アダルトチルドレンの感情の否認の問題を明らかにし、解決法を解説!

感情の否認

「感情の否認」と聞くとACだけでなく、多くの方が「私にもその問題がある」と思われるのではないでしょうか?
この記事は感情の否認のメカニズムを明らかにし、そこから回復する方法を解説しています。

1.感情の否認を嗜癖として使うアダルトチルドレン

感情の否認

アダルトチルドレンは感情の否認を嗜癖として使います。
どのような形で現れるかと言いますと、怒って当然の場合に怒りの感情が湧いてこなかったり、悲しんで皆が泣いている時に自分だけ泣けないなどです。

しかしだからと言って感情がないわけではありません。
嗜癖を使うのは不快【感情】があるからですが、不快感情とは感情そのものです。
だから不快感情があることが、その方に感情が存在する何よりの証拠になります。

感情があることは確かなのに感情を感じないことを【感情の否認】と呼びます。

感情の否認を嗜癖として使う心の構造(例)

性格上の欠点からくる行動パターンを使う⇒⇒ 恐れが動機の身勝手行動など
⇩⇩
その結果、本能が傷つく⇒⇒ 共存本能の対人関係・安全本能の感情面など
⇩⇩
その結果、感情が暴走する⇒⇒ 恨み・罪悪感・恐れ・後悔
⇩⇩
不快感情から逃れるために嗜癖を使う⇒⇒ 感情の否認(私は何も感じてない)

①感情の否認の出どころ

子供時代を機能不全家族で育った人のことをアダルトチルドレン(AC)と言います。
機能不全家族とは文字通り家族として機能していないことであり、よくて下宿屋家族であり、悪くすると弱肉強食のジャングル家族だったりします。

年端(としは)のいかない子供に対抗する術はありませんから、生き延びる術として「何も感じない」というサバイバル術を選び取るしかありません。

寂しい・悲しい・不安であるなどの感情も感じることさえしなければやり過ごすことが可能だからです。

子供時代を機能不全家族の中で生き延びるには自分の感情を否認するしかなかったのですが、問題は大人になってからは感情の否認を嗜癖として使うようになったことです。

②不快感情の存在を否認しているケース

中には不快感情が自分の中にあることを否認する人もいます。
あったことを認めたとしても「もう許した」とか「そんなに気にしてない」などと言います。

これは不快感情があることを建前では認めるが、本音では否定しているのです。

しかしそのような人でもACが使う嗜癖である【病的な人間関係】を使っていることは認めます。
もし認めないならその人はアダルトチルドレンではないということなってしまいます。

嗜癖を使うのは不快感情から逃れるためですから、嗜癖を使っているとしたら、それはたしかに不快感情がある証拠です。

2.不快感情を否認していると棚卸し作業ができない

不快感情を否認する

自分が病的な人間関係を嗜癖として使っていることに気づくことから、アダルトチルドレンの回復の歩みが始まります。

ACにとってステップの1から3は案外簡単です。
本当に無力を認めているかどうかは別として、ACは自己評価が低いので「自分が無力だなんて当たり前じゃん」みたいな感じで案外簡単に無力を認めます。

ステップ2も既に何らかの信仰をもっているACにとっては障害とはなりません。

ステップ3も本当は何を言っているか分からなくても、人に依存することを嗜癖として使うACには「神に依存すればいいのね」みたいな感じで、決心だけは簡単にできます。

ここまで順調にきたACですが、ステップ4で壁にぶつかります。
本人には理由が不明なのですが、棚卸し作業をしようとすると抵抗を感じ、一歩も前に進めません。

理由は棚卸し表が不快感情から入るように作られているからです。

  1. 恨みの棚卸し
  2. 恐れの棚卸し
  3. 性の領域で迷惑を掛けたこと
  4. その他で迷惑を掛けたこと

ACが棚卸しをすると断末魔の叫びのように「恨んでません!」とか「もう今は恐れていません!」などと言います。
これらは否認していた不快感情が棚卸し作業によって刺激されることによって起きることです。

この問題を乗り越えるには唯一つ、自分には不快感情があることをしっかりと認めることだけです。
もちろん認めても不快感情を感じることはできないでしょう。
しかし感じる必要はなく、認めることさえ出来ればそれで良いのです。

