています。

1.怒り依存症者が恨みを手放すのは簡単ではない

恨みをもっていてはならない理由

「恨みの感情は私たちを傷つけるが、当の相手を傷つけることはない。相手はこちらが恨んでいることに気づきさえしないだろう」(EAのHow It Works29頁15行目)

一般的なカウンセリングではクライアントに恨みを捨てさせるために「こちらがいくら恨んでも相手は鼻くそほじってますよ」と言うことがあります。

そうすると恨むのがバカバカしくなりはしますが、だからと言って恨みがなくなるわけではありません。

恨みを手放すのはそんなにたやすくできることではありません。
自分で「手放せた!」と思っても、思わぬときに恨みが顔を出し、「私まだ恨んでたんだ」と自分にびっくりしたりします。

①恨みをもっていてはならない理由

なぜ恨みを握っていてはいけないのでしょうか?
ありのパパはこのことがよく分かりませんでした。
何なら恨みをもっているほうが人生のモチベーションが高くなるのではないかと考えたぐらいです。

たしかに「あいつ〜。今に見てろよ、何クソ!」と思っていれば、サボろうと思うときにも「いやダメだ、こんなことをしていてはあいつを見返せない」と考え直すことができます。

しかしそうやって成功を手に入れた多くの人々が人生途上で表舞台から消えていきました。
理由は様々ですが、多いのがアルコール・薬物・ギャンブルの問題です。
そのようなトラブルを起こした人の多くが自分でも「してはならい」と思いつつ、手を出してしまっているのです。

これを依存症と言います。(これだけで依存症であると断定はできませんが、その傾向があるということは言えます)

恨みの感情をそのままにしておいてはならない理由は、嗜癖を使わざるを得ないところに自分を追い込んでしまうからです。

②怒りをコントロールできない人と恨みの関係

この記事の主な対象者である【怒りの爆発をコントロールできない人々】は恨みを溜め込んでいる人々です。

「お前はまた私をバカにするのか!」と感じて怒り依存症者は怒りを爆発させる場合が多いのです。

「お前はまた私をバカにするのか!」と感じるときに本能の中で起きていることは〈共存本能の自尊心〉が傷つくということです。

自尊心とは別名・自己評価のことであり、他者評価によって自己評価は上がったり下がったりするものです。

「お前はまた私をバカにするのか」といのうはバカにされた記憶が焼き付いており、人のちょっとした仕草や目の表情で「私をバカにしているに違いない」と思い込むということです。

性格上の欠点である【恐れ】を使い、本能の【共存本能の自尊心】を傷つけ、不快感情の【恨み】を暴走させ、そして不快感情から逃れるために【怒りの爆発】という嗜癖を使うのが怒りをコントロールできない人の心の構造です。

性格上の欠点である恐れを使う⇒「人は私を必ず傷つける」と思い込んでいるので、人の何気ない仕草が自分をバカにしていると感じられてしまう
共存本能の自尊心が傷つく⇒やっぱり私は傷つけられた!
不快感情の恨みが暴走⇒コノヤロー!絶対許さない
不快感情から逃れるために嗜癖を使う⇒自分でもなぜ怒りを爆発させるのか分からない(自分の心はブラックボックス)

ありのパパを始めとした【怒りをコントロールできない人々】にも解決策があります。
解決策については2.以降で述べます。

③問題の核心はゆるしているか否かにはなく、恨みがあるか否かにある

時々おられるのが「私はかつては恨んでいましたが、今はゆるしました」という方です。

しかし問題の核心は恨んでいる人をゆるしたかどうかではなく、恨みが残っているかどうかにあります。

ゆるしという行為が必要なのはいまだに恨みが自分の中にあるからなのだということに気づく必要があります。

自分の中に恨みがなければそもそも赦すという行為も必要ありません。

もちろん本当にゆるすと恨みはなくなってしまいます。
しかし殆どの人にとってのゆるしとは恨みの感情が湧き上がってくるたびになされる応急処置的なものではないでしょうか?

