アダルトチルドレンというと親替えと言うぐらいに親替えの問題は重要です。
この記事は「親替えの仕方を教えてほしい」という読者の方からのご質問に答えて親替えのやり方を明らかにし、同時に親替えをしたときに起きることを解説しています。
目次
1.ご質問内容
こんにちは、いつも素敵な役立つ記事や投稿をありがとうございます。
『毒親の影響から回復する方法は親替えすること』の記事を読みました。
その中の親替えの実行についての箇所から質問です。
「肉にあって育ててくれた親に『さよなら』を言い、肉の親にどいてもらったところに神に来ていただきます。そしてこれからは永遠に神が私の親です」 という所ですが、これはどのようにして行うのでしょうか?
拙い知識ですが、クリスチャンになれば洗礼や聖餐式などでしっかりと形の上で物理的に親替えを行う事が出来るのかなと思います。
クリスチャンでない場合にはどのような方法や考え方がありますでしょうか?
教えて下さい。よろしくお願いします。
追伸、最近イエス様やクリスチャンに興味を持ちいろいろな教会に行ってみてます。
2.相談へのお答え
こんにちは、KKさん。ご相談をいただき、ありがとうございます。
親替えとは要するに親離れということです。
子供が大きくなると子供は親離れをし、親は子離れをします。
これが何らかの理由で関係が固着している場合に意識的・自覚的な親替えが必要になります。
KKさんの「どのようにして親替えするのか?」とのご質問には親替えが即座になされるものという思い込みを感じますが、いかがでしょうか?
一般的な親離れが少しずつ進むものであるように、親替えも実際には少しずつ進むものです。
それでも大学進学や就職のために親元を離れて下宿することが親離れのキッカケになるように、親替えにも転機的な経験と漸進的経験の両面があります。
①親替えの転機的な側面
ありのパパが親替えした時には12ステップの知識がなく、キリスト教カウンセリングにもとづいて親替えしました。
方法は断食して祈りの中で自分の中から生物学上の親に出ていってもらい、神に自分の親になっていただきました。
祈祷院の畳をかきむしりながら、苦闘しつつ親替えをしました。
しかし今から振り返ると効果は余りありませんでした。
ということは実際には親替えはなされていなかったということになると思います。
では実際に効果のある親替えの方法をご説明します。
それは12ステップの3の「自分の意志と生き方を自分なりに理解した神の配慮に委ねる決心」です。
これの文字通りの意味は【自己意志を神の意志に沿わせる】ということです。
自己意志を神の意志に沿わせると言うと神の奴隷になると受け止めてしまう危険がありますが、もちろんそうではありません。
生物学上の親も、そして自分も、自分自身の愛ある親の役割を十分に果たすことができませんでした。
それで今度は自己意志と神の意志が協働で自分自身の愛ある親の役割を果たしていく決心をするのです。
これが親替えの転機的な側面となります。
②親替えの漸進的な側面
自己意志と神の意志が協働で愛ある親の役割を果たす決心をしただけでは絵に描いた餅に過ぎません。
これが効果のあるものになるには実際に自己意志が神の意志に従う必要があります。
その最初の一歩が《行動のプログラム》に取り組むことです。
行動のプログラムは棚卸し作業(ステップ4・5)・古い行動パターンを使わない決心&新しい行動パターンだけを使って生きていく決心と神に助力を求める祈り(6・7)・埋め合わせ作業(8・9)の3つです。
これらの行動のプログラムに取り組んだ後は《続けるプログラム》に生涯を通して取り組み続けます。
《続けるプログラム》の内容は日々の棚卸し(ステップ10)・祈りと黙想(11)・自分が他の人々の愛ある親となっていく(12)などです。
これらの作業に終わりはありません。
もちろん死んだらプログラムに取り組む必要はありません(笑)。
③親替えの核心は決心と実践
アダルトチルドレンはなぜ自覚的に親替えする必要があるのでしょうか?
