同じように12ステップに取り組んでいても、ある人は生き生きとしており、ある人は依然としてベチャーっとしています。
この記事はその原因を明らかにし、すべての人が生き生きとした人生を送るための方法を解説します。
目次
1.過去と将来に焦点を当てるときに起きること
回復してイキイキしている人と、ベチャーっとしている人との違いは日常生活で意識の焦点をどこに合わせているかにあります。
「回復の『ステップ』」を書いたジョー・マキューは過去の出来事にとらわれていると「恨み」が、将来にとらわれていると「恐れ」が出てくると言いました。
①過去に焦点を合わせていると恨みが出てくる理由
過去の出来事に囚(とら)われていると恨みが出てくる理由は、その出来事を思い出すと「あぁすれば良かった。こうすれば良かった」という後悔が出てくるので、その自責の念から逃れるために責任を他者に背負わせることによって自分を楽にしているからです。
これを責任転嫁と言います。
では自分の責任を認めれば良いのかというと一概(いちがい)にそのように言うことはできません。
なぜなら自分の責任を認めると罪悪感と後悔が出てきますが、罪悪感と後悔は不快感情なので、これがある限り、嗜癖を使いたくて仕方がない生地獄のような状態が続くからです。
恨みが出てくるメカニズム |
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過去の出来事の原因が自分にあったと薄々勘づいている |
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それが分かったところで解決方法を知らないので誰かのせいにして済ませている |
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その結果、共存本能が傷つき、恨みの感情が暴走する |
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恨みの不快感情から逃れるために嗜癖を使わざるを得ないところに追い込まれている |
ではどうすればよいかについては2.以降で解説します。
②将来に焦点を当てていると恐れが出てくる理由
万能感がよほど強い人でない限り、将来に対しては誰でも不安を抱くものです。
しかしここで言う「恐れ」は健全さの範疇(はんちゅう)を超えた病的なものを指しています。
健全な恐れと病的な恐れを見分ける方法はその人が恐れに対してどのように対処しているかを見れば明らかに分かります。
将来に対して健全な恐れをもっている人は「どのような予測不可能なことが起きても大丈夫なように準備しておこう」と努力します。
要するに実行が伴うということです。
これに対して病的な恐れをもっている人は「いつかどこかで私の人生は破綻する!」とおびえ、その時をただ座り込んで呆然(ぼうぜん)と待つのみです。
健全な恐れ | 病的な恐れ |
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人生は何が起きるか分からない | 私の人生はいつかどこかで必ず破綻する! |
⇩ | ⇩ |
だから何が起きても大丈夫なように出来る限りの準備をしておこう! | 「私の人生はいつかどこかで必ず破綻する」と呪文のように唱えるのみ |
さて、あなたはどちらでしょうか?
過去の出来事に焦点を合わせていると恨みが、将来に焦点を合わせていると恐れが出てきます。
解決方法は『今日一日』に焦点を合わせることです。
今日一日に焦点を合わせていると、恨みが愛に、恐れが勇気に、罪悪感と後悔が平安と赦しに置き換わります。
2.私たちが過去と将来に焦点を当てる理由
①私たちが過去に焦点を当てる理由
私たちが過去に焦点を当てがちな理由があります。
それは自分の人生がうまくいかないことを他人のせいにしておけば楽だからです。
その代わりに不快感情が発生し、それから逃れるために嗜癖まみれの人生を送らざるを得なくなりますが。
ステップの4・5で棚卸し作業を行うと「今の今まで他人が悪いと思いこんでいたのに、実は原因は自分にあった」という視点の転換が起こります。
具体的な例を出すと、「Aさんに怒鳴られたので私は恨んだ。(だからこの恨みは正当だ)」という問題があったとします。
その方に「あなたはAさんにどのような対応をしましたか?」とお尋ねすると大抵は「いいえ、何もしていません。人知れず心の中で恨んでいるだけです」と言われます。
それで「もしその時、『こらぁ〜、いい加減にせぇよ!』」と怒鳴り返していたら、あなたは今でも恨んでいたでしょうか?」と問い返すと、「いいえ、きれいサッパリ忘れていたと思います」と言われます。
