癇癪持ちがアディクションサイクルを認めたら怒りの爆発から回復可能

癇癪

怒りの爆発の問題を抱えた人はきれいサッパリ何もなかったように治ろうと努力しがちです。
そして思ったように良くならないと今度は居直って何とかしようとすることを諦めてしまいます。
しかしここに「治らないけれど、回復可能な道」があります。

1.感情・情緒に問題をもっている人が回復するには単に無力を認めるだけでは不充分

怒りの爆発

「私たちは感情・情緒[の問題]に対して無力であり、思い通りに生きていけなくなったことを認めた」(EAの12ステップの1)

ただ単に嗜癖に対して無力を認めるだけでは不十分です。
自分がアディクションサイクルから抜け出せないことを認める必要があります。

「うまく行っていると思ったらスリップ、また無力を認めて」を延々と繰り返すことをアディクションサイクルと呼びます。

12ステップの1は前半で嗜癖に対して無力であることを認め、後半では嗜癖を使い続けた結果自分の人生がどうにもならなくなったことを認めたと書かれてあります。

多くの人はこれを端折(はしょ)り、「無力を認める」とします。
しかしここには重大な落とし穴があり、この落とし穴にハマると回復に取り組んでいるにもかかわらず一向に回復しないということになりかねません。

嗜癖に対して無力なのは別に依存症者でなくても誰でも認めていることです。
たとえば深酒することに対しては「飲み過ぎたらいけないと分かってはいるのだがつい飲んでしまう」みたいな感じです。

依存症者が一般人のレベルで無力を認めても、その程度の無力の認め方では効果がないのは明らかです。

2.アディクションサイクルから抜け出せない原因は脳の報酬系に依存症回路ができているから

アディクションサイクル

アディクションサイクルから抜け出せないのは私たちの意志が弱いからではありません。
そうではなく、脳の報酬系に依存症回路が出来てしまい、そこから強迫観念と渇望現象が発せられるからです。

強迫観念とはやってはいけないと理性では分かっているのに強迫観念が襲ってくると、強迫観念が教える嘘にころっと騙されてしまう、そのような働きをするものです。

渇望現象とはいったん怒りを爆発させると精神的・肉体的エネルギーがなくなるまで怒りの爆発が止まらなくなることです。

この強迫観念と渇望現象が依存症の二つの問題であり、問題の本質はこれらに対して私たちが無力であることです。

依存症とは脳の報酬系に依存症回路ができてしまうことによって引き起こされる病気なのです。

依存症回路が完成するまで延々と嗜癖を使い続けた責任は当然ありますが、依存症回路が出来上がったあとの嗜癖の奴隷となってからの行いには本人の責任はありません。
(もちろん責任はないと言ってもすべての責任がなくなるわけではありません。嗜癖を使った結果として経済的・精神的・肉体的損害をどなたかに与えたなら、それを償う責任があるのは当然のことです)

脳の器官の中で報酬系は最も原始的な器官であり、オギャーと生まれたときからある器官です。

この器官が最初からフル活動していないと「腹が減った」「オシメ変えてくれ」「寂しいから抱っこして」など最も原始的な必要を満たすことができず、生き延びることができません。

報酬系の周りには理性を司(つかさど)る前頭葉があります。
大人になるに連れて前頭葉は徐々に発達していきます。
それで大人になると自分のことばかりではなく、他者のことも考えるようになります。