それは大人になっても毒親に支配されているからです。
中には心の中に居座られているだけでなく、経済的・時間的・人格的に縛られている人もいます。
性格上の欠点は利己的・不正直・身勝手&恐れ・配慮の欠如の4つがあります。
ACは親替えをしない限り、性格上の欠点の三番目の恐れを克服することができません。
「どうしても性格上の欠点である『恐れが動機の身勝手行動』をしてしまう。その原因は親との関係にある」というACの分かち合いを聞くことがあります。
その分析・見立ては間違ってはいませんが、大切なことを見落としています。
その人は子供時代の毒親との関係で受け取った固着した恐れを親替えをすることによって克服可能であるということです。
中には「私は親替えしたが、依然として恐れに支配されている」という方もおられるかも知れません。
そのような方に申し上げたいのは「ありのパパもそうです。しかしご自分をよく見ていただきたいのは恐れがコントロール可能になっていませんか?」ということです。
そうすると多くの方が「そう言われれば圧倒的だった恐れが今はコントロール可能になっている」と言われます。
そしておずおずとさらに質問されます。
「この恐れがなくなることはないんでしょうか?」
ありのパパも無くなればいいと心から望んでいますが、しかしたとえ無くならなくても構わないと考えています。
なぜなら恐れが自分の中にあることが【すべての人に敬意をもって接することに全力を尽くす】という新しい行動パターンを実践するための強力な動機づけになっているからです。
親替えとは要するに自分が自分自身の愛ある親になることです。
しかし自己意志だけではうまくやれなかったので今度は神の意志と協働で愛ある親の役割を果たしていこうとするのです。
この【愛ある親の営み】には終わりがありませんし、お休みすることもできません。
24時間体勢で死ぬまで続きます。
3.親替えすることによって解決するもの
①他からの承認を病的に求めることを嗜癖として使う
他からの承認を病的に求めることを嗜癖として使うのは【自分が何者か分からない】からです。
【自分が何者か分かっている】とはどのような状態でしょうか?
それは【私は愛されている】という自覚を持っていることです。
この自覚がある人は決して「私は自分が何者か分からない」とは言いません。
では【誰に】言ってもらえばいいのでしょうか?
単刀直入に言いますと誰でもいいのです。
ただし言った通りに実行してくれる人でなければなりません。
多くの人は闇雲に[言ってくれる人]を求めます。
その結果、悪い男に捕まったり、浮気女に泣かされたりします。
このような人に限って 「なぜ私はいい男に出会わないのか?」 とか 「自分は女運がない」とか言っているものです。
寝言は寝ている時に言ってほしいものです(笑)。
では誰に言ってもらえばよいのでしょうか?
そうです。この私が私自身に向かって愛ある親となり、「誰があなたを愛してないとしても、少なくともこの私はあなたを愛しており、決して見捨てない」と言い続けるのです。
これがアダルトチルドレンが他からの承認を病的に求めることを嗜癖として使う問題の本質的な解決策です。
②自己を低く評価することを嗜癖として使う
ACは片方では自己評価をバク上げするために承認されることを嗜癖として使いますが、もう片方では自己を低く評価することを嗜癖として使います。
これは「どうせ私なんかこんなもんよ」「俺は何をしてもだめな奴だ」という自己憐憫にほかなりません。
その証拠に「そうだね。本当にあなたはダメな人間だね」などと言おうものなら、首を絞められること必定です。
この問題の核心は[自分の価値が自分の行いで決まっている]ところにあります。
この地上に生きる人で誰一人として自分の成し遂げたことによって自己評価を上げることができる人はいません。
真の自己評価は行いによらず、無条件の愛によって「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言い続けてもらうことによって決まります。
誰が言えばいいのでしょうか?
「親が言うべきでした」(まだ寝言を言うのか?(笑))
そうです。この私が私自身に向かって言い続けるのです。
そしてこれは自己意志だけではできないことなので神の意志と協働でこの働きをするのです。
【まとめ】
・自然な親離れがなされなかった時には自覚的に親替えする必要があります。
自然な親離れができなかった理由には毒親との支配関係があります。
・親替えには転機的な側面と漸進的な側面があります。
転機的・即時的な面とはステップ3で自己意志を神の意志に沿わせる決心です。
漸進的・継続的な面とは決心にとどまらないで生涯を通して神の意志に従い続けることです。
その第一歩が《行動のプログラム》に取り組むことであり、これが終わると次に《続けるプログラム》に生涯を掛けて取り組み続けます。
・ACは固着した恐れから解放されることができます。
その秘訣が親替えです。
もちろん解放可能と言っても恐れがきれいサッパリなくなるのではなく、恐れがコントロール可能になるということです。
・親替えの核心は決心することと実践することにあります。
決心は一瞬ですが、実践は一生続きます。
・ACは親替えすることによって病的に承認を求めることや低い自己評価を嗜癖として使うことから回復することができます。
◎回復と平安と祝福を祈っています。
行動のプログラムに取り組むこと。
続けるプログラムに生涯を掛けて取り組み続けること。
解説もまとめもわかりやすかったです。
ありがとうございました^_^
こんにちは、KKさん。コメントをありがとうございます。
ご一緒に回復の道を歩んでまいりましょう。