この記事は利己的振る舞いを続けていると人に依存することを嗜癖として使うようになるメカニズムを明らかにし、そこから回復していく方法を解説しています。
1.利己的振る舞いは本能を傷つけ、人を恨むようにさせる
アダルトチルドレンが嗜癖として使う「人に依存する」ことと、「利己的振る舞い」は一見関係がないようにみえます。
それどころか依存的生き方と利己的生き方は対極にある生き方にも思えます。
なぜなら「依存的生き方」はおとなしく従順なイメージがありますが、「利己的生き方」はブイブイ言わせるイメージがあるからです。
しかし「利己的振る舞い」と「人に依存することを嗜癖として使う」生き方は切っても切り離すことのできない関係にあります。
いわば双子の姉妹のようなものです。
行動パターン | 性格上の欠点 |
---|---|
周りの人は私を気にかけて当然である | 利己的 |
↓↓↓ | ↓↓↓ |
ますます「分かって欲しい」と思うようになる | 人に依存することを嗜癖として使う |
「ACのための12のステップ」の53頁には「上司は私がどうして落ち込んでいるかを聞いてくれないから、私は上司を恨んでいる」という例が書かれています。
これに対するシェアリング・パートナーの質問は「あなたは聞いてもらうために働きかけをしましたか?」でしょう。
そうすると多くの場合の答えは「いいえ、何もしていません」です。
上司を恨んだということは上司に「どうしたの?」と聞いてほしいという期待があったということです。
その期待が裏切られたので上司を恨んだのです。
「私は何もしないし、言わないけど、私の気持ちは分かってよね」と考えているとしたら、これは利己的きわまりない振る舞いと言えないでしょうか。
この地上に何も言わなくても分かってくれる人は一人もいません。
いやかえって百回言ってやっと一つ理解してくれるという場合がほとんどです。
私たちが利己的振る舞いを使う動機は恐れから来ます。
人が怖いので何も言えないのです。
でもだからといって「私が何も言わなかったので配慮してもらえなかった」と受け止める人はあまりいません。
どうなるかといえば「上司のくせに部下の気持ちがわからないなんて!」と本気で怒りを感じます。
自分が相手に配慮してもらうための働きかけをしていないことは棚に上げているのです。
このようなことは当たり前のように私たちの身近にあります。
- 夫なのに、妻なのに分かってくれない
- 友達なのに、恋人なのに分かってくれない
その結果、自尊心・対人関係などの共存本能が傷つき、恨みの感情が暴走します。
この恨みの感情は持っているととても苦しいので嗜癖を使って不快感情を感じないようにします。
この嗜癖がアダルトチルドレンの場合は「人に依存する」ことをはじめとした13の病的な人間関係なのです。
そのため利己的振る舞いをすると結果として人に依存することを嗜癖として使うことになってしまうのです。
利己的以外の性格上の欠点の場合
内なる恐れが人間関係を切り捨てる方向に向かうときは身勝手な行動が出てきます。
反対に人間関係をなくしたくないので本心とは異なる対応をするときには不正直な行動が出てきます。
使っている性格上の欠点 | 引き出される行動 |
---|---|
不正直 | 嘘で嘘を上塗(うわぬ)りする |
利己的 | 次から次へと言い訳する |
身勝手 | べつに!(対応なし) |
不正直な人はそもそもの出発点がウソですから、弁解しなければならないときもウソを多用します。
本音では「何ともならないね!」と思いつつ、言葉では「善処します。次からは気をつけます」と平然と言います。
利己的な人はそもそもの出発点が「自分のことしか考えてない」ですから、問いただされる場面では「私は悪くない。仕方なかった。なぜ仕方なかったのか」を説明するための言い訳がこれでもかというぐらいに次から次へと出てきます。
これに対して身勝手な人にはウソも言い訳も弁解もありません。
「べつに!」という感じです。
なぜならはじめから人間関係を切り捨てるつもりでいるからです。
2.アダルトチルドレンは人に依存することを嗜癖として使う依存症者
アダルトチルドレン(AC)が使う12番目の嗜癖は「人に依存する」ことです。
ACは何も好き好んで人に依存することを嗜癖として使っているわけではありません。
この部分は他のアルコール依存症や薬物依存症と同じです。
しかしながら多くのアダルトチルドレンは人に依存することを嗜癖として使っていることを否認します。
そして嗜癖として使っていることを認めたとしても、不快感情から逃れるために嗜癖を使っていることを否認します。
「私が嗜癖を使うのはやむにやまれぬ事情があるのだ。それは機能不全家族で育った生育歴である」というわけです。
しかし(厳しい書き方になりますが)これはウソです。
アダルトチルドレンや依存症者が嗜癖を使う理由はたった一つです。
それは不快感情から逃れるためです。
不快感情はつづめると四つに集約されます。
それは恨み・罪悪感・恐れ・後悔です。
アダルトチルドレンが【病的な人間関係】を嗜癖として使うのは不快感情から逃れるためです。
【病的な人間関係】にはどんなものがあるかを知りたい方は「ACの問題行動」をお読みください。