そうするとある人は「本当にゆるすのなら良いのか?」と疑問を持たれるかも知れません。(キリスト者は特にこの傾向が強いかも知れません)

しかしそうではありません。
ほとんどの恨みには根拠がないと分かれば恨みそのものがなくなってしまうのです。

これが恨みの感情への正しいアプローチです。

④根拠のある恨みの対処法

では子供時代に受けた虐待・養育放棄への恨みについてはどうでしょうか?
この恨みには根拠がないでしょうか?
いいえ、おおありのこんこんちきです。

ですから、この問題に対しては「ゆるす」という行為が必要になります。
ただそれをいつするかが問題です。

ほとんどの恨みは根拠がなかったことに気づいて恨みの感情が消えてなくなってしまったあとにまだ残っているものについてのみそうすべきです。

ありのパパのお勧めは、恨みの対象になっている人の祝福のために28日間連続で祈ることです。

ありのパパ自身も母のために28日間祈ったのですが、大きな祝福がありました。
ありのパパが最も大切に思っている「心の平安」を母にも与えてくださいと祈ったのですが、母は世俗的な人物であり、「心の平安?なにそれ、美味しいの?」とでも言うような人でした。

そのような人に対して霊的なことを大切にする価値観をもってほしいと願うこと自体が的はずれなことであり、愚かなのだという気づきが与えられました。(この気づきが与えられたのは祈り始めて90日後でした。実は母の祝福を祈ることが習慣になり、28日間を過ぎても祈り続けていたのでした)

この[母の祝福を求めて祈る]という行為を通して、自分自身が母への執着から解放されたのでした。

それで最も大きな祝福を受けたのは祈られた人ではなく、祈った本人ということになりました。

皆さんにも、最後まで残った恨みの対処法として恨んでいる人の祝福のために28日間連続で祈ってみることをおすすめします。

2.恨みを手放すためにはどうしても二つのことに気づく必要がある

恨みを手放す

人が恨みを手放せるのは「嗜癖を使い続けると人生が思い通りに生きていけなくなるのであり、嗜癖を使う原因は不快感情(恨み・罪悪感・恐れ・後悔)から逃れるためだった」と真に理解できたときだけです。

恨みをなくす方法は以下のことに気づく以外にありません。

  • 嗜癖を使うのは恨みを始めとした不快感情から逃れるためだったと気づく。
  • 他者に傷つけられたから恨んだのではなく、自分の性格上の欠点を使ったから傷ついたと気づく。

では順番に説明していきます。

①嗜癖を使うのは不快感情から逃れるため。これ一択!

多くの人がご自分が嗜癖を使うのに見当外れな理由を挙げます。
いわく「意志が弱いから」「ちょっとだけならいいと思った」「今度だけ」などなど。

a.意志が弱いから

「意志が弱いから」と考えるのは無理もないかも知れません。
しかし実は脳の報酬系に依存症回路が出来てしまうと前頭葉が司る理性が無力化されてしまい、いくら理性では「してはならない」と分かっていてもどうしようもないのです。

b.ちょっとだけならいいと思った

「ちょっとだけならいいと思った」のことを【狂気の一杯】と呼びます。
依存症回路が出来てしまうと、神の助けによってはじめの一杯を拒む力は与えられますが、二杯目を拒む力は神でさえも与えることができません。

だからギャンブル依存症者がパチンコ屋の店内で「ここから出ることができるように助けてください」と泣きながら祈っても、その祈りが応えられることはありません。

もし神に応えてほしいなら、パチンコ屋に入店する前に「神様、どうぞ私がパチンコ屋に入らないように助けてください」と祈るべきでした。
そうしたら神はその祈りに応えてくださるでしょう。