不快感情が自分の中にあるのを認めるためのもっとも良い説明は「嗜癖は不快感情から逃れるために使う」ということです。

ご自分が13の病的な人間関係を嗜癖として使っているなら、まちがいなく恨み・罪悪感・恐れ・後悔の不快感情がある証拠なのです。

不快感情がない人は嗜癖を使わないのです。

この説明を自分自身に言い聞かし、認めることができたら抵抗を感じつつも棚卸し作業に取り組みます。
それは必ず霊的目覚めをもたらします。

(依存症回路ができてしまった人は不快感情がなくても「嗜癖を使えよ」と強迫観念がウソを教えますが、不快感情さえなければ容易にそのウソを見破ることができます)

3.感情を感じない人々の日々の棚卸しのやり方

日々の棚卸し

感情が暴走した時が日々の棚卸しのやりどきだと言われます。
しかしこの説明はアダルトチルドレンには当てはまりません。

なぜならACは感情が暴走すると自動的に感情を否認することを嗜癖として使ってしまうので、感情が暴走するのを待っているとACには日々の棚卸しをやる時が永遠に訪れないことになってしまうからです。

そのためACには日々の棚卸しをやる別の合図が必要です。
ACは感情を感じなくなった時が日々の棚卸しをやる合図です。

ありのパパの例ですが、感情が暴走していない時は様々な感情を感じます。
しかし一旦感情の否認を嗜癖として使うと心の中が真空状態になります。
それで心が真空状態になると「あっ、やばい!日々の棚卸しをしなければ!」となります。

これでうまく行きました。
そしてそのような状態は思ったよりも短かったです。
なぜなら不快感情がなければ感情の否認を嗜癖として使う必要もないので、真空状態になる事自体が少なくなったからです。

感情表出訓練を行う必要はない

新しい行動パターンを使うようになると本能の傷つきは止まり、感情の暴走も止まります。
そうしたら(不快)感情を否認する必要もなくなります。

それで感情の否認を嗜癖として使うことからは解放されることが出来ると明確に申し上げることができます。

では豊かな感情表出も可能になるかと言うと、これはまた別の話です。
内向型か外向型かの性格類型の問題もありますし、それ以外の問題もあります。

例えば、ありのパパ自身がシゾイド人格の持ち主ですが、シゾイド人格(障害)の人にはそもそも豊かな感情表現自体が存在しません。
良く言えば「いつも穏やかな人」「いつ会っても同じに接してくれる人」なのです。
悪く言うと「何を考えているかわからない人」「喜怒哀楽の情が少なく、友達がいのない人」となります。

このように豊かな感情表出が可能になるかどうかは嗜癖以外の問題が影響してきますので一概に申し上げることはできません。

しかし確かに申し上げることができるのは感情の否認を嗜癖として使うことを止めるのが先決であるということです。

感情表出訓練を行うと、通常は悲しみの感情が現れ、次に怒りの感情が出て来ます。
そしてその後に豊かな感情の現れが続くとされます。

しかし《嗜癖を使う心の構造》をそのままにして感情表出訓練を行うと、ありのパパのように怒りの感情の表出が怒りの爆発に転化する危険があります。

怒りの爆発とは要するに怒りの爆発を嗜癖として使うことですから、新たに依存症が一つ加わったことになります。

そのような危険を犯してまで感情表出訓練をする理由をありのパパは見つけることができません。

それでこのブログをお読みになる方には感情表出訓練ではなく、不快感情をなくすことに焦点を当てるのが回復の近道であると申し上げたいと思います。

【まとめ】

  • 感情の否認とはACが使う病的な人間関係嗜癖のうちの一つです。
    子供時代には生き延びる術として使わざるを得なかったのですが、大人になっても使い続けたために感情の否認を嗜癖として使う依存症者となってしまいました。
  • 感情を否認していると不快感情から入っていく棚卸し作業に抵抗を感じ、これを行うことができません。
    これがACが12ステップに取り組まない真の原因だったりします。

  • 棚卸し作業に取り組まない限り、回復はありえず、そのままの状態でミーティングに参加し続けることは生地獄(いきじごく)に自分を置くようなものです。

  • 感情を否認する人の日々の棚卸しのやり時は自分の中から感情を感じなくなったときです。
    実際は感情がなくなったのではなく、否認しているのに過ぎませんから、これが感情からの合図だと受け止めます。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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