五役者回復運動の問題点と聖書が真に教えていることの違いは何か?

聖書の一部分を切り取って自分の都合の良い解釈を施すことがあります。
その結果生み出されたものは聖書的な姿から遠く離れた醜悪なものでしかありません。
その典型的なものに「五役者回復運動」と呼ばれるものがあります。

        

1.弟子とは誰を指しているか?

イエス様は大勢の群衆に向かって「自分の家族、さらに自分自身を愛する以上にイエスを愛するのでなければ弟子になることは出来ない」と言われました。[ルカ14:25~33]
ある人は「そうだろうとも。牧師・宣教師などのイエスの弟子になろうとする人たちは、そのような心構えが求められるのだ」と言われるかもしれません。
しかしそうではないのです。
なぜならこの当時、イエスを信じることを弟子になると言ったからです。
ですから信仰を持つことが、すなわち弟子になることだったのです。
もともと同じ意味であった言葉を二つに分けてしまったことが、現代キリスト教に初代教会のような力強さがない理由かもしれません。

ある時、ありのパパの友人がこう申しました。
「僕は今まで伝道というものは、てっきり牧師がするものだと思っていた」
それでありのパパは、このように返答しました。
「そりゃ、そう思っている方が楽だもの」
するとその友人は「カウンセリングしてくれって頼んでないんだけど(プンプン)」(笑)。
違いがないものを勝手に二つに分けてしまう手法が今の時代では当たり前のように行われています。

        

2.五役者回復運動のこと

ある人は「五役者(使徒・預言者・牧師・伝道者・教師)が必要だ」と言います。
その理由を聞くと、教会に牧師しかいないと牧師が傲慢になると、誰も止める人がいないから、五役者がいればこの人たちが止めてくれるというのです。
それを聞いてありのパパは心の中で「アホか!お前が止めなくて、誰が止めるんじゃ。ドアホ!」と叫んだことでした。

この方がこのように言うのには理由があります。
それは自分が楽(らく)したいのです。
自分の手を汚したくないのです。

しかし、もし牧師だけでなく、その他の五役者も傲慢になった場合はどうするつもりでしょうか?
「まさか」という人よ。あなたは甘すぎる!
実際に、この五役者回復運動に参加する教会はみな一様にカルト化する傾向にあります。
ありのパパから見れば、そうなって当たり前だと思いますが、自分が楽したい思っていると、それが見えないようです。

        

3.教会の中に上下関係はない

教会には時代や地域ごとに様々な働きがあります。
役職名はその働きに付けられた呼び名にすぎません。
そもそも教会のメンバーはみな等しい存在です。

ですから五役者という制度などは神からのものでないことが明らかです。
人間が間違った聖書解釈によって作り上げた妄想でしかありません。

誰が牧師の暴走を止めるのでしょう。
それは教会のメンバーです。
「だって言うこと聞いてくれないんだもん!」と言いますか。
その言い訳が通用するのは子供だけです。
大人なら何とか牧師の暴走を食い止める算段をしなければなりません。
大人になりたくない人もおられるようですが(笑)。

◎平安と祝福を祈っています。

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