c.今度だけ

「今度だけ」は強迫観念が教えるウソです。
依存症回路から二つのものが出てきます。
一つは強迫観念であり、もう一つは渇望現象です。

渇望現象はスイッチが入ってしまうとブラックアウトするまで該当行為を止めさせない働きです。

強迫観念はそのスイッチに該当する働きをするものであり、「ほら使えよ。使ったら楽になるぞ」とウソを教えます。

このウソを教える強迫観念は実に強力であり、たった一つの例外を除いて抵抗する力は私たちにはありません。

そのたった一つの例外とは心の中に不快感情(恨み・罪悪感・恐れ・後悔)がほとんどない状況では強迫観念がささやくウソを容易に見破れることです。

これは昼間に出てくるお化けに例えることができます。
真夜中に出てくるお化けは誰だって怖いものです。
この「真夜中」に当たるのが不快感情です。

不快感情がない状態は真っ昼間です。
真っ昼間に出てくるお化けぐらい間抜けなものはありません。

私たちが嗜癖を使うのは意志が弱いからではなく、不快感情から逃れるためなのです。

嗜癖を使うのは不快感情から逃れるためですから、嗜癖を使わないでおこうと思うなら、不快感情を自分の中に溜め込まないことが本質的な解決策になります。

ここまでの説明で[恨みをそのままにしておくと嗜癖を使わざるを得ないところに追い込まれてしまう]ということがお分かりいただけたと思います。

②他人が傷けたのではなく自分の性格上の欠点を使ったので傷ついた

ここからは「他人に傷つけられたので恨んだ」のではなく、「自分の性格上の欠点を使ったので傷つき恨んだ」ということを説明します。

AC傾向の強い人は特にそうですが、「私は傷つけられた」と心のどこかで感じつつ自分の人生を生きています。
ことによったら被害者意識を嗜癖として使っているかも知れません。(ACの問題行動の5番目

しかし真実はそうではありません。
「他者は私を傷つけることができない。自分自身(本能)を傷つけているのはいつだってこの私の性格上の欠点からくる行動パターンである」というのが真実です。

私たちの本能が傷つくのは相手の行動によってではなく、相手の行動に自分が適切に対処しなかったときだけです。

これが子供時代の養育放棄・虐待の体験が棚卸し作業の対象にならない理由でもあります。

非力な子供には圧倒的な力を持つ大人に〈適切に対処する〉ことなど不可能だからです。

子供時代のことは何回考えても「仕方なかった。世の中にはしようのないこともある」という結論に落ち着きます。

棚卸し作業の目的は「現在の視点で振り返って、その時どうすれば恨まずにすんだか?」を考えるためです。

大人になってからの出来事については「どうすれば恨まずにすんだか?」を考える必要があります。

そうすることによって私たちは生涯を通して恨みなどの不快感情から解放されて過ごすことができます。

3.シラフを保つために恨みの感情を決して溜め込まない

不快感情という名前のダム

シラフでいるためには恨むことはできないと分かった時だけ、恨みを手放す決心ができます。

怒りの爆発をコントロールできない人々にとっては恨みの感情は贅沢品に過ぎません。

人に傷つけられたと感じるのは被害者意識を嗜癖として使っているからであるとともに、自分の不作為の行為に気づいていなからです。

不作為の行為とは相手の行為に対して当然なすべき行動をあえてしないことを言います。

これの理由は性格上の欠点である不正直・身勝手・利己的が挙げられます。

不正直とは相手との関係を切りたくないので本心とは異なる行動をすることであり、身勝手とは充分に確かめることもせずに「やっぱり私は傷つけられた」と勝手に思い込み、相手との関係を切り捨てることです。

利己的とは「私は自分の本心を言わないけど、お前は私が何も言わなくても分かれよ!」というとんでもない自己中を指します。

この事実を理解できると「自分の性格上の欠点を使ったので傷ついたのだ」と気づくことができます。

そうすると恨みは消えてなくなります。

恨みを溜め込まない具体的な方法

多くの場合に私たちはサンドバックのように相手に良いように扱われています。
そして反撃しようとすると、それはすぐさま怒りの爆発という形をとってしまいます。

このような人たちにとっての解決策は自分の中に恨みを始めとする不快感情を溜め込まないことだけです。

a.自分自身をヒビの入った不快感情ダムと捉える

怒り依存症者の心は何回も決壊を繰り返したダムに例えることができます。
その度に応急処置をするのですが、ダムの壁面はヒビだらけであり、もはやダムとしては使い物になりません。