3.視点の転換こそ、12ステップの目的とすること
棚卸し作業に取り組むことによって「上司に問題があると思っていたけれど、私が上司に働きかけをしていたら私は上司を恨んでいなかった。問題の核心は私の行動パターンにあった」という気づきが与えられます。
それまでは「誰も私のことを気に掛けてくれない。こんなに一生懸命生きているのに私はかわいそうだ」と思っていたのが、「私が『上司に声を掛けてもらうために必要な行動』を考え、それを実行していれば私は上司を恨んでいなかった。ということは自分自身が傷ついた原因は上司ではなく、自分の性格上の欠点から来る行動パターンだった」ことに気づきます。
これは要するに他人から傷つけられているから自分は犠牲者だと思っていたのに、実は自分の利己的振る舞いという自家製の問題(homemade problem)が自分自身を傷つけていたのに気づくことです。
この気づきが与えられると自分のことが笑えてきます。
心が軽くなり、肩の荷が下(お)ります。
生きるのが楽になり、「私の人生も捨てたものではない」と実感するようになります。
ではあとは何もしなくてもよいのでしょうか?
いいえ、人生が実際に変わるのは行動によってです。
行動を伴わない信仰は死んだ信仰です。
とはいえ原因が分かればあとは簡単です。
新しい行動パターンを全力で実践するだけです。
恐れが動機の身勝手・不正直・利己的振る舞いを払拭するのに一番よい方法は新しい行動パターンで上書きすることです。
これは冗談ですが、古株のメンバーやニューカマーに話をさせたくなければ自分がずっと話をしていればいいのです。
同じようにというと語弊があるかもしれませんが、古い行動パターンに出番を与えないために朝から晩までひとときも絶やさずに新しい行動パターンを実践し続けます。
新しい行動パターンを実践するのは馴れないから面倒くさい。
だけど古い行動パターンに苦しまされるのも嫌というのは虫がよすぎます。
これは案外利己的な生き方が止まっていない証拠かもしれません。
でもどうぞ、ご安心ください。
私たちはどっちみちそんな者です。
誰も苦労なんかしたくありません。
しかし新しい生き方を毎瞬毎瞬実践しないと本能が傷つき、感情が暴走し、そしていつか嗜癖に陥ることが私たちには分かっています。
このことを考えるとき、ありのパパはアダルトチルドレンであってよかったと思うのです。
なぜなら選択の余地がないからです。
「古いほうを選ぼうかな?それとも新しいほうを選ぼうかな?」などと悠長なことを言っていると「はい、時間切れ!あなたにはもうチャンスはない」という宣告が下されるからです。
アダルトチルドレンの回復のための解決策は二つ
アダルトチルドレンの回復のための解決策は二つしかありません。
一つは共同体から受ける助けと支えです。
これはミーティングに参加することをおもに意味しています。

もう一つの解決策は本質的な解決策であり、霊的に目覚めることです。
霊的に目覚めるとは嗜癖を使わなくてもすむほどに人格が充分に変化することです。
ACの問題とその本質 | ACの解決策と解決 |
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強迫観念 | 霊的目覚め・共同体の助け |
渇望現象 | 治癒はない |
上の二つに対して無力 | 自分を超えた大きな力 |
この変化が12ステップの行動のプログラム(ステップ4〜9)に取り組むことによって実現します。
この約束はすべての人に与えられています。

【まとめ】
性格上の欠点の一つである利己的振る舞いを使っていると自尊心が傷つきます。
「私はなんの働きかけもしないけど、私の気持ちは分かってよね」と考えている人の本心を気づける人はこの地上には一人もいないからです。
だから独り相撲になり、恨みという結果だけを背負わなければならなくなります。
アダルトチルドレンは人に依存することをはじめとした病的な人間関係を嗜癖として使う依存症者のことです。
ACが病的な人間関係を嗜癖として使う理由は恨み・罪悪感・恐れ・後悔などの不快感情から逃れるためです。
棚卸しをはじめとした「行動のプログラム(ステップ4~9)」に取り組むと視点の転換が起きます。
それまではかわいそうで哀れな被害者だったのが、「なんだ。自分に原因があったのか!」と自分を笑い飛ばす軽やかな人生を生きることができるようになります。
◎回復と平安と祝福を祈っています。