今ACや依存症で苦しんでいるのは後になって心の平安を得るため

心の平安

「何で依存症なんかになっちゃったかな」と密かに嘆いている方はおられませんか?
この記事は苦しみには目的があり、心の平安を得るためであることを明らかにし、どうしたら心の平安を得られるのかを解説しています。

1.苦しみは苦しみで終わらない。苦しみには目的がある

苦しみには目的がある

依存症やアダルトチルドレン(AC)・共依存症になったことは悪いことばかりではありません。
なぜならそのことで人生の棚卸しをすることができたからです。

ありのパパはキリスト教とカウンセリングと12ステップの三つの背景をもっていますが、キリスト教徒の方で棚卸しを実行なさった方を一人も知りません。

もちろんアダルトチルドレンであったり、特定の嗜癖をもつキリスト教徒で棚卸しをされた方は多くおられます。

これが何を意味しているかと言えば、嗜癖を持たない人は棚卸しをしてまで自分自身の回復に取り組みたくないということなのです。
「やればいいのは分かっているんだけどね」という感じです。

棚卸しさえすれば人生が変わるというのに残念でなりません。

ありのパパにしても棚卸し作業を18年間先延ばしにしました。
人はトコトン人生に行き詰まらない限り、棚卸しに取り組むことはないようです。
だから私たちにとって次の聖書の言葉は真実です。

「苦しみにあったことは私にとって良いことでした。なぜなら私はそれで神のおきてを学ぶことができたからです」(詩篇119:71)

2.依存症やアダルトチルドレンからの回復は人生に対する視点の転換を促す

視点の転換

12ステッププログラムに取り組んで霊的に目覚めると視点の転換が起きます。
視点の転換には複数の意味があります。

一つは被害者意識から当事者意識への転換です。
「自分はてっきり被害者だとばかり思っていたのに、自分もしっかり他人に迷惑を掛けていた」という気づきです。

もう一つは「苦しんだ体験」に対する評価の転換です。
「誰も苦しみたくなんかない」というのが人々の本音です。
しかし苦しみが全くない人生は人間らしい生き方とは言えません。

お子さんがキリスト教系のカルト集団に取り込まれたお父様がこう言われました。

「息子がカルトに洗脳されて、そこからの救出活動に携わるようになって初めて分かったことがある。それは今までは家を建て、財産を作るのが幸福だと思って疑うことがなかった。しかし息子の救出活動に取り組む中でそんな幸せは犬・猫レベルの幸せでしかないと気づくことができた。だからその意味では息子に感謝さえしている」

これが苦しみの体験に対する視点の転換ということです。

3.今ACや依存症で苦しんでいるのは後になって心の平安を得るため

心の平安

①「自分を大切にする」と「自分自身を大切にする」のちがい

私たちは自分を大切にすることと、自分自身を大切にすることの違いさえ分かっていませんでした。

自分を大切にするとは甘やかすことであり、自分自身を大切にするとは本能(共存・安全・性・将来野心)が傷つかないように配慮を充実させることです。

この記事を書いているありのパパにしても、自分と自分自身の違いは何十年も前から知っていましたが、ではどうすれば自分自身を大切にできるのかということになると皆目見当がつきませんでした。

それが2014年11月22日に霊的に目覚めてから、はじめてその方法を体験的に知りました。
それは日々の棚卸しを通して自分自身を見守り、本能が傷つかないようにケアすることです。

依存症やAC・共依存は治すことができません。
なぜならこれらは治らない病気だからです。
あるのは回復だけです。

依存症になった方の中に「こんなもん、さっさと治して人生を楽しみたい」と思っている人はいないでしょうか?
しかしそのように考えること自体がスリップする穴を自分で掘っているのに等しいことです。

この場合の「人生を楽しみたい」の主体は自分です。
そして自分自身はしっかりと見捨てられたままです。

依存症やACになった本当の原因が自分自身という存在をなおざりにしたことであるにもかかわらず、現れに過ぎない症状だけを糊塗して何もなかったように振る舞いたいというのです。

これで人生がうまく行ったら本当に奇跡です。
しかしこのようなたぐいの奇跡は妄想でしかなく、決して実現することがありません。

②ACや依存症にならなければ体験できない心の平安がある

誤解していただきたくないのは心の平安を得るために依存症にならなければならないと言っているわけでは決してないということです。

すべての人が苦難の体験をせずに棚卸し作業に取り組むことが出来ればこんなに素晴らしいことはありません。
しかし既に申し上げたように少なくともありのパパはそのような人を一人も知りません。

だからこそ苦難には意味があると申し上げるのです。
苦難の目的はズバリ心の平安を得ることです。
心の平安は自分自身を大切にすることによって初めて実現するものです。

【まとめ】
苦しみが苦しみだけで終わることは決してありません。
なぜなら苦しみが与えられたのは目的があるからです。
その目的とは私たちが人生の棚卸しをすることです。

苦しみを体験すると視点の転換が起きます。
一つは被害者意識から当事者意識への転換であり、もう一つは苦難の体験への評価の転換です。
苦難の体験の評価の転換とは「苦しみたくない」から「苦しみを体験できてよかった」という意識の転換です。

自分を大切にすることと、自分自身を大切にすることの違いを体験的に知ることは心の平安を得るためには必須のことです。
人生で必要なことは自分を大切にするのではなく、自分自身を大切にするすべを身に付けることです。

そうしたら必ず「苦しみには目的があった」と体感できるようになります。

◎回復と平安と祝福を祈っています。

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