「私さえ我慢すればよいのだから」は共依存症者の常套句です。
しかし残念ながらその生き方を続けていると必ず人生が行き詰まります。
この記事は我慢と忍耐の違いと『利己的』の本質を明らかにし、そこから回復する方法を解説しています。
1.我慢と忍耐の違い。
聖書に「約束のものを手に入れるのに必要なものは忍耐です」とあります。
それでありのパパは「我慢すればいいのね」と安直に考えてしまいました。
忍耐と我慢はどこが違うのでしょうか?
①我慢とは要するに否認と抑圧
我慢とはこちらの利己的・不正直な対応の結果、相手に腹を立てたその恨みを我慢するということです。
『利己的』の特徴の一つは「言わなくても分かれよ」ですが、ほとんどの場合誰も分かりません。
不正直の特徴は「関係を壊したくないので本音を言わない」です。
要するに我慢する生き方とは利己的・不正直・身勝手・配慮の欠如の性格上の欠点からくる行動パターンをそのままにしておいて本能が傷ついた結果として暴走した不快感情を抑圧・否認する生き方です。
アダルトチルドレン(AC)の我慢する生き方にセットで付いてくるのが感情の否認です。
ACでない人は我慢するだけですが、ACはご丁寧にも我慢した感情を否認します(ACの問題の10番目)。
このような生き方をする人は会社が終わってもまっすぐに家に帰ることができず、飲み屋で上司や同僚の悪口を肴(さかな)にして酒を飲まねばならなくなります。
あるいは性的サービスを提供する店に入り浸ったりします。
また、ありのパパのように恨みの不快感情を否認・抑圧しきれずに怒りの爆発という形で嗜癖を使う人もいます。
この状態に生涯留まる人も多いですが、何らかの依存症に罹患する人もいます。
理由は嗜癖を使い続けるならば必ず脳の報酬系に依存症回路ができてしまうからです。
あたかも3Dプリンターで脳の報酬系に依存症回路を印刷しているようにです。