さらに「そうなるとあなたが恨んだ真の原因はAさんが怒鳴ったことにあるのではなく、あなたが性格上の欠点である不正直を使っことにあると言うこともできるのではないでしょうか?」とお話すると、相手の方は笑い出されます。
これが視点の転換が起きる瞬間です。
上司が怒鳴る | 上司が怒鳴る |
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不正直な対応をして黙り込む | 相手に敬意をもって接しつつ、怒鳴ることは服務規範に反していることを伝える |
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人知れず上司を恨む | 上司との関係が改善する(12の約束の10番目) |
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恨みの感情から逃れるために嗜癖を使う | 平安という言葉を理解し、体験的に知るようになる(12の約束の4番目) |
②私たちが将来に焦点を当てる理由
私たちが過去に焦点を当てがちな理由は自分の不正直な対応や身勝手さ・利己心が問題の真の原因であることから自分の目をそらすためであることが分かりました。
これに対して将来を不安がる理由は正当なものです。
それは「今のような人間関係のあり方を続けているといつかどこかで人生が破綻する」と自分自身(本能)が警告してくれるからです。
正当なものであってもその結果発生した「恐れ」は不快感情そのものですから、恐れを感じないために様々な嗜癖を使わざるを得ないところに追い込まれます。
これの解決方法は『今日一日』に焦点を合わせて、すべての人に例外なく敬意と配慮をもって接することに全力を尽くすことです。
そうしたらしばらくすると自分自身という存在が「お前はよくやっているよ」と言ってくれるようになります。
そして「将来は今日一日の積み重ねでしかない。だから今日一日がうまく行っているなら将来もうまく行く」という自然なうなずきがやってきて、病的な恐れからは解放されます。
③若者がはつらつとしているもう一つの理由
若い人々がはつらつとしているのは肉体的なことだけが理由ではありません。
過去に焦点を当てようとしても当てるべき過去が存在しないので恨みが出て来ようがないからです。
若者世代以外の人々も若者たちの「後悔すべき過去がないので後悔しようがない」というのを自覚的に活用すればよいのです。
ありのパパが12ステップに取り組んだのは、人生を90年として残りの30年間もこれまでと同じように生きるのだけは何としても避けたいと思ったからでした。
ありのパパには過ぎ去った自分の人生を悔やむ気がありません。
なぜなら全力投球で自分の人生を生きた結果がこれだったからです。(過ぎ去った人生は何ともならないのですョ)
人生の勝ち組にも負け組にも平等に訪れるのが人生の終わりです。
人生が終わりを迎えたら勝ち組だろうと負け組だろうとどうでもよくなるのです。
それでありのパパは自分のことを「人生終わった組」と呼んでいます(笑)。
58年間自分を変えようとして1mmも変わらなかったので過去に焦点を合わせることもしませんし、あとは死ぬだけなので、将来に焦点を合わせることもできません。
今日一日に焦点を合わせるしかありません。
これはありのパパにとって呪いではなく祝福です。
「『私には良いことが何もない』と嘆く老年期が訪れる前に創造主である神との関係を再構築しなさい」[旧約聖書・伝道者の書12章1節]
3.新しい行動パターンを実践した分しか人生は変わらない
アダルトチルドレンや依存症者の方に「どのぐらいまで良くなるでしょうか?」と聞かれることがあります。
これは言葉を換えて言うと「どんな自分になれるだろうか?」ということです。
そのようなことをお聞きになる方は大抵ミーティングに忠実に参加し、12ステップにも熱心に取り組んでおられる方々です。
しかし残念なお知らせがあります。
それは人生が変わるのはミーティングや12ステップに取り組む熱心さに比例するのではないということです。
では何に比例するのかと言えば、それは新しい行動パターンをどれだけ使っているかが回復の人生に忠実に反映されるのです。
①新しい行動パターンの作り出し方
「新しい行動パターンって何ですか?」と思われるかも知れません。
新しい行動パターンとは棚卸し作業によって明らかになった古い行動パターンの対極にあるものです。
例えばありのパパの古い行動パターンは二つあります。
一つは恐れが動機の不正直・身勝手行動です。
もう一つは利己的振る舞いが原因の配慮の欠如です。
では対極に位置する新しい行動パターンはどのようなものになるでしょうか?