報酬系が欲求のアクセルを踏む働きをし、前頭葉がブレーキを踏む働きをすることによってトラブルの少ない社会生活を営むことができます。

ところが報酬系に依存症回路ができると、報酬系はアクセル踏みっぱなしの状態になってしまいます。
この状態になると前頭葉が司る理性は無力化されてしまいます。

以上の説明をお読みになった方の中で「それがどうした。私はそんなことはどうでもいい。私はとにかく良くなりたいのだ!」とお感じになった方もおられるかも知れません。

『事実』には二つの側面があります。
それは客観的事実と主観的事実です。

客観的事実をいくら理解しても、それが腹落ちしなければ行動パターンは変わらず、結果として人生も変わりません。

しかし「腹落ちする」という言葉が意味している主観的事実には「ここまで腹落ちしたら完璧だ」というものはありません。
日ごとに「無力を認める」営みが必要です。

そして日ごとに無力を認めるためには客観的事実としての「なぜ私は無力なのか?」の理由・原因を知っていなければなりません。

そうでなければ「なぜ自分が無力なのか分からない」という日がいつか訪れるかも知れません。
だから客観的事実を理解していることが大変重要です。

「私は嗜癖に対して無力である」という主観的事実を日々新たにするために「私が嗜癖に対して無力である理由」(客観的事実)を知っておくことが必要なのです。

真に無力を認めるとはアディクションサイクルから抜け出ることができないと認めること

自分がアディクションサイクルから抜け出せないと認めることが真に無力を認めることになります。

アディクションサイクルから抜け出せない理由は脳の報酬系に依存症回路が一旦出来上がってしまうと死ぬまでなくなることはないと言われているからです。
(依存症回路を消失させる薬が発明されれば依存症は治る病気となりますが、今のところそのような薬は発明されていません)

無力を認めると嗜癖に勝とうとする戦いは止みます。
それで嗜癖に勝つこと(治ること)はできなくなりますが、負けること(スリップ)もなくなります。

要するに不戦勝です。
人生は嗜癖に負けさえしなければなんとかなります。

(強迫観念と渇望現象についてもっと詳しく知りたい方は下記の記事をお読みください)

3.怒りが爆発する理由と人格の変化の順番

怒りが爆発する原因

①人が怒りが爆発させる真の理由

怒り依存症のレベルに達していなくても、単に怒りやすいとか、ちょっとしたことで怒りが爆発しやすいという人は案外おられるものです。

現れや深刻さの程度に違いはあっても、怒りを爆発させる構造はみんな同じです。

a.正義感の強さが怒りを爆発させるという主張

ありのパパはかつては怒りを爆発させる原因は正義感が強いからと考えていました。

しかしよく考えてみると正義感が強くても怒りを爆発させない人はいくらでもおります。

それで正義感が強いことが怒りを爆発させる原因ではないと分かりました。

かえって正義感の強さを怒りを爆発させる言い訳に使っているのだと気づきました。

b.生育歴の問題が怒りを爆発させるという主張

次に怒りを爆発させるのは生育歴に原因があると考えるようになりました。
要するに子供時代に両親に対して反撃できなかった怨念を大人になってから見ず知らずの人々に対して復讐しているのだという理解です。

この理解の仕方はとても腑に落ちました。
しかしこの理解の仕方では人生は1mmも変わりませんでした。

かえって「この問題を解決できた!」と思ったその日に怒りを爆発させたぐらいです。
この経験がありのパパにとっての『底つき経験』となりました。

c.怒りの爆発を嗜癖として使う依存症という理解

怒りを爆発させるのは嗜癖として使っているからであるという主張が最後に残りました。

この理解を受け入れるのはとても抵抗が大きかったのですが、信仰もダメ、カウンセリングもダメ、あとは何もないという絶体絶命の段階になって初めて受け入れることができました。

12ステッププログラムの特徴は問題行動を嗜癖として捉えることです。
極論すれば問題行動はなんだっていいのです。
この『問題行動』のところにご自分の問題を入れればよいのです。

ありのパパはこのところに三つのものを入れました。
それは怒りの爆発・病的な人間関係・性的問題です。
この三つのものはすべてうまく行きました。
自己流にならずに、12ステップの本流(リカバリーダイナミクス1)のやり方に従ったときにうまく行きました。

性格上の欠点からくる行動パターンを無意識に使う人は私が期待するように動くべきである(利己的)
⇩⇩⇩⇩
結果として本能が傷つく(共存本能の自尊心)私をバカにしているから動かないのだ
⇩⇩⇩⇩
その結果、感情が暴走する(恨み)良くもバカにしてくれたな!
⇩⇩⇩⇩
不快感情から逃れるために嗜癖を使う(怒りの爆発)私は復讐して当然である。またはこれ以上傷つけられないためにこっちから傷つけてやる

上の表の理解に達した時はじめてありのパパの人生は変わることができました。
そして今も変わり続け、変わり続けております。

では変わり続けていくための勘どころはどこにあるのでしょうか?
次の項目ではその勘どころを解説します。

②人格が変化する順番をわきまえないといつまでも経っても変われない

人格は考え方・感じ方・行動の仕方の三要素によってなるものです。

a.行動の仕方を変えるためにはまず考え方と感じ方を変える必要があるという理解

私たちは当然のこととして考え方と感じ方の投影として行動が出てくると考えています。

しかし実はそうではありません。
私たちの子供時代からの行動の仕方の積み重ねが私たち自身の考え方と感じ方を決定しているのです。

考え方と感じ方から行動の仕方が出てくると考える人は当然のこととして行動の仕方を変えるために考え方と感じ方を変えようとします。

そのような人々は果たして考え方と感じ方を変えることができたでしょうか?