②忍耐とは新しい行動パターンを使うのを諦めないこと
忍耐とは相手に対して敬意をもって接することに全力を尽くしつつ、自分の本音を語る営(いとな)みを止めないことです。
人間関係を忍耐をもって律する生き方の特徴は望みのものを手に入れることができるということです。
この『望み』とは金銭や名誉ではなく、心の平安・物事に対する洞察力・穏やかな人間関係などです。
我慢する生き方のほうが楽ちんではありますが、この生き方は相手をモノ扱いする生き方でもあります。
人間関係のトラブルを避けることだけを目的にする生き方は、相手にも悩みがあり、苦しみ・悲しみ・寂しさがあるかも知れないという事実を無視しています。
要するに相手に人格があることを無視しているのです。
このような人間関係を非人格的関係と言います。
この非人格的関係で傷つくのは相手ではなく、ほかでもない自分自身(本能)です。
相手が人格的存在であることを無視すると、自分自身の良心が自分を責めます。
もちろん良心の声を聞こえないフリはできますが、やっぱり心のどこかで良心の警告を聴いているのです。
そのため本能が傷つき、感情が暴走し、結果として不快感情から逃れるために嗜癖を使わざるを得ないところに追い込まれます。
人々との関わり方 | 心の中で起きていること |
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悩みごとを相談されたが面倒だから建前だけで接しておこう | 不正直あるいは利己的 |
⇩⇩ | ⇩⇩ |
「そんな人間関係のあり方をしているといつか人間関係が破綻するぞ!」 | 良心の声 |
⇩⇩ | 将来野心の感情面での安全が傷つく |
持続的な恐れの感情に飲み込まれる | 不快感情の中の恐れが暴走する |
⇩⇩ | ⇩⇩ |
嗜癖を使いたくないにもかかわらず使ってしまうのはなぜか? | 不快感情から逃れるためには嗜癖を使わざるを得ないという真実 |
2.ACや依存症者にとって利己的とはどういうことか?
依存症からの回復において75%という驚異的な回復率を誇っている医療機関があります。
その医療機関の統括責任者の医師は「依存症になる人は他者と本音のコミュニケーションを取ることが苦手で、それをしないまま生きてきた人が多い」と言いました。
他者とコミュニケーションを取るのが苦手な理由はおもに二つあります。
①不正直な対応
一つは人間関係を壊したくないので心ならずも本音とは違う不正直な対応をすることです。
これは私たちの日常生活でもよくあることです。
例えば電話がかかってきて自分としては早く切りたいのに関係を壊したくないので長電話に付き合ってしまうなどです。
そして電話が終わったあとで自分が長電話に付き合った(同意した)という事実は棚に上げて、「あの人ったら、本当に人の都合を考えないんだから!」と憤(いきどお)っているのです。
憤るとは怒りであり、怒りは恨みの感情そのものです。
②利己的な振る舞い
もう一つは「あなたは私が何も言わなくても私の本音を理解して当然である」という間違った思い込みです。
この地上に自分の本音を言わなくても分かってくれる人は一人もいないのであり、100回言ってやっと1回分かるというのが現実です。
それで「言わなくても分かって当然」と考えている人は本能が傷つくことになります。
なぜ自分の本音を言わないで他者に分かってもらおうとするのでしょうか?
まず第一に自分の本音を相手が分かるように説明するのは骨が折れるからです。
そんな面倒なことをするよりも「オマエが分かって当然なんだよ!」と居直っているほうが楽ちんな人生を送れるからです。
しかし楽ちんな人生を送った結果は本能が傷つき、感情が暴走し、不快感情から逃れるために嗜癖を使わざるを得なくなります。
結果としてはちっとも楽ちんな人生ではなく、かえって返済利息をいっぱい支払わないといけなくなる残念な人生を送ることになります。
二番目は「自分の本音を相手に伝えて当たり前」の人生を知らないことです。
「自分の本音を相手に伝える術(すべ)を知らないし、そんなの面倒くさいからとりあえず馴れ親しんだやり口を使おう」となります。
ありのパパはこのような生き方を58歳の時まで続けました。
これは子供時代の生育歴が影響していますが、大人になっても同じ生き方を続けたのは本人の責任です。
「親が悪い」「生育歴に問題がある」と何百回言ったところで問題は絶対に解決しません。
解決に向かって歩みだそうとするなら、自分がそれらのものを今や嗜癖として使っているのを認めるところからスタートしなければなりません。
3.解決策
我慢する人はACや共依存者に多いようです。
「自分さえ我慢すればいいのだから」というセリフはこれらの人々の十八番(おはこ)です。
「我慢している自分は偉い!」という勘違い野郎・勘違い女の集団から抜け出すのは容易ではありません。
自分は偉いと思ってやっていることがそもそも嗜癖なのだということをどうしても理解する必要があります。
このカラクリが理解できるのはステップ4・5・10の棚卸しによってです。
はじめはうっすらとそして徐々にはっきりと見えてきます。
もちろんステップの4・5に取り組むためには自力・我力では出来ませんから、どうしてもステップ1で無力を認める必要があります。
そしてステップ2で当てにならない自分以外の存在、すなわち自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じます。
さらにステップ3で解決策を自分のものにするために神が備えてくださった『行動のプログラム(ステップ4〜9)』に取り組む決心をします。
一人でも多くの方が棚卸し作業に取り組まれますように。
周囲に棚卸しを聴いてくれる『もう一人の人(シェアリング・パートナー)』がおられない場合はよろしければありのパパがその役をやらせていただきます。(詳しいことは下記をクリックしてください)

【まとめ】
- 我慢と忍耐は似て非なるものです。
我慢は性格上の欠点からくる行動パターンをそのままにして本能は傷つき放題、感情は暴走し放題にして、発生した不快感情だけを否認・抑圧しようとする生き方です。 忍耐とは相手をモノ扱いすることを止め、相手を人格的存在として認め、接することに全力を尽くす生き方です。
相手を人格的存在として認める生き方は忍耐を必要とします。
なぜなら私たちは短気であり、すぐに結果を欲しがる愚か者だからです。「『今日一日だけ』私は相手を人格的存在として敬意をもって接することに全力を尽くす」と日ごとに祈って一日を始めます。
利己的とは要するに相手をモノ扱いすることです。
その結果は相手にではなく、自分自身(本能)に跳ね返ってきます。
利己的も不正直も身勝手も結果は全部自分自身が背負い込むことになります。解決策の第一歩は我慢を嗜癖として使っているのに気づくことです。
そして棚卸し作業によってカラクリを見破れるようになります。

◎回復と平安と祝福を祈っています。