ここで間違いがちなことは「不正直の反対だから正直だ!」と考えてしまうことです。
そのような方へのありのパパの質問は「正直になれますか?」です。
「私は恐れが原因だから新しい行動パターンは『恐れない』ことです」と言われる方には「恐れないでいることは可能ですか?」とお伺いします。
そうするとどの方も一様に爆笑されます。
そうです。自分でも「できない」と思っていることは実行不可能なのです。
ある方は「神に祈れば可能ではないですか?」と言われるかも知れません。
しかしお腹の中で「できっこねぇ!」と思っていることは本音では祈れないものです。
本音から出ていない建前の祈りは聞かれることがありません。
これが私たちがいくら祈っても祈りが叶えられない本当の理由だったりします。
話を元に戻します。
心にはある特徴があり、それは一つのことに集中すると他の考えを締め出してしまうという特徴です。
ありのパパは「他者に傷つけられたらどうしよう」といつも恐れていたのですが、相手の方も「ありのパパに傷つけられたらどうしよう」と恐れているかもしれないのす。
だから「私は決してあなたを傷つけない」ということを分かっていただくことを最大の目的にして人々と接するようにしました。
あとから振り返ってみて、そのときだけは自分の中から恐れが締め出されていたのに気づきました。
それで「すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くす」がありのパパの新しい行動パターンになりました。
②新しい行動パターンを宝の持ち腐れにしない
大切なことは「どんな自分になれるか?」を考えている暇(ひま)があったら、「今日一日だけ新しい行動パターンを全力で実践する」ことです。
私たちアダルトチルドレンや依存症者が陥りがちな過ちは「夢想する」ということです。
12ステップが約束している理想を眺めるのは悪くはありませんが、もうすでに自分のものになっていると錯覚してはなりません。
現実は「絵に描いた餅」でしかないのです。
ステップ6・7の新しい行動パターンの実践によって「絵に描いた餅」が少しずつ自分のものになっていきます。
私たちが実践した分だけ、私たちの人生は新しい人生へと変わっていきます。
要するにミーティングで分かち合っていることが私たちの現実なのではなく、日常生活での振る舞いが現実なのです。
このシビアな事実に気づくと「私の回復がこの程度なのは仕方ない」と受け止めるようになります。
しかし回復と新しい行動パターンの実践がイコールで結びついていることに気づかないと「おっかしいな?神さま、サボってるのかな?」などと見当外れなことを思ったりします。
ここまでお読みいただいた方の中には「新しい行動パターンを実践すればよいのは分かっているが、新しい行動パターンが何かわからないし、分かっていても実践できないのだ」という方もおられるかもしれません。
ステップ4・5に取り組む目的は古い行動パターンの発見と新しい行動パターンの創出にあります。
だからそれができていないステップ4・5では本当の意味で棚卸しをしたということはできません。
一つの文章で表現できるように明確に古い行動パターンを明らかにし、新しい行動パターンも一つの文章に落とし込むことです。
理由は一つの文章になっていないと日常生活の中で即座に実践できないからです。
人間関係のトラブルが起きた時に、その場で「えぇと、私の古い行動パターンは何だったかな?そして対極にある新しい行動パターンは何になるかな?」などと呑気なことをやっているわけにはいきません。
即座に対応する必要があります。
そうしない限り、私たちの人生は変わりようがありません。
「分かっていても実践できない」という質問へのありのパパの答えは「私にはできない。しかし神には何でもできるからである」と信仰を告白しつつ実践するというものです。
ここで大切なことをもう一つ付け加えます。
それは「神さま、ほなよろしゅう!」という態度ではダメであり、自己意志と神の意志が協働で自分自身の人生を生きていくということです。
これは実に面倒くさい作業です。
「おかしいな。なぜうまくいかないのか?神さま教えてください」と祈っても応答なし。
考えに考えて「まさかこんな小さいことが問題なのか?」というようなことにやっと気づきます。
このようなことが次から次へと起きます。
まさに座り込んでいるヒマがないのです。
普通の人はこんな面倒くさいことをやろうとは思わないでしょう。
しかしACや依存症者はどうしてもこの問題に直面する必要があります。
なぜならこの問題に直面しない限り、シラフを維持するのは無理だからです。
私たちお互いは病的な人間関係を嗜癖として使うアダルトチルドレンでよかったですね(笑)。
【まとめ】
- 同じようにミーティングに参加し、12ステップに取り組んでいても、ある人は生き生きとし、ある人は残念ながらベチャーっとしています。
生き生きとしている人は現在にのみ意識の焦点を当てているのに対して、ベチャーっとしている人は意識の焦点を過去や将来に当てています。 -
私たちが意識の焦点を過去に当てる理由は「あの人が悪かった。これが原因だ」などと自分以外の者に責任転嫁をするほうが楽ちんだからです。
将来に焦点を当てる理由は私たちの本能が「このままではいけないよ」と警告してくれるからです。 -
今日一日を全力で生きることだけが過去や将来に焦点を当てずにすむ唯一の方法です。
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新しい行動パターンを実践した分しか人生は変わりません。
そのために棚卸しによって明らかになった古い行動パターンの対極にある新しい行動パターンを全力で実践することです。
◎回復と平安と祝福を祈っています。