考え方については表面的には変えることが可能です。
しかしこれはあくまでも建前であり、いざとなればすぐに本音が顔を出してしまい、元の木阿弥(もとのもくあみ)となってしまいます。

感じ方については変えることは不可能です。
できたとしてもそれは感情の否認にしか過ぎません。

これが一般的なカウンセリングによっては人が癒やされない真の理由であると、ありのパパは考えています。

b.行動の仕方を変えれば徐々に考え方と感じ方が変わってくるという理解

では12ステップの立場である行動の仕方を変えることによって考え方と感じ方を変えていこうする方法の有効性はどうでしょうか?

ありのパパの例ですが、初めの頃は「行動の仕方が変わるだけでよい。考え方と感じ方は変わらなくてもよい」と実は考えていました。

なぜならそんなに簡単に考え方と感じ方が変わるとは思えなかったし、回復するために真に大切なことは行動の仕方そのものを変えることだと悟ったからです。

しかし霊的に目覚めてから(この記事を書いている時点で)六年半が経とうとしていますが、少しずつですが考え方や感じ方が変わってきているのを感じます。

ただし文字通りちょっとだけです。
それでも人生が変わってしまったのを実感していますので、行動の仕方に焦点を当てることが生命的に大切であるとますます確信しています。

行動の仕方を変えていこうとするときの肝は【例外なし】に【全面的】に【全力】で実行することです。

ある方は「職場では新しい行動パターンを実行して人間関係が劇的に改善したのですが、家に帰ると新しい行動パターンを実践できず、家族関係が悪いままです」と仰いました。

その方が職場の人々に対しては新しい行動パターンを実行できたのに、家族に対しては実行できない理由は何でしょうか?

それはその方が家族に対して甘えることを正当化しているからです。
そりゃ誰だって家に帰ったときぐらい、ホッとしたいものです。
それは分かりますが、しかし家族の方々だって家にいるときぐらいホッとしたいのではないでしょうか?

それを故意にか無意識にか「俺様一番、オレを気遣ってくれ」となったら、一体誰があなたを甘えさせてくれるでしょうか?
ありのパパだったら野球バットで殴るかも知れません(ウソウソ)。

相手はどう思い、どう感じているかを考えずに自分の願いだけをぶしつけに相手に押し付けることを[想像力の欠如]と言います。

もちろん私たちは多かれ少なかれそんな者です。
そこからスタートして相手を思いやることが当たり前になる人へと変貌を遂げていくのです。

それは『今日一日だけ』と自分に念じながら、「私にはできない。しかし神には何でもできるからである」と祈りつつ、全力で実践するなら必ず実現可能です。

【まとめ】

  • どの依存症も同様ですが、単に嗜癖に対して無力を認めただけでは何の効果もありません。
    自分の人生を振り返ったとき「たしかに自分はシラフとスリップを繰り返す人生を送ってきた。自分はこの繰り返し(アディクションサイクル)から抜け出れないのだ」ということを認める必要があります。
  • 私たちがアディクションサイクルから抜け出ることができない理由は脳の報酬系に依存症回路が出来、そこから強迫観念と渇望現象が襲ってくるからです。

  • 怒りの爆発が止まらない理由は正義感が強いからでも、生育歴が問題なのでもなく、怒りの爆発を嗜癖として使う依存症者だからです。

  • 霊的に目覚めるとは回復するのに十分な人格の変化を指していますが、人格とは考え方と感じ方と行動の仕方の3つによって構成されています。

  • このうち即座に変えられるのは行動の仕方だけです。
    そして行動の仕方を例外なく全面的に全力で変え続けていくとき徐々に考え方と感じ方が変わっていきます。

  • いつ変えられるのかとか、どのくらい変わるのかは神におまかせするべきでしょう。
    いつかは利己的考えが払拭される日がやってくるといいですね(笑)。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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