このような状態のダムであっても生き残る方法が一つだけあります。
それは不快感情ダムに恨みという水を溜めないことです。

そもそも水がなければダムは決壊しようがありません。
ダムが決壊しない限り、私たちは心が健康な人と同じように生きていくことが可能です。

b.我慢することに意識の焦点を当てない

多くの【怒りをコントロールできない人々】が「我慢しようとしたのですが、ダメでした」と言います。
ありのパパはそれを聞きながら心の中で「怒り依存症者は我慢しようとしたらいかんのだ。我慢しようとしたからダメだったんだよ」と思います。

我慢するというのは要するに不快感情が溜まっているにもかかわらず怒りの爆発という嗜癖を使わないでいようとする努力です。

怒り依存症者は怒りの爆発に対して〈耐性〉がもはや失われているのです。
それにもかかわらず我慢しようとするのは無力を本当には認めていないか、我力・自力で何とかなると高を括っているかのどちらかです。(この二つは本質的には同じものです)

c.すべての人に配慮をもって接することに全力を尽くす

注意すべきことは[利己的にならないように気をつけよう]と考えてはならないということです。

そのような方に申し上げたいことは「あなたはそれができると思いますか?」という質問です。
今までその質問をした全員の方が「いいえ、出来ないと思います」とお答えになりました。
なぜ出来ないと分かっていることをやろうとするのでしょうか?(笑)

行動パターンは「〜しない」という否定形ではなく、「〜する」という肯定形である必要があります。

もともと人間は宣言するものに引き寄せられる特徴があります。(これはいわゆる[引き寄せの法則]とは何の関係もありません)

だから「怒ってはならない」と自分に言い聞かせていると、怒りに引き寄せられてしまいます。

「すべての人に配慮をもって接する」と宣言していれば、配慮することに自分が引き寄せられていきます。

この性質を活用しない手はありません。
というかそうしない限り、うまく行きっこありません。

すべての人に対して敬意をもって接することに全力を尽くすとき自分の中から恐れが締め出されます。

同じようにすべての人に対して配慮をもって接することに全力を尽くすとき自分の中から利己心が締め出されます。

この「すべての人」の中にはもちろん自分自身も含まれます。
自分に一番近い人は自分自身です。
だから自分自身に配慮できない人が他者に対して配慮できるはずもありません。

「人が私をサンドバック扱いしていることが問題の核心ではなく、それに対して私が適切な行動を取らないことが問題の核心である」ということが本当に分かったら人生は変わります。

そして自分自身のために人々に対して配慮をもって接することに全力を尽くすようになります。

自分自身のためにやっていることですから、配慮をもって接することに全力を尽くしても疲れ切ることがありません。(以前よりも疲れはしますが、充分な睡眠を取れば疲れは取れます)

【まとめ】

  • 恨みを手放すのは簡単なことではありません。
    しかし恨みを持ち続けていると怒りの爆発を始めとする依存症に罹患しやすくなります。
  • 怒りの爆発をコントロールできない人々の真の原因は恨みの感情をそのままにしていることにあります。
  • 恨みの感情への本質的な解決策はゆるすことではありません。
    なぜならゆるしてもゆるしても次から次へと恨みが出てくるからです。
  • 本質的な解決策は自分が恨んでいる真の原因は相手の行為に対して適切な対応を自分がしなかったからであると気づくことです。
  • 怒り依存症者にとって恨みの感情は一生持つことが許されない贅沢品に過ぎません。
  • 「ヒビの入ったダムでも水がなければ決壊しようがない」が怒りをコントロールできない人々の合言葉であるべきです。
  • すべての人に配慮をもって接することに全力を尽くす時だけ自分の中から利己心が締め出されます。
    そうしたら人に対して怒りを感じることが少なくなります。
    だからこれが本質的な解決策